淀瀬
無駄に広い会議室の中で、僕はただ沈黙に身を任せ、椅子の背もたれに崩れかかる。誰もいない静かな空間。時計の秒針の音がやけにうるさく、不安を募らせた。窓から見える深夜のネオンに目をやるも、余計に落ち着かなくなるだけだ。それから待つこと数分。そっとため息を吐いたところで、ようやく目前のドアが開かれた。
「アキラさん……!」
「この前上がった6区の死体だ。」
入るなり唐突にそう言うと、アキラさんは机上にファイルを投げつけた。滑るそれを受け止めて手に取り、彼女を見上げる。やけに深刻そうな顔が、早く中を見ろと威圧していた。恐る恐るファイルを開くと、折り重なる二つの遺体の写真が目に飛び込んだ。遺体の首は切り落とされており、背から腹にかけての肉は無残にも削り取られている。辺り一面が赤く染まる中、肉塊から垣間見える骨だけがやけに白く映えていた。思わず顔を背けたくなる光景だ。そこで一つ思い出す。つい3日前にアキラさんがぼそりと、6区で二体の喰種の死体が見つかった、と言っていたのを。
「これって、この前言ってた件の……?喰種同士の共喰いですか?」
「ああ。そうだが……。」
アキラさんがそっと、僕の隣に座る。そして、ふう、と息を一つ吐いて、ゆっくりと目を瞑った。なんだ。一体これがなんだというんだ。数秒の沈黙に耐えかね、呼びかけようとしたところで、彼女の口からとんでもない言葉が飛び出す。
「現場で加害者の赫子痕を調べた結果、エリカのものと一致した。」
「は……?」
嘘だ。そんなはずはない。僕はアキラさんを見据えた。冗談だ、と、今にも笑い出すんじゃないかと必死に期待する。けれど眉間に皺を寄せ、どこか宙を見つめる彼女は、それきり口を閉ざす。頭が真っ白、とは、まさにこのことだ。心なしか震える手が、膝の上で踊った。
「そんな…何かの間違いじゃ……」
「見ろ。この妙に綺麗な首の切り口。あいつのクインケだ。赫子痕とクインケ。両方が一致する。それに加え、捕食の形跡もある。」
綺麗に整った爪先が、写真を撫ぜて示す。けれどそんなもの、目には入っても頭には入らない。唖然としながらも、頭の中でここ最近の彼女の様子を思い浮かべる。至って普通。たまに見せる不安げな表情すら見せず、よく笑っていた。僕が家を出る前までは。
「琲世、お前はちゃんとエリカを見てやってるのか。」
「そのつもりでした……。」
「つもりでは困る。勝手に喰種を狩る分にはかまわん。目を瞑ろう。だが共食いとなれば話は別だ。」
浅く息を吐いて、アキラさんが机へと項垂れる。彼女の方もよっぽどこたえたのだろう。どうして。なぜ?そんな問いかけが頭を行ったり来たり。結局、恋人でもあるはずの菊池エリカという人物を、僕は未だに理解できていない。わからない。一体何を考えているのか。
「繰り返せばどうなるか……わかるな?」
「赫者に……。」
「そうだ。お前はそれでいいのか?」
「いいわけがない。なんとかします。」
なんとかって、なんだ?未だに困惑した頭が、思考を鈍らせる。僕のあまりに頼りない言葉に、アキラさんはまた何度目かのため息を吐いた。
「まだ上にはバレていない。だが知れれば大ごとになるぞ。元々、お前やエリカをよく思っていない捜査官も多い。」
「はい。それは……理解してます。」
「とにかく、だ。エリカはしばらく班から外す。」
「………え?」
「明日から私の任務に同行する。行動が落ち着くまで、監視の意味を含めてだ。お前たちとは別行動になる。エリカに伝えておけ。理由は適当にごまかせ。いいな。」
淡々と告げられた言葉に理解がついていけず、息切れ寸前だ。さっさとファイルを片してその場を去ろうとするアキラさん。その後ろ姿が遠ざかる前に、気づけば椅子から立ち上がっていた。
「待ってください!」
「……なんだ。」
「僕がなんとかします!ですから……!」
それだけはやめてくれ。心の中でそう叫んだ。彼女の笑顔が頭に浮かんでは消えを繰り返す。掴んだ手の柔らかさや体温が、リアルなまでに体を伝う。嫌だ。側にいなくなるなんて、そんなのは、耐えられそうもない。一方、冷たくひやりとした視線を向けるアキラさんは、「琲世」と一言ぼそりと、僕の名前を呼んだ。
「……お前はエリカを殺せるか?」
絶句した。聞かれてもおかしくない言葉だが、決して聞きたくはなかった。自分の経験からも、その言葉の意味は充分理解しているはずだ。それなのに、思わず握った拳が、小刻みに震えていた。
「他者から赫包を吸収すればより強くなる。が、限界を越えれば暴走する。以前のお前がそうだ。エリカが同じように暴走した時、特等のように上手く止められるとも限らん。やむを得ない場合の処置が、お前にできるのか?」
途端に、暴走した見るも無惨な彼女の姿が、頭の中に浮かんでしまう。それを躊躇うことなく駆逐できるのか。そんなことはわかりきっていた。
「僕は……僕には、………できません。」
大きなため息とともに、「だろうな」と、小さな呟きが聞こえた。アキラさんはやがてこめかみを手で抑え、参った、という様子で項垂れる。
「……私が間違っていた。やはり、私情を持ち込むべきではなかったな。」
呟かれた言葉の心理は、なんとなく理解できた。表面上は上司と部下のように振る舞えど、僕と彼女は依存に近いほどに寄り添っている。それを知っているのはおそらく、アキラさんだけだ。
「しばらくエリカは私が預かる。落ち着けば元に戻そう。いいな?」
「……はい。」
励ますように僕の肩を軽く叩いて、アキラさんは広々とした会議室から出て行った。そのドアを抜ける去り際、ふと足を止めた彼女が呟く。
「……憎いな、全く。奴らはどこまでも苦しめてくる。」
噛みしめるような一言が、あまりに虚しい。僕はこみ上げる何かを必死に殺して、誰に向けるでもなく乾いた笑みを浮かべた。
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寝耳にミサイル