背馳
コールが鳴り響く。テーブルを小刻みに叩く携帯のバイブ音が、やけに鬱陶しく感じた。ソファに沈み込んだ身体は、そう簡単には動かない。まだ早朝だ。こんな時間に、局からの呼び出しだろうか。出なくては。そう思いつつも、手は伸びないまま、携帯は揺れながらテーブルを滑っていく。十数回目のコールの後、慌ただしい足音が聞こえ出した。
「おいエリカ!起きろ!」
身体を思い切り揺すられ、びくりとして見上げると、いつものようにスーツを着こなした、美しい女性が立っていた。
「まったく本当に朝がダメだな、お前は。電話くらい出ろ。……琲世からだぞ。」
なら、余計に出なくていい。私は小さく「はい」とだけ返事をして、またソファに顔を埋めた。その様子に、同居している上官のアキラさんは、盛大なため息を吐いた。
シャトーを離れてから1ヶ月が経った。最初は彼女の住んでいるマンションと同棟に部屋を借りたが、結局は任務の関係もあり、同居という形で落ち着いている。クインクス班と行動することもなくなり、基本はアキラさんに同行する形で日々を過ごしていた。そのため、彼らとは局内ですれ違う程度。忙しい日々にも関わらず、佐々木一等からは度々に連絡がくる。今どうしてる?辛くない?優しい言葉の数々をいくつもらっても、満たされることはなかった。どうせ、時間が経てば全て失ってしまう。思い出なんて、無い方がいいんだ。
「今日は昼から合流でいいとは言ったが、部屋で怠けておけとは言ってないぞ。」
「……起きますよ…あと1時間したら……」
「私はもう出るからな。戸締りはしっかりしろ。」
「…………お母さんみたい。」
思わず呟いてしまった言葉は、幸いにも彼女には届いていなかった。せかせかと玄関へと歩く音が聞こえる。大きな任務を終えた翌日だ。今日は昼から局で報告書の作成。アキラさんは朝から会議。上官は大変だな、と思いつつ、恐る恐る携帯へと手を伸ばした。液晶を見れば、佐々木一等の着信が3件、ラインも3通来ている。文言の最初だけが並ぶ通知画面。「朝早くにごめん」で一通目。「今日、班でトルソーの……」2通目。「手伝ってくれないかな?」3通目。既読しなくても大体用件はわかった。だから既読はつけない。もう少し寝よう。私はゆっくりと目を閉じた。それを深く後悔することになるとも知らずに。
◇
それから数分のはずが、随分と寝てしまった。やっと起き上がったのは11時過ぎ。まずい。12時半に局内でアキラさんと待ち合わせの約束だ。慌てて身体を起こし、洗面所へ向かう。するとまた突然、携帯のコールが鳴り出した。どきりとして振り返る。また佐々木一等だろうか。ため息をつきながら液晶を見ると、意外にもそこには"六月透"の文字。何かあったのだろうか。躊躇いながらも、私はそっと通話ボタンを押した。
「……はい。」
『エリカさん!?今大変なんだ……!先生が暴走して、それで……!来て欲しいんだ!場所は、っ』
プツン。慌てた声は途切れ、高い電子音が鳴り出す。唖然と立ち尽くしながらも、また液晶を見た。キャッチが入ったらしい。今度はアキラさんだ。優先すべきはどちらか。反射的にキャッチを取った。するとまた、慌ただしい声が聞こえ出す。
『エリカ!今どこにいる!?』
「……っえ、いま、まだ家ですが、」
『私がいいと言うまで、絶対に家から出るな!わかったな!?』
「ど、どうして……」
『理由は後で説明する!』
「佐々木一等に、何かあったんですか……?」
途端に、アキラさんの声が途切れた。向こうから聞こえる慌ただしい声の数々。飛び交う"佐々木"という言葉。平子上等と思わしき声がする。それに、車のドアの閉まる音も。
『琲世が暴走した。平子班と対処にあたる。』
思わず息を呑んだ。駆逐される彼の姿が、頭の中に浮かぶ。そんな、まさか、
「場所は!?場所はどこですか!?」
『エリカ!!』
耳が痛くなるほどの怒号。水で打たれたような気分だ。思わず携帯を耳から遠ざける。
『大丈夫だ、殺したりはしない。落ち着け。琲世が心配なら、局内の病院へ迎え。そこへ搬送する。わかったな?』
「…………はい。」
すぐ様通話は切られ、私は数秒、その場に立ち尽くした。駆られる後悔の念と、罪悪感。彼は私に助けを求めていたのだ。それなのに私は無視した。そして彼は任務中、暴走した。一体私は、何をしているんだ。何がしたいんだ。身体は力なく床へと崩れ落ち、携帯は投げ出された。
◇
昼もとっくに過ぎた頃、花屋で生けてもらった花を片手に、病室へと急ぐ。大切な人にあげるんです。そう言ったくせに、その人はどんな花が好きなのか、それを聞かれても、全く答えられなかった。彼の何を知っていると言うのだろう。おそらく、私はその人生のほんの一部の、切れ端しか知らない。
面会の許された病室。その前へたどり着き、私は深呼吸する。起きているだろうか。それならきっと、本でも読んでいるに違いない。いや、いくら再生が早いといっても、まだ回復はしていないかもしれない。眠っているのか。恐る恐る扉を引く。開け放され、目の前に広がる空間。大きな窓から夕陽が差し込み、個室にぽつんと置かれたベッドを橙色に染めていた。そしてそこには、静かに眠る彼がいる。私は入口で立ち尽くし、その様子を眺めた。綺麗に掛けられた布団を崩すことなく、安らかに寝息を立てている。よかった。ゆっくりと近寄り、窓辺の棚へそっと花を置いた。窓の外は、まさに高層階から見る絶景だった。細かく敷き詰められた建物たち。その間を歩く小さな人々と、それらを照らす淡い光が、美しく映えていた。外の世界は、こうも平和に見えるのに。どうして。私は思わず、乾いた笑みを浮かべた。再び眠る佐々木一等へ向き直り、その顔を見つめる。綺麗な寝顔。引き寄せられるように、その頬に手を伸ばす。そういえば、以前に自分が入院した時は、彼がずっと手を握ってそばに居てくれた。いつだって私を励まし、時には厳しく、支えてくれたのだ。
「……ありがとう。」
力なく横たわる彼の手を、そっと握った。温かい。けれど私はすぐに、その手を放した。もう頼ってはいけない。このままでいいんだ。私なんて、彼の頭の中から薄れてしまえばいい。
「……ごめんね。」
何もできなくて。無雑作に噛んだ唇。込み上げてくる感情を抑え、その場を後にする。起きていなくてよかった。もし彼が起きていたなら、きっと縋り付いてしまっただろう。
「エリカさん!」
足早に廊下を歩いていると、前から眼帯をした青年が歩いてくる。六月くんだ。私は慌てて、少しだけ溜まった目の涙を指で拭った。
「……六月くん。」
慌てた様子で駆け寄ってくる六月くん。周りを見渡すが、他の班員はいないようだ。彼も彼で、ところどころに包帯が巻かれている。怪我をしたのだろう。もしその場に私がいたら、もしかしたら……
「エリカさん、来てくれたんだ……!」
「六月くん、怪我大丈夫?」
「ああ、これ、大した傷じゃないし、すぐ治るから……。」
「ごめんね、行けなくて。アキラさんからキャッチが入っちゃって。待機してろって。」
「そう…だったんだ。」
「うん。ごめんね。佐々木一等、無事でよかった。」
こんな一言で済むことではない。六月くんも六月くんで、必死に私に助けを求めていた。内心ではもしかすると、なんて冷たい奴なんだと、軽蔑しているかもしれない。けれどそんな不安を掻き消すように、彼は無邪気に笑った。
「そうだ!もうすぐ班の皆も来るから、皆で先生のところに、」
「ごめん。用事あるんだ。」
咄嗟に出てしまった言葉。用事なんてない。ただ、私は怖いのだ。佐々木一等や班の皆とまた集まって、くだらない冗談を言って、談笑して。そんなことはもうできない気がした。
私には、やるべきことがある。彼等と接すれば、きっと私は目的を果たせなくなる。
「……そっか。」
「起きたら、"お大事に"って、伝えといて。」
佐々木一等と会えば、また希望を持ってしまうのだろう。共に生きる未来を想像してしまう。だからこのまま遠くへ行って、見守っていよう。終わる時が来るまで。ずっと。
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寝耳にミサイル