空華



前を歩く彼の白い髪が、いつの間にか淡く、空のオレンジ色に溶けていた。生温かい風に揺られながら、河原の土手の上を二人で歩く。少し距離をとって、ゆっくりと。

「夕陽がすごいね!」

子供のように笑って、私の方へと振り向く佐々木一等の姿が、まるで別の人のように感じられた。私のよく知っている、アルバムの中の少年。滲んだ暖色の空と穏やかな川の音、青々とした草の香りが、ぼんやりとした記憶の輪郭を鮮明に描き出す。

「お気に入りの場所なの?」

「はい。私の、一番好きな場所です。」

君の好きなところへ行こう。そう言われてこの場所を選んだ。ここへ来るといつも、私の頭の中にいる制服姿の少年が、土手の真ん中で静かに本を読み始める。その姿がどうしても見たくて、今まで何度も足を運んだ。けれど決して、佐々木一等を連れてくることはしなかった。何かが壊れてしまいそうな、そんな気がしたから。それなのに私は今、彼を連れて、この場所にいる。不安と焦り。安心と幸福。全てが入り混じった複雑な心境の私とは裏腹に、幸いにも、彼は楽しそうに笑っている。

「ありがとうございます。」

「…ん?」

「落ち着きました、すごく。」

「そっか。よかった。」

小さな嘘をついた。本当は落ち着かない。そわそわと、漠然とした不安が押し寄せる。いつまで自分が自分でいられるのか。今はもう、そればかり考えてしまう。私は土手を降りて、坂のちょうど真ん中に腰を下ろした。それが意外だったのか、少し驚いた様子の佐々木一等がやってきて、私の右隣にそっと座る。その動作に何か、違和感を感じた。そうだ。記憶の中の彼は、いつも私の左側に座っていた。

「……違う。」

「え?」

「こっちに座ってください。」

「……?うん…?」

なんでだろう。そう言わんばかりの顔で、彼は私の左に座り直した。体育座りをし、川の流れを眺める彼の横顔を、じっと見つめる。川に石投げたことある?僕、あれやったことないんだよね。無邪気に笑って、洒落た革靴の横に転がる、不恰好な石を川へと投げた。ぽちゃん。水面を飛ぶことなく、間抜けな音を立てて石が落ちる。思わず笑ってしまった。そして同時に思う。確かに"彼"は一度も、こんなことをしていなかった。しようとも思わなかったのだろう。彼と佐々木一等は違う。一人しかいない別の二人。なんだか不思議で、とても残酷だ。

「琲世さん。」

「なに?」

けれど、こちらに振り向いた彼を見て、私は思わず息を止めてしまった。似ていた。あまりにも。口端の上がり方、目尻にできる少しの皺。優しく微笑む姿が、いつかの少年と重なった。途端に、胸が苦しくてたまらなくなる。私は何をやっているんだろう。彼の記憶なんて戻らなければいい。ずっと側にいてくれたらいい。そんな風に思うのに、不意に会いたくなる。話したくなる。聞きたい。金木研の話を。貴方はどうやって生きたのだろう。この苦しい渇きの暗晦の中、何を捨て、何を選んだのか。教えて欲しい。道を示して欲しい。そうでないと私は、今にも崩れてしまいそうだ。



「ねぇ、私……どうしたらいい?」



意味のない問いが、風に紛れて飛んでいく。自嘲気味に笑う私に、佐々木一等が唖然とした顔を浮かべる。すると不意に彼の右目から、綺麗に膨らんだ涙の粒が、はらりと一つ、落っこちた。


「………琲世さん…?」


一つ、また一つと透明な粒が落ち、頬を伝って軌跡を作る。瞬きした睫毛が湿って、きらきらと橙色に光った。切なげに震える瞳。戸惑いの表情。全てが美しく、一瞬が愛おしい。


「なんでだろう……?」


薄く開いた唇から、小さな声が溢れる。
彼の手がそっと、私の頬に触れた。


「なんだか懐かしくて……あったかい、すごく。」


私は笑った。あまりにも綺麗だったから。とても似ていたから。吊られて笑った彼が、私の頭をそっと引き寄せる。ゆっくりと額同士がくっついて、優しい熱が伝わった。風が互いの髪を揺らし、肌をさらさらと撫でていく。

目を瞑ると、彼が見えた。黒髪の揺れる後ろ姿に、小さく呼びかける。金木くん。微笑みを浮かべて彼が振り向く。幼い私が、嬉しそうに笑ってる。唇に柔らかな感触。ゆっくりと目を開けるとそこには、白黒の髪を揺らして微笑む、彼がいた。私は知った。そして笑った。
どちらの彼も、尊く愛おしいのだと。


「……帰ろう。」

「…………はい。」



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寝耳にミサイル