希薄



「……もう大丈夫です。ありがとうございました。」

「さっきくらいの量で足りそう?僕はいつもあれくらいなんだけど。」

「……はい。」

汚れたシーツや服を変えて、私たちは再びベッドへと腰を下ろした。ネクタイを締めながら、心配そうに佐々木一等が私を覗き込む。今は体調も良く、満腹感に満たされている。先ほど、急遽本部から不知二等が持ってきてくれた"人間の肉"を、私は全て平らげた。佐々木一等の肩口では当然足りなかったのだ。出処は、死刑囚の遺体を安置所から譲り受けたものらしい。最初は嫌で泣いて拒んだが、またあのような状態になったら危険だと佐々木一等に宥められて、仕方なく食事をした。赤黒い塊を噛み締めながら、私は彼が今までどんな思いで生きてきたのか、初めて悟ったのだ。彼だって好きで喰種になったわけではない。それなのに、私は……。

「すみませんでした。」

「ん?ああ、これくらいならすぐ治るよ。ほら。」

彼は笑って、ぱんぱんと自らの肩を叩いた。そういう意味の謝罪ではなかったのだけど、私はそんな彼を見て苦笑した。

「それもすみません。でももう一つ。」

「ん?」

「気分悪くしたらごめんなさい。」

「いいよ、言って。」

「私嫌だったんです。ここに入るの。自分がもう人間じゃないの、認めたくなくて。一緒にされたくないって。」

思い切って胸の内を晒すと、彼は一瞬驚いて目を見開いた。怒るかな。そう思ったが、予想は覆される。一呼吸置いた後、彼は悪戯っぽく笑った。

「じゃあ僕も言っていい?」

「え?」

「気分悪くするかもしれないけど。」

「……はい。」

「最初に有馬特等に君の状況を聞いた時、僕は嬉しかったんだ。」

廊下から差し込む明かりをぼんやり見つめながら、彼は閑かにそう言った。

「僕は喰種になる前の記憶もなくて、気づいたらここにいたんだ。まるで自分が自分じゃないみたいで、僕は空っぽだった。人間でも喰種でもない、皆人間として僕を扱ってくれるけど、心の底ではどう思ってるかわからない。僕には何もない。いつも一人だと思ってた。でも君のことを聞いた時、仲間ができた気がして、嬉しかったんだ。」

私は静かに、彼の紡ぐ言葉を聞いた。ああ、そうだったんだ。2年間も彼は、こんな状況を一人で耐えてきたんだ。涙腺が緩んでいる私の目からは、またぼろぼろとだらしなく涙がこぼれた。私の嗚咽を聞いて、佐々木一等が慌ててこちらに振り向く。

「うわっ!ごめん、こんなこと!不謹慎だよね!?どうしよう、泣かせちゃった!」

慌てて私の背中をさすって謝る彼に、私は何度も首を横に振った。

「でも……っ…二人しか……いないじゃないですか……。」

一人ではなくなっても、私たちは二人ぼっちだ。人間にも喰種にもなれず、溢れ者のままここで生きるしかない。

「……そうだね。でも僕は、君が来てくれて嬉しいよ。」

彼は悲しそうに微笑んだ。よく笑うのも、優しいのも、そうしていないと崩れてしまうからなのかもしれない。空っぽだから。きっと人間以上に、人間らしく振る舞いたくなるんだ。

「菊池さん、死んじゃおうとして色々試したでしょ?」

「え?」

佐々木一等が突然また悪戯っぽく笑って聞くので、私は拍子抜けして少し涙が引っ込んだ。

「キッチンの包丁がいくつかなくなってるし、風呂場のドライヤー水没して壊れてたし、カーテンの紐もなくなってて、ダイニングの椅子はなくなったと思ったら……そこにあるね。」

彼の視線の先には、倒れた椅子と、その上にぶら下がったちぎれたカーテンの紐。彼の言う通りだ。なくなったものは全て私の部屋にある。私はここ数日真夜中に、いろんな方法を用いて自殺を試みていた。しかし、包丁で刺しても包丁の方が折れるし、風呂場での関電自殺は一瞬気絶しただけで失敗に終わり、首吊りはカーテンの紐が負けてちぎれ、すぐに床へ落とされた。笑えてくるくらいに、私の体は丈夫になってしまった。

「あ……はい。色々試しました。でも全然ダメで。」

「やっぱり。なんか僕の時のことを思い出すなぁ。」

「佐々木一等もやったんですか?」

「やったよ。菊池さんよりも色々ね。もう最後の方はさ、自殺しようっていうより、こうしたらどうなるんだろう?みたいな実験に近かったね。」

普通なら深刻になる話題を、佐々木一等が楽観的に話すので、私は少し気が楽になった。自分と同じ状況の人がいるというだけで、なんだか安心する。

「最後はアキラさんに、もう充分死んだんだからさっさと働けって言われちゃったよ。」

ははは、と開き直ったように笑う彼に、私は苦笑した。アキラさんが言いそうなことだなぁ。

「あ、そろそろ僕は行かなくちゃ。」

「今から任務ですか?……23時ですけど。」

「いや、瓜江くんがまだ帰ってなくてね、探しに……。」

今度は呆れ顔で盛大にため息をついて、彼はベッドから立って大きく伸びをすると、自らの手で頬をパンパンと叩いた。

「さ、行こうかな。」

クインクスたちは纏まりが悪く成績も悪いと聞いたし、まとめる側の彼も大変なのだろう。

「明日は皆非番だから、今度こそ集まって挨拶しようね。」

「あ、はい。」

「それじゃ、おやすみ。」

「……おやすみなさい。」

彼はひらひらと手を振って、重い足取りで部屋を出て行った。佐々木ハイセ。彼は空っぽで、そしてとても優しい。もう少し、やれるだけ頑張ってみよう。これからも捜査官として。


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寝耳にミサイル