叢雲



何やら一階が騒がしい。昨夜の件もあってなかなか寝付けず、眠りの浅かった私はすぐに目が覚めた。時計を見れば朝の8時すぎ。彼らはいつも7時に朝食を食べているらしいので、どちらかというと遅い時間だ。そういえば今日は彼らは非番で、私は挨拶をする予定だった。急いでベッドから起き上がり、肩下まである長い髪を手ぐしで整えてから廊下へ出た。小走りで駆け抜けて一階へ続く階段を降りたが、途中でただならぬ声を聞いて私は足を止める。

「どうしてチームで行動できない?君たち二人とも勝手がすぎるよ」

「いやだってサッサン、瓜江がよォ」

「人のせいにするな。お前が勝手についてきた」

「瓜江くん、何度言ったらわかるの?単独行動はするなって言ったよね」

「み、みんな落ち着こうよ……」

惨状、と言っていいだろう。元々クインクス班はうまく機能してないときいたが、想像以上だった。若いというのもあるが、著しく協調性にかける者が多いように思う。佐々木一等もイマイチ覇気がないから、こうなってしまうのだろう。

ダイニングテーブルには彼が用意した色とりどりのサラダとテーブルロール、スクランブルエッグにベーコンが並んでいるのに、彼らはリビングで立ったまま言い争いをしている。非番だからか皆スウェットやトレーナー、ジャージ姿で、はたからみたら上司と部下の言い争い、と言うよりは兄弟喧嘩に見える。かくいう私も特に色気もない襟のついたロングのネグリジェ姿なのだが、とても男しかいない論争の輪には入って行けそうにもない。

私はこっそりと彼らに気づかれないように階段を降り、目の前にあるダイニングのテーブルへゆっくりと歩いた。程よく火の通ったスクランブルエッグと、こんがりと焼けたベーコン、バターの染み出したパン。まだ湯気が立っている。この体になっても、未だに辛うじて見た目だけは「美味しそう」だと思える。ただ臭いがキツく、実際に口にすると死ぬほど不味い。ふとテーブルの角に、コーヒーの入った4つのカップがあることに気づいた。そういえば、喰種であってもコーヒーは飲めると柴先生が言っていた。少しならいいかな。リビングの言い争いを横目に、私はそっとカップを一つ手にとった。湯気が鼻に当たって、良い香りが身体に染み渡る。この香りは、以前と何も変わっていない。美味しいコーヒーの匂いだ。私は少し緊張しながら、ゆっくりとカップへ口を付けた。

「……美味しい」

「……え?」

しまった。慌ててカップをテーブルに戻し、片手で口を覆った。つい感動して口から言葉が出てしまった。その声に反応して彼らは全員動きを止め、こちらに振り向く。気まずい。とても気まずい。

「あ…菊池さん!おはよう…!」

「お、おはようございます…」

「うお!初めてまともに見た!新入りさん!」

「わ、綺麗な人…!」

「……………(気配を消すのが上手いな)」

興味津々といったようにこちらを見るクインクスたち。その中でも特に興奮気味の金髪の彼が、ズンズンとこちらに向かってきて、思わず後ずさりしそうになる。

「三等の不知吟士ッス。よろしく〜〜!」

「菊池エリカ二等です。よろしく」

握手を求められたので、そっと手を差し出して社交的な笑みを浮かべて見せた。彼もまた少し照れながら笑顔でその手を握り、ぶんぶんと軽く振る。感じからして単純で直球、単細胞…といったようだが、悪い奴ではなさそうだ。続いて眼帯をした小柄な男の子が挨拶をしてくれた。六月くんというらしい。彼はとても内気でか弱そうで心配だ。しかし問題は、

「……瓜江久生二等だ」

「…よろしく」

淡々と抑揚のない言葉を発する彼は、なんだか掴みどころがなくて何を考えているかわからない。先ほどの言い争いを聞くにも、佐々木一等と彼はどうにもそりが合わないようだ。

「……なんだか見苦しいとこ見せちゃったね」

「そッスね〜〜」

「でもこれで女性が2人になりましたし、才子ちゃんも部屋から出てくるようになるかもしれませんね」

「え、まだいるの?」

思わず聞いてしまった。確かにクインクスは4人と言っていたのに、ここにいるのは3人だけ。けれどここにきてから一瞬誰かを見かけたりすることはあっても、女性は一切見ていない。

「いるんだよ。でも全然部屋から出てきてくれなくてね……」

佐々木一等が深いため息をつく。勤めて給料もらっている身で何事だ。そうは思うがなんせクインクスという特殊な立場。仕方のない状況なのかもしれない。

「あとで部屋に挨拶に行ってみますね。仲良くなれるよう、色々と話してみます」

「本当!?助かるよ!」

佐々木一等が目を輝かせてガッツポーズをするので、私は思わず少し笑ってしまった。今の時点でこの班は相当纏まりに欠けている。彼も必死なのだろう。そんな姿を横目で見る瓜江の視線に、突き刺すような鋭さを感じる。ダメだな、こりゃあ。

「あ、そうだ!今日は皆非番だし、菊池さんの歓迎も兼ねてみんなでどこかへ…」

「僕ちょっと用があるのですみませんが、これからすぐに出ます。」

「え、ちょっと瓜江くん!」

「あっ!さてはこの前のA級狩りだな!抜け駆けはずりーぞ瓜江ェ!」

佐々木一等の言葉を遮って、瓜江が淡々と告げる。こちらに目もくれずに、さっさと自室へと行ってしまう。そしてその後をついて行く不知くん。なんという可愛げのなさ。

「瓜江くん!勤務外に喰種相手に勝手に行動するのは禁止だよ!」

階段を登り切り、角を曲がってついに見えなくなった瓜江に向かって、佐々木一等が一層大きな声で呼びかける。それに反応して、ひょこりと壁から頭だけのぞかせた彼は、早口で言った。

「喰種狩りに行くんじゃありません久々の休暇に友人に会いに行くんです悪いですか?」

「またそんなこと言って……」

「俺はお前に着いて行くからなァ!瓜江!」

「やめろ。迷惑だ」

「ああもう……」

佐々木一等は諦めたようにため息をついて、両手で顔を覆った後、後ろのソファへ深々と落ちた。六月くんは下を向いてしゅんと萎れてしまっている。これはもうチームワークどころの話ではない。

「ごめんね菊池さん……」

「いえ、私のことは気になさらず。今日は買い物に行こうと思ってたので。こっちに来てから色々足りないものもあるし」

「そうなんだ。じゃあ、六月くんと僕も一緒に、」

「あ、あの、俺今日はこれから柴先生のところへ健診に行かないといけなくて……すみません……」

六月くんが申し訳なさそうに頭をぺこりと下げた。そんな、いいのに。本当のところ、買い物は一人でゆっくりしたい。

「そういえばそうだったね……」

「じゃあ、私は買い物に行ってきますね。車お借りしても?」

「あ、僕も行くよ!」

佐々木一等が慌てて急に立ち上がる。私は内心焦った。洋服や下着類の買い物に、よく知らない異性の上司と二人で……なんて生きた心地がしなさそうだ。アキラさんなら大歓迎だけれども。

「あの、一人で大丈夫ですよ」

「でもほら、荷物とか重いし!」

「車があれば問題ないです。佐々木一等は疲れてらっしゃると思うので、買い物に付き合わせるのは気が引けます。今日はゆっくり休んでください。夕方には戻りますので、帰ったら一緒にコーヒーでもどうですか?」

ここまで言ったら大丈夫だろう。そう思い作り笑みを浮かべる私に、少し気まずそうな顔をした佐々木一等が重々しく口を開く。

「あのね……言い忘れてたんだけど、君の任務外での外出は僕の付き添いが必要になったんだ」

「……え?」

「昨日のことで上が命令を……。君は僕よりも空腹になる周期が早いみたいなんだ。まだ安定してないし、力をコントロールできるまでは、外出は僕と一緒でないと許可できない。車の運転も控えてほしい」

「そう…ですか」

考えてみればそうだ。いくら元CCG捜査官とはいえ、今は得体の知れない怪物。誘拐され5ヶ月、都合よく記憶喪失し、喰種になって帰還。CCGにとって、自分は要注意人物なのだ。その考えに行き着いた途端、絶望と虚無感で脚が竦んだ。記憶が戻ったらどうなるんだろう?暴走したら?私は殺されるのだろうか。

「菊池さん、」

「え、あっ、はい!」

ついそんな考えを巡らせていると、察したように佐々木一等が呼びかけてくる。

「お出かけ、どこ行こっか?」

彼は優しくそう言って、やんわりと笑った。不安になると、彼はそっと手を差し伸べてくる。今の私にとっては、精神安定剤のようなものだ。しばらくはこれにすがらないと、やっていけそうにもない。


back top next

寝耳にミサイル