綺錯



「それで私、どれくらい寝てました?」

「12日。もう目を覚まさないかも、って柴先生は言ってたよ。」

「……そうですか。」

ふとサイドテーブルを見ると、そこには3つの花瓶があって、様々な花が飾られていた。窓辺にもいくつか鉢がある。どの花も綺麗に咲いていて、管理されている。きっと、彼は毎日ここに来てくれたんだろう。

「よかった……本当に。」

彼はそう言うと、ぽんぽんと優しく私の頭を撫でて、くっついていた体をそっと離すと、椅子に座り直した。

「あんまりやるとセクハラになっちゃうからね。」

すっと鼻を啜り、涙の残った目を擦ったあと、彼は笑った。いつもの彼の、悪戯っぽい笑みだ。安心して、私も応えるように笑った。

「そう言えば、私、どうやって助かったんでしょう?もうダメだと思ってたんですけど……。」

ふと気になって尋ねると、佐々木一等は一瞬、バツの悪そうに顔を歪めた。

「えっと……僕が急いで柴先生のところに連れて行って、それでなんとかね……。」

「……そうだったんですか。ありがとうございます。」

不意に顎に手をやって目をそらす佐々木一等になんだか違和感を感じたが、深く聞いてはいけないような気がして私は口をつぐんだ。

「菊池さん。」

「……はい?」

「ずっと聞きたいことがあったんだけど。」

急に呼ばれてどきりとした。遠慮がちにそう言って目を逸らし、わしゃ、と彼は自らの頭を鷲掴む。なんだろう。私は心臓が高鳴るのを感じて、落ち着こうとそっと深く息を吸った。

「あの時、なんて言おうとしたのかなって。」

「……あの時?」

「気を失う前。覚えてる?」

ぎくり。冷や汗がこめかみ辺りに浮き上がる。ああそう言えば、最後にとんでもないことを言おうとしたんだった。生憎最後にならなかったわけだけど。どうしよう。無事に生還した今、果たして言っていいものなのか。

「ああ、あれ……あれですか……。」

「最後に頼みがあるって言うのに目閉じちゃったから、一緒に死んでやろうかと思ったよ。」

「それは困ります……。」

ああ、どうしよう。死ぬ間際にして気づいてしまった、異性として彼が好き、ということ。ここで私が素直に言ってしまえば、上司と部下という関係は崩れてしまうかもしれない。良い意味で、ならいいのだけど、問題は悪い意味で、の方だ。彼は天然気質で私をどう思ってるかなんてわらない。「部下として慕っているだけで、僕はそんな気はないんだ。」なんて言われたら気まずくてシャトーにいられたもんじゃない。

「うーーーん……。」

頭を抱え込んで唸る私を、佐々木一等が心配そうに見ている。

「えっと…あの……うーーん…。」

「菊池さん?」

「あのですね、あの……えっと……。」

「無理に思い出さなくていいよ……?」

「いや、そうじゃなくて……覚えてるんですけど……。」

そこで、アキラさんのあの言葉を思い出す。『後悔だけはするなよ。』ごもっともな言葉だ。案の定、今回死ぬ間際に後悔する羽目になった。一度きりしかない人生だ。当たって砕けた方がまだ死ぬ時には悔いなく逝けるというもの。駄目なら駄目で上司と部下でいればいいだけの話だ。

「菊池さん無理に言わなくても、」

「言います!」

「えっ、あっ…そう、」

「キスしてください。」

「うん、……はっ!?」

決断したんだから早く言ってしまおうとしたのだけど、あまりに早い展開に佐々木一等がついて来れていない。戸惑いの顔を浮かべて固まる彼に、仕方なく私はもう一度言った。

「キスしてくださいって、言おうとしました。」

「………そっ…か。……そうなんだ。」

ぼそりとそう言うと、佐々木一等は項垂れて、片手で顔を覆った。そしてしばらくの間、沈黙が続く。10秒くらい経って、今度は両手で顔を覆った後にふぅ、とため息を吐くので、私は確信した。これ多分、駄目なやつだ。

「……なんか言ってくださいよ。」

沈黙に耐えかねて、拗ねたようにそう言った。するといきなりガタンと音を立てて佐々木一等が椅子から立ち上がるので、私はびくりと驚いてしまう。

「菊池さん、」

「……はい。」

「今、してもいい?」

は、と口を僅かに開けたまま、静止してしまう。まさか。目の前で私を見据える彼は、頬をほんのりと赤く染めて、真剣な顔している。もちろん答えはイエスなのに、焦ってしまって私は何も言葉が出てこない。中学生じゃないんだし、キスくらい簡単に済ます大人の余裕が欲しいところだが、現実はそう上手くはいかない。

見兼ねた佐々木一等が、そっと身体を屈めて近づいてくる。右手をベッドにつくと、ギシ、と軋む音がした。そしてそっと左手が頬に優しく添えられる。顔がだんだんと近づいて、一度こつんと額と額合わせて、佐々木一等が微笑んだ。相変わらず、綺麗な顔してるなぁ。壊れそうなくらいに忙しない鼓動を聞きながら、私はそっと微笑み返して、ゆっくりと目を閉じた。それからすぐに、柔らかい唇が私のそれにあたって、少し吸うように啄ばまれると、ちゅ、と音を立てて離れた。

ゆっくり目を開けると、まだ鼻の先に佐々木一等がいて、じっと私を見つめていた。なんだか物足りない。薄く開いた彼の唇にそっと指で触れると、それを合図にもう一度唇が触れ合った。今度は緩く食むようにして、角度を変えて何度も交わされる。私は左手で彼の右腕を掴み、右手をそっと首の後ろに回してうなじを撫でた。しばらく弄り合い、最後にリップ音を立てて、名残惜しげに唇が離される。

「さ、さき…いっとー……」

「……うん。」

はぁ、と互いの温かい吐息が交わる。すっーと誘うように佐々木一等の左手が首筋を撫でるので、私はたまらず彼のネクタイを引っ掴んだ。

「もいっかい、おねがいします、」


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寝耳にミサイル