儚世
ただ真っ白な無臭の、冷たくも温かくもない不思議な空間に、私はいた。地面にはたくさんの白い彼岸花が咲いて、どこまでも先まで続いている。死後の世界、というやつなのかもしれない。ふと後ろを振り向くとそこには、葉も花もつけていない、痩せこけた木が立っていた。その木陰に、黒い髪の少年が座っている。彼は私に気づいていないようで、よく見ると手元には分厚い本があった。読書をしているらしい。私はゆっくりと、その木に向かって彼岸花の中を歩いた。しゃらしゃらと花が足に当たる感覚は、妙に現実的だった。
「こんにちは」
私が声をかけると、彼は驚いてびくりと肩を震わせたあと、こんにちは、と小さく声を上げた。怯えたような不安げな目をして、本をぎゅっと握りしめている。年は、14歳くらいにみえる。
「何の本読んでるの?」
そっと尋ねると、彼は読んでいた本の表紙を私へ向けた。「虹のモノクロ」変に矛盾しているタイトルだ。聞いたことがない。特別言うこともなく、そうなんだ、と呟くほかない。それより、なんだかこの子は顔立ちが誰かに似ているような、既視感がある。
「僕を食べるの?」
「え?」
急に、少し後ずさりながら彼が言うので、私は固まってしまう。なんでそんなことを。
「食べたりしないよ」
「じゃあ何しに来たの?」
「えっと、それは……わからなくて……」
ここは一体、何なんだろう。もう一度辺りを見回すが、やはり一面の白い彼岸花があるだけだった。
「じゃあ、僕とずっとここにいてよ」
縋るような目が、私を射抜いた。やっぱり既視感がある。私の方へ、ゆっくりとおそるおそる、手が伸ばされる。どうしよう。よくわからないし、まあいっか。震える彼の手をそっと握ると、それはほんのりと温かかった。そしてその手を握った瞬間、急に太陽の光のような、焼け付く明かりが目に飛び込んだ。咄嗟に右手で目を覆って、ぎゅっと目を瞑る。
しばらくそうしていると、何だか前にも聞いたことのある音が聞こえ出した。一定のリズムを刻む、機械音。そして、つんとした匂いが鼻をかすめる。なんだっけ。私はおそるおそるそっと目を開けた。案の定、光が差し込んでくるが、さっきのよりいくらかマシだ。薄目開けたその先には、長細い明かりが見える。なんだ、これって……
「……は………、」
しっかりと、瞼の上がる感覚がした。目の前には壁と蛍光灯。つまりは天井だ。身体はどこかに横たえているらしい。ふと頭を動かして辺りを見回すと、心音器に点滴、サイドテーブルの上のたくさんの花。なんだ、病院じゃないか。手足を動かすと、しっかりとした感覚があった。身体のどこにも痛みは感じない。
もしかして、私は……死んでない?
半信半疑で上半身を起こすと、容易に持ち上がった。ふと顔に違和感を感じて右手をのばすと、口には呼吸器がはめられている。特に必要もなさそうなのでむしり取って、ふう、と一呼吸した。至って、正常だ。
「……生きてる。」
唖然と、私はそう呟いた。なんださっきのは夢か。大喜びするところなのにすっかり呆気に取られてしまって、私は手をぐーぱーしようと持ち上げる。しかし、さっきから妙に左手だけが重くて動かないことに気付く。ふと目線を左下にやると、そこには、ベッドに突っ伏す見慣れた白髪頭があった。
「……ん、……。」
手に力を入れると、彼は呻いて身じろいだ。私の左手に手を重ねて、ぎゅっと握ったまま、佐々木一等が横で眠っている。背もたれなんてない簡易的な小さな椅子に座って、頭だけベッドに擡げる彼の頬に、微かに涙の通った軌跡があった。
途端に安心感がこみ上げて、なんとも言えない胸のざわつきと、目頭の熱くなる感覚がした。生きている。それをこれほど嬉しく思ったことはない。目の前で眠る彼が、とても愛おしく尊く感じた。我慢できずに涙ぐんでしまったけど、嬉し涙だから許してほしい。私はその手をぎゅっと握りかえして、もう片方の手で彼の頭を包むように抱き込んだ。細くてふわふわした髪の毛が、頬にあたる。シャトーに置いてある、同じシャンプーの甘い匂いがした。
「ん、……あれ………?」
さすがに起きたのか、もぞもぞと動き出す佐々木一等に気づいて、私は慌てて退いて目に残った涙を拭き取った。どうしよう。どんな顔しよう。あれこれ考えているうちに、んー、と気怠そうに頭を起こした佐々木一等と目が合う。眠そうに細められた目は急に見開かれ、彼は微かに口を開いたまま静止した。
「……おはようこざいます。」
何を言ったらいいのかわらなくて、咄嗟にそう言って微笑んだ。そんな私を見て彼はきゅっと口を結んで、眉間に皺を寄せる。何かを堪えるような、そんな顔。それから1秒しないうちに、身を乗り出した彼の両手が、私にのばされる。そしてなにも言わずに力強く、ぎゅっと抱きしめられた。少し痛いけど、あったかくて心地がいい。
「……遅いよ。」
ぼそり、と彼が呟く。声が震えていた。どうやら長いこと、眠っていたらしい。
「遅かった、ですか。」
「……うん。」
「寂しかったですか。」
「…うん。」
耳元で鼻を啜る音が聞こえて、私は涙ぐみながら笑った。
「人のこと泣かせるし、自分もすぐ泣くし、私、最低ですね。」
「……そうかもね。」
きっと彼は今、泣きながら少し笑っているんだろう。私はそっと微笑んで、その温かい背中をぎゅっと抱きしめ返した。
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寝耳にミサイル