払底
「そろそろ買い物行かないとなー。」
冷蔵庫の中はがらんとしていて、粗末なものしか残っていない。充分目の届いてしまう奥の壁に、冷気の煙が流れるのを見た。ここ最近、仕事の忙しい日々で息を吐く暇もなかった。やっともらえた休日、昼前には掃除や洗濯を済ませて、さて食事を作ろうとしていたところだ。けれどこれでは出来合いの、質素なものしか作れそうもない。
「食料品ですか?」
リビングでくつろいでいた彼女が、こちらに呼びかけてくる。無造作に棚に置かれた、買った覚えのない安っぽい魚肉ソーセージ。それの賞味期限を確認しながら、僕はため息を吐く。
「うん。近くのスーパーにでも行こうか。」
「えっ……私は遠慮します……外暑いし。」
ぼそりと、小さな返事が返ってくる。そう言うと思った。梅雨も明け、夏本番となった最近、彼女はいつも気怠そうにしている。本人曰く、暑いのは苦手で、夏が一番嫌いなのだと言う。僕は冷蔵庫を軽く閉めて、リビングへと向かう。彼女には悪いが、一人では手が足りない。それに、休日くらいは一緒に出かけたい。最近は仕事続きで、事務的な会話しかしていないのだから。
「ダメ。一緒に行く。」
彼女の開いている雑誌を閉じて、ローテーブルに放る。こればっかりは、仕方ない。他の班員は連日の任務で疲れ切っている。多分夕方頃まで起きてこないだろう。毎回仕事続きの後の休日はこうなる。僕と彼女は体力や回復力に余裕がある。休日も朝には起きてしまうので、二人で溜まった家事やらなんやらをするのが恒例だ。
「私食べないのに……。」
気怠そうにぼやいて、彼女はソファに身を沈めようとする。その両腕を掴んで引っ張り上げると、観念したようで、ため息をつきながらも立ち上がるのだった。
「外嫌だなぁ……。」
「上官命令。」
「……職権乱用。」
彼女は渋々と、ローテーブルに置かれた財布と携帯を手にとって、ふらふらと玄関へ歩き出す。僕もその後を追って、財布を後ろのポケットへと突っ込んだ。
「日焼け止め塗らなきゃ…!」
玄関で、ラフなサンダルを履いた彼女が、思い出したようにそう言った。よくあるいつもの光景だ。僕は玄関の横の棚に常備してある、少し高めの日焼け止めを手にとった。
「塗ってあげようか?」
「いっ…いいです、自分でできます…!」
冗談半分でそう言うと、少し照れたように目を逸らして、慌てて僕の手から日焼け止めをひったくる。可愛らしくて、思わず笑ってしまった。けれど次の瞬間、彼女の露出した脚に白い液体が伸ばされていくのを見て、そんな余裕はなくなった。いつもはスーツ姿だが、今は少し胸元の開いたノンスリーブのシャツに、ショートパンツ姿。ラフな部屋着のままだ。露出が多いなぁ。そう思いつつ、僕はそっと彼女から視線を逸らした。
◇
ジリジリとした暑さに耐えながら、アスファルトを歩くこと10分。遠くの地面には、薄っすらと陽炎が揺らいでいる。Vネックの白Tシャツにはじわりと汗が滲み、黒のアンクルパンツには熱が篭っていた。隣の彼女と言えば、ひたすら「暑い」という言葉を呪文のように繰り返している。そんな状況の中、やっと辿り着いた大型スーパーは、日曜というのもあってかなり混み合っていた。ホームセンターやファストフード店なんかと融合しているせいもあるのかもしれない。やたらと家族連れが多く、賑わっている。着くや否や、彼女はまるで水を得た魚のように、自動ドアに足早に駆けていった。
「ふぁ〜〜涼しい〜……死ぬかと思った……。」
「たった15分でしょ……。」
そう言いつつも、冷気を浴びた途端、生き返るようだった。入り口付近で一息ついてから、カートを一つ持ってくると、すかさず彼女がその上にカゴを乗せた。混み合ったレジの横を抜ける間、こうして歩いていると、なんか夫婦みたいだなぁ、なんて、思ったりする。けれどその時、ふと彼女が足を止める。
「エリカちゃん……?」
止まって呼びかけるも、彼女はある一点に目を向けたまま。その視線の先は、スーパー内にある小洒落たベーカリーだった。こんがりと焼けたパンがずらりと並び、客で賑わっている。
「あのパン屋、好きだったな…って。」
ぽつりと呟やかれた言葉。あまりにも悲しげで、僕は何も言えなくなってしまう。
「けどもう、味忘れちゃった。」
かと思いきや、けろりと笑ってみせる。何事もなかったかのように、歩き出す彼女。沢山の人の行き交う店内で、なんだか僕たち二人だけ、浮いてしまっているようだった。
「なんか馬鹿みたいですね。こんなとこで、こんなの。私たちには意味ないのに。」
トマト缶を手に取りながら、彼女が不意にそんなことを言う。その言葉が、ぐさりと胸に突き刺さるのを感じた。
「……そう?僕は楽しいよ。料理も好きだし。」
そう言いながらも、自分の言葉にどこか虚しさを感じた。料理を作りながらいつも思う。もし僕が普通の人間だったら、これはどんな味がするんだろう?と。それでも作ったものを食べてもらい、「美味しい」という感想を聞くだけで、食の楽しさを共有している気分になれた。けれど、彼女は違うのだろう。僕の言葉を聞いたきり、彼女は何も言わなかった。
それから、あれやこれやとカゴに収めていき、最後に、いくつかお菓子でも買っていこうかとコーナーへ移動した。そこで僕が班員たちの好きなお菓子を淡々と掴んでいく中、彼女はまたしても動きを止めて、ぼっーと向こうの方を見ていた。少し離れたところにある駄菓子のコーナー。そこには、兄妹と思われる小さな子ども二人が、お菓子を眺めていた。そしてついにそのうちの一人が、お菓子をいくつか引っ掴んで、近くにいる母親の元へと持っていく。けれど当然の如く叱られ、結局その中の一つだけが買い物カゴの中に収まる。その様子を、彼女が微笑ましげに眺めていた。
「エリカちゃん……子ども好きなの?」
「え?あぁ……ただちょっと見てただけで……特には。」
どこか気まずそうに笑う彼女。その様子に、僕は少し後悔する。今日ここに連れて来たのは、失敗だったかもしれない。楽しいことだって沢山ある。けれどふとした瞬間、虚しさを感じずにはいられない。そんな生活に、彼女は疲れ切っているようだった。
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寝耳にミサイル