雲翳
任務当日は生憎の雨。朝から暗い空が広がっている。この前佐々木一等と買い物に行った際に買った、8本骨の丈夫な傘が活躍しそうだ。黒のパンツスーツにヒールの低めの黒のパンプス、それに黒い傘という葬式のような色気のない格好で、久々に町を歩いた。髪の毛だけは久々に時間をかけてスタイリングした。シャトーで暇を持て余していた頃、佐々木一等が女性雑誌をいくつも買い与えてくれたので、ついやってみたくなったのだ。小洒落たものになっていたが、この雨のせいですぐに萎びてしまった。けれどシャトーを出る前に「髪、綺麗だね。自分でやったの?」と佐々木一等に絶賛され、不知くんと六月くんにもお褒めの言葉を頂いたので気分がいい。それも、瓜江と2人でタクシーに乗り込む前の話だが。
「『こいつは一体何を考えている?なぜ俺と組みたがる?もしかして佐々木一等の指示か?』ってかんじ?」
「………」
さっきからの沈黙に耐えかねて、肘をつきながら車窓の外を眺める瓜江の心情を勝手に解釈する。案の定彼はピクリと眉を動かすだけで、こちらに見向きもしない。これならタクシー運転手に話しかけたほうがマシだ。
「『こいつは面倒臭い女だ』って顔してないで、なんか言ってよ」
「……別に、そんなことは思ってない」
「ふ〜〜ん」
やっと口を開いたと思えば、素っ気ない返事だ。もっと不知くんみたいに面白い反応をしてくれればいいのに、彼は冷静に頭を回すタイプらしい。くだらないちょっかいなど屁でもない様子だ。
「どうして佐々木一等のこと嫌いなの?」
返事が欲しいから、座席に両手をついて瓜江の方に身を乗り出して顔を覗き込む。ようやくこちらに視線をやり、渋々と瓜江が口を開いた。
「……嫌いと言った覚えはない」
「でも好きじゃないでしょ?」
「………」
「虫も殺せなさそうな優しいところに虫唾がはしる、とか?それとも彼が特別だから?」
「意外と喋るんだな」
「最近喋ってないと落ち着かないの」
するり、と仕掛けた罠は躱される。つまらない。ため息をつき、座席に深く腰掛け直した。そもそも何故彼は単独行動をしたがるのか。私が思うに、彼は早く昇進したがっている。親を喰種に殺されたと聞くし、得体の知れない手術までして力を得たのだから、冷静に見えて復讐心や闘争心に燃えているのかもしれない。昇進には個人の喰種討伐の成績が色濃く反映される。単純に、さっさと力を得て昇進したいのだろう。仲良しごっこや班の成績などどうでもいい。生ぬるい方針の佐々木一等も気に入らない。そんなところか。
「……俺は4丁目の住宅を回る。キミは2丁目を、」
「ダメだよ」
タクシーは4丁目の床屋の前で止まる。一人降りようとする瓜江の言葉を遮り、私は局から配布されたタクシー券を無造作に運転手に渡し、反対のドアから降りた。何としてでも単独で行動したいらしいが、そうはさせない。
「2人1組なんだから、一緒にね」
大きな黒い傘をぱつんと差してから微笑み、小降りな雨に濡れる瓜江を傘に入れる。色目を使って仲良くなるのもアリだ。見た目は悪くないと、美女のアキラさんからもお墨付きなのだから。しかし、少しは可愛らしい雰囲気になるかと思いきや彼の眉間には皺が寄り、思惑は打ち崩される。
「効率が悪い」
吐き捨てるように言ってそっぽを向き、瓜江は半透明なビニール傘を差して黒い傘から抜け出した。可愛い気がないどころの話ではない。
「一人じゃ不安なの。女だし。ほら、タクシー行っちゃった」
走り出すタクシーを指差すと、瓜江は呆れたように浅く息を吐く。そんな態度を気にしてはいられない。手帳を取り出し、顔面に笑顔を貼り付けた。
「聞き込み頑張ろうね」
◇
昼をとっくに過ぎて16時。普通の食事をとれない私は、カフェでブラックコーヒーを一杯、瓜江はカフェラテとスコーンを静かにたいらげて昼を済ました。聞き込みから共通する怪しい人物が一人浮上し、喰種である可能性が高いと判断した私たちは、ようやくその人物の住む場所を特定した。動物の不審死、夜中に聞こえる呻き、交通事故死体の一部消失、消えたホームレスの老人。ここまできたら喰種の可能性は高い。
「あー…。裾が濡れちゃった」
夕方からずいぶん雨足が強くなった。それに少し霧がかってきた。最近佐々木一等につきあってもらい買い換えた最新の防水スマートフォンを使い、位置情報を確認しながら目的地に向かい道を進む。歩き出してから30分以上は経つ。だんだんと住宅街からは遠のき、道は狭くなっていく。
「ふじみ野……あれだ。そこのアパートの203号室」
ようやく目的地にたどり着いた。築30年は経つであろう古びた2階建てのアパートは、今にも錆びた薄っぺらい鉄階段が崩れ落ちそうだ。おそらく全室和室の洗濯機外置き、風呂は追い炊き機能のないユニットバスに違いない。整備された住宅街から抜けたところにあるこのアパートの周りには、他に建物はなく雑木林があるだけ。細い道路を挟んだ向かい側に白里霊園という、一軒家5軒分程の面積の墓場があり、不気味さを醸し出している。車で5分ほど行けば住宅街に出るし総合病院なんかもあるが、コンビニやスーパーはない。まぁ、彼らには必要のないものだ。ますます喰種である疑いが濃くなり、久々に緊張を感じた。けれど半喰種になったこの身体ではそう簡単には死なない。その点に関しては人間だった頃より幾分気分が楽だ。
「行くぞ」
「……うん」
瓜江が傘をそっと畳んで地面に置き、2階へと続く錆び付いた階段に一歩踏み出した。私もゆっくりとそれに続く。
「おい、あまり音を立てるな」
「そうは言われてもね……」
階段は登るたびにぎしりと音を立て、足音がカツンと響く。階段と廊下は外に面していてかなり狭い。かろうじてあるだけの屋根はところどころ穴が空いていて、時々ぼつりと大きな雨粒が体に落ちる。このアパートの一階には101号室に年金暮らしの老人が一人。2階の203にターゲットとなる50代の男性が一人暮らし。なぜか隣の202号室の部屋も借りているというその男性と、一階の老人以外、ここには誰も住んでいない。今年で78になる独り身の大家のせいで、管理の届かない錆び付いたアパートになっているのだという。
「角部屋か……」
廊下を進み、一番端のドアに書かれた203の廃れた文字を、瓜江が指でなぞる。よくあるフェイクの板目の使われた、安っぽいドアノブ式のドアだ。ドア横のポストは開きっぱなしで、何も入っていない。玄関のすぐ横にキッチンのあるタイプらしく、ドアの横にはスライド式の磨りガラスの小さな窓がある。そこが少し開いているのに気づいて、私は瓜江の肩を叩いた。
「窓が少し開いてる」
小声で呟くと、瓜江がそっと小窓を覗き込んだ。
「……キッチンに調理器具が何もない。怪しすぎる」
瓜江の後に続いて窓を除くと、そこには言う通り調理器具も食器も調味料すらない、まっさらなキッチンがあった。そして微かだが雨による泥土の臭いにまぎれて、甘い臭いがする。べっこう飴のようなほんのりとした香ばしい甘い香り。この臭いを、私はよく知っている。
「微かだけど、血の匂いがする」
「……決定だな。突入する」
瓜江がクインケを構え、さらに赫子を出す準備とばかりに肩をひねる。いきなり突入する気らしい。
「ちょっと待って…!その前に佐々木一等に連絡を、」
「必要ない。待ってるだけ時間の無駄だ。俺たち(というか俺)だけで済ます」
高圧的な瓜江の口調に、顔を顰める他ない。このままではまずい。危険という意味では問題無いが、もとは喰種と確定した時点で班の全員で情報共有し、討伐にあたる算段のはずだ。これではチームというよりただの単独討伐になってしまうし、万が一逃がしてしまったら示しがつかない。
「ちょっとまっ……!?」
ドアをぶち破ろうとクインケを構えた瓜江の腕を掴もうとした瞬間、ギシリと軋むかすかな音が頭上から聞こえた。
「え、」
上を見上げたが、もう遅かった。脈打つ赤黒い赫子を纏い、不気味に笑う男が視界いっぱいに映る。屋根から、男が落ちてくる。それはまるで、スローモーションのように目に飛び込んできた。このままでは瓜江に直撃する。彼は目を見開きクインケを構えているが、多分先手には間に合わない。私は咄嗟に足を踏み出して瓜江を突き飛ばした。彼は体勢を崩して壁に衝突し、そのまま倒れこむ。それを見届け、私の身体は半ばめり込むようにして廊下へうつ伏せに倒れた。鉄のぶつかる音、液体の飛び散る音、鈍く奇妙な音。様々な音が交じって奇妙な音を立てる。それと同時に、ぶつり、と、鈍い音が体の内部から聞こえ、腹部に違和感、猛烈な痛みを感じた。
「うっ…ぁああ!!!」
瓜江を庇ったばかりに、落ちてきた男がそのまま赫子で私の腹部を貫いたのだ。猛烈な痛みと同時に、じわじわと生温かい血液が自分の中から逃げて行くのを感じる。痛みに呻くことしかできないが、背の上から男の荒い息遣いがするのはわかる。突き飛ばされた瓜江が、すぐに体勢を立て直し、男にクインケを振りかざす。それを避けようと男が後ろに下がるが、それによって腹に刺さった赫子が勢いよく引き抜かれることになる。肉が抉られ、内部の骨が擦れる感覚は悍ましい限りだ。あまりの痛みに混乱しつつ、ひたすら絶叫する。そんな私に見向きもせず、瓜江は私を跨いで男ににじり寄っていく。
「本当に来やがったな。鳩が」
本当にきた、とはどういう意味なのだろう。痛みに呻きつつも冷静さを必死に取り戻し、腹部に力を込めた。再生はできるが時間がかかる。普通の人間なら痛みで気絶するだろうが、生憎この身体ではそうもならない。
「弱そうな甲赫だな。Bレートか」
瓜江が右腕を振り上げると、背から赫子飛び出した。なるべく赫子ではなくクインケを使うようにという佐々木一等の言付けは、全く意味を成していない。
慌てて舌打ちをし、男はその場を飛び出した。どうやら飛び降りる気らしい。地面に足をつける鈍い音が聞こえ、その後を追って瓜江もまた走り出していく。待ってと呼びかける暇もない。視界に誰もいなくなるが、下からはいくつかの足音とそれに伴う雨の水音が聞こえた。それは段々と遠ざかり、やがて聞こえなくなる。瓜江はこちらに見向きもしなかった。そこで気付く。彼には一つ、重要な感情が抜けているのだ、と。
「うそ……おいてかれた……」
生温かい血が身体の下を満たし、横殴りの冷たい雨に紛れて廊下を流れていく。普通なら仲間の応急処置をし、逃亡した喰種の討伐応援を要請するところを、まさか放置されるとは。肺がチクチクと痛み、大きく息を吸い込むと、喉の奥がつっかえて無様に吐血してしまう。再生が遅すぎる。普段ならもう治っていそうなものを、生憎昨日から空腹で力が出ない。とにかく、佐々木一等に知らせよう。痛みに呻きながら、うつ伏せのまま手探りでポケットから携帯を取り出そうとするが、血濡れた布に阻まれてなかなか取り出せない。やけくそになって思いっきり引っ張ると、勢い余って携帯は手から離れ、目前を滑り飛んでいく。目先から1メートル近く離れたところで止まったが、体を這っていかないと届きそうもない。
「ぅあっ……も……バカ……」
「あぁ。バカだな」
「っ……!?」
カン、と錆びれた金属の床を踏む音と、冷たい男の声。一瞬のことだ。気づくと目の前に二本の足があった。生憎床にうつ伏せのため、何者なのか確認できない。そして、ちょうどその足の近くにあった携帯が、黒いブーツにゆっくりと踏まれる。ピシリと、画面が割れた。気配などなかったはず。息を呑んで無理矢理頭を上げると、そこには見覚えのある者が立っていた。
「……よォ」
「ラ…ビット……?」
不気味な兎の面を被った喰種。間違いない、私が失踪する前アキラさんと追っていたSSレートの喰種。そしてあの日、私を拉致したと推定されている者。ラビットだ。
「久々に見かけてつけてきたが……すっかり鳩に戻ったらしいな、エリカ」
鳩に戻った……?こんな状況でSSレートと対峙するなんて、勝ち目はない。ついに、ここで死ぬのか。ドクンドクンと心臓が高鳴り、息は荒くなっていく。
「なんだ、俺のことは忘れたのか」
呆れた声の後、面に手が伸ばされた。ゆっくりと外された面の奥、冷たく見下ろす男の顔を、私は知っていた。
「うっ……ぁ……」
頭が燃えるように痛い。なぜかわからないが、私は彼を知っている。急に襲う頭の痛みに、両腕で頭部を抱え込んで呻いた。ビルの隙間を猛スピードで飛んでいくような残像、悲鳴、たくさんの声、ぐるぐると脳が回っているような気持ち悪さと痛み。意識を失ってしまいそうだ。
「ぅあ……、うぅ……」
「ダメか」
ぼそりとそう呟くと、彼の背中から、赤い羽が飛び出した。赤く燃え上がる炎のような羽赫。赤や紫、黒の様々な色にはためく美しい羽。その美しさに相反し、背からは這い上がってくる恐怖。羽赫から生成される無数の結晶が、今にも飛んで肉を貫かんとしている。
「死ぬなよ」
私は、あなたを知っている。
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寝耳にミサイル