逡巡
汗がぱたりぱたりと音を立て、頭皮から額を伝って床へと落ちる。息は切れて身体は火照っている。呼吸を整えながらも、私は目の前の人物の動きに標準を合わせた。
「本気できてね。僕も女だからって手加減しないから」
「……わかってますよ」
療養が済んで落ち着いてきたからと、ここ最近は任務復帰の予行演習として佐々木一等に体術の手解きを受けている。CCGへ健診や報告をする日は局のトレーニングルームを使い、そうでない日はシャトーにて、主に夕方から夜にかけて行われるそれは、なかなかハードだ。佐々木一等は温和で物腰柔らかな見た目と相反して、あらゆる体術を会得していてとても強い。私とてアカデミー首席卒に相応しいほどの体力や技術を身につけてきたつもりだが、さすが一等捜査官というところ、彼には敵いそうもない。
「遅い!」
踏み込んで相手の左腕を掴み、それを背に回してやろうとするがするりと交わされ、逆に投げ飛ばされそうになる。なんとか体勢を立て直して間合いを取ると、彼も少し後ろに下がった。さてどうする。動きが素早く反応も早い。ここ数日でわかったのは、彼は普通の型では倒せない。実戦と同じスタンスで臨まなければ、勝てそうにないのだ。今までは半喰種になった手前力の加減がわからず、怪我をさせてはいけないとどこかで考えてしまい本気を出せないでいた。しかしよく考えて見れば二人とも半喰種なのだから、ちょっとやそっとじゃ怪我なんかしない。したとしても、すぐに治るだろう。
「佐々木一等」
「ん?」
「今日は本気でいきます」
体術ならアカデミーで散々学んできたし、今でも独学はもちろん体術教室にも通い、男に負けないように鍛えてきた。新人の頃はアキラさんにも死ぬほど叩き込まれた。実戦向きのため練習で人に披露できない技も、今なら発揮できる。私はふっと息を取り込み、飛び膝蹴りを食らわす体制に入る。佐々木一等はそれを見越して後ろに下がりつつ両腕で防御の体制をとる。案の定、蹴りは彼の片腕を掠めたが避けられる。次に右フックをかまそうとするのも避けれられるが、ここまでは予想通りだ。次の左フックも余裕のある態度で交わされ、私の拳が彼の手のひらに収まる。___今だ。
「オラァッ!」
「……っつ!?!?いっったっ!!??」
佐々木一等に拳を掴まれたまま、私はそれを引き抜くと見せかけて、引いていた左足に最大限の力を込めた。そして素早くその左足を持ち上げて、踏み潰すように少し角度がついて曲げられている彼の右膝を蹴りつけた。途端に呻き声を上げて、佐々木一等が倒れる。不意打ちで食らわす、膝砕きというやつだ。直立ではなく、相手が少し膝を曲げている状態で食らわす方が効果が高い。力の負担を膝に集約している状態でそこを蹴ると当然、威力があればいとも簡単に骨が砕ける。
「ぐっ……あっ…!いった……ぅう……」
「すみません、折れちゃいました?」
「あ〜〜…容赦ないなぁ……」
「本気で来いと言われたので」
「じゃあ今までは手抜いてたの?」
「怪我させたらマズイかと思って」
「そう……」
倒れこむ佐々木一等の頭の横にしゃがみ込んで顔を覗くと、彼はハハハ、と乾いた笑みを浮かべた。申し訳ない気持ちが相まって、私はそのまま彼の顔を凝視する。こんなに近くでみるのは初めてだ。見れば見るほど、なかなか端正な顔をしている。男らしい、ハンサム、というより、綺麗な顔だ。肌なんて色素が薄くて傷やシミひとつ無い。まつ毛は長くて、人形みたいだ。
「佐々木一等は……人形みたいですね」
思わずそう呟いて、無性にその透き通る肌に触れたい衝動に駆られた私は、彼の頬をつんつんと人差し指で突いた。しっとりとした肌がむにっと歪む。どんな反応をするのだろう。見れば困ったように眉を下げてうろたえていた。
「……菊池さん、」
「はい?」
「お腹空いてるの?」
「………違いますよ」
どうやら半喰種という手前、肌に触れる行為は空腹と見なされるらしい。悪戯心からのスキンシップのつもりだったのに、全くの期待外れだ。否定した私に彼はきょとんとしている。
「膝治りました?」
「うーん、あとちょっと」
脚をブラブラと振ったり曲げたりして、佐々木一等がそう呟く。彼の再生スピードはAレート喰種なんかよりかなり遥かに早い。かく言う私も切り傷程度は5秒あれば治る。便利といえば便利な身体だ。
「さ、仕返ししなくちゃね」
「え?」
突然、佐々木一等の表情が、いつもの温和な笑みでなく、冷えて歪んだ笑みに変わる。それを視界に捉えたのを最後、私は宙に投げ出された。腹を思い切り蹴り上げられ、身体が宙に浮いたのだ。不意打ちにも程がある。けれど抗議する暇はない。腹部に痛みを感じながらも、身体は反射的に動いた。すぐに身体を一捻りして、手と足をしっかりと地につけて着地する。見上げると回し蹴りを食らわそうとしている彼の右足が目の前まで来ていて、私はすんでのところで伏せて右に側転して躱し、間合いを取るため彼の後ろ側へ走り出す。佐々木一等がすぐ様振り返り、追ってくる。迫り来るのを確認してから、走るのを止めしゃがみこみ、地に手をつきながら後ろの彼の足に向かって右脚を素早く回す。足払いは成功し、体勢を崩した彼は背を下にして倒れこむ。すかさずその身体の上に覆いかぶさり、両膝で彼の両腕を押さえつけながら、両手で彼の首を絞めた。あとは「降参」の言葉を待つだけだ。
「うっ……!ぅぐっ……!」
彼も彼で必死に腕や脚をバタつかせて抵抗してくるが、かなりの力で押さえつけているため、動きはしない。半喰種になってからはかなり力が強くなった。喰種はともかく人間には負ける気がしない。
「喰種相手なら目潰ししてやるところですが……!止めておきます……!」
「ぐっ……!ぅあっ……!」
「……っほら…!早く降参しないと……っ首が折れちゃいますよ……!!」
勝ったな、と思ったのも束の間、佐々木一等は両脚を高く振り上げてから素早くそれを下ろした。その反動で上半身を起き上がらせ、渾身の頭突きが私に命中する。
「いっ……!!!!」
あまりの衝撃に軽く脳震盪を起こした。普通の人間相手なら頭蓋骨にヒビが入るところだろう。仰向けに倒れこむ私に、今度は佐々木一等が覆いかぶさり、私がしたのと同じように両膝で腕を押さえつけられる。もうだめだ、負けた。そう思ったが、乱れた呼吸を整えようと荒く息を繰り返すだけで、彼は何もしようとしない。眉を顰め、耐えるような表情を浮かべている。一方の私は頭が痺れてぼうっとしてしまい、上手く身体を動かせない。
「ほら……早く抵抗しないと……。」
ようやくぼそりそう呟いた佐々木一等が、そっと右手で私の首筋を撫ぜた。絞められてしまう……。私は先程の彼を真似て両脚を振り上げてから落としてみるが、上半身は少し起き上がっただけですぐさま彼に押さえつけ直される。やはり力で言えば彼の方が上だ。ヤケクソになり腕や脚をバタつかせてみるが、意味はなかった。その間にも頭や腹がズキリと痛む。
「いっ…痛い………はぁ……」
痛みで自然と涙が出て、私は諦めて脱力した。けれど彼は動かずにただ私を見るので、互いに荒い呼吸を繰り返し、ただ見つめ合うだけの数秒が生まれる。高揚し、汗を浮かべる彼はどこか色気を帯びていて、こんな状況であるのにじっと見つめてしまった。
「……降参?」
私の顔にかかった髪をそっと右手でよけ、佐々木一等は口端をあげた。負けず嫌いな私はその一言を言いたくなくて、首を横に振る。もう少し待てば痛みも消えて治るはず。そう思ったが、仕方なしといったように佐々木一等の両手が私の首へと伸びる。きゅっと軽く力を込められると、途端に呼吸ができなくなった。
「んぅうっ!……ぁ……う…」
「……降参だよね?」
目を細めて、意地悪く微笑む彼からは、いつもの温和な雰囲気は全く感じられない。むしろ狂気だ。意外とサディストな面がある、というより、どうやら二面性のある人らしい。少しずつ締める力は強くなり、苦しみで手足が硬直して、頭には血が上っている。いくら丈夫な身体とはいえ、やりすぎだ。抵抗する力もなくされるがままの私に、痺れるようなふわりとした感覚が訪れる。意識を失う、一歩手前だ。
「っ……!!!」
段々と意識が遠のく中、急に佐々木一等が目を見開いたと思いきや、その手が放される。危なかった。私はすぐさま空気を吸い込み、肺に送り込んだ。痛みに目を瞑り、咽せこみながら呼吸を整えていると、そっと頬に手が当てられる。
「菊池さん大丈夫…!?やりすぎちゃった……」
目を開けてみると、ほんの目先数センチほどに、心配そうに私をのそぐ彼の顔があった。
いつもの彼だ。
「だいじょぶ……です……」
「ごめんね……。」
「いえ……気にしないでください」
佐々木一等が申し訳なさそうに頬を撫ぜてくるので、思わず身動ぎした。とりあえず、彼には二面性があることがわかった。本気で怒らせるととんでもないタイプだ。佐々木一等もさすがにやりすぎたと思っているのだろうが、互いにその節はあった。そもそも人間の区分から外れてしまった私たちは、イマイチ力の加減がわからなくなっているし、こうして体術戦を交えると異様に奮起してしまう。他種だけでなく、同族同士で潰し合う種族。喰種だからこその本能なのかもしれない。
「そこ、退いてくれます?」
「あ、ごめん…!」
呼吸が整い、痛みも薄れてきたところで、私はそう告げた。佐々木一等が慌てて私の上から退いて立ち上がる。
「……普段は手加減してるんですね」
「人間相手だとさすがにね。菊池さん強いから、つい本気になっちゃったよ……」
立ち上がろうとする私に、佐々木一等が手を差し伸べる。遠慮なくその手を取って立ち上がると、ぐらりと眩暈が襲いよろけてしまう。
「おっと、」
佐々木一等に倒れこむようにして撓垂れ掛かってしまい、そんな私を彼は受け止めて肩を抱く。
「大丈夫?」
お互いTシャツにハーフパンツという薄着なせいで、身体が触れ合っている感触が体温とともに容易に伝わってくる。彼は細く見えてとても引き締まった筋肉をしている。直に触ったらどんな感じなんだろう?不意にそう思ってしまう。それに、汗をかいているにも関わらず、なんだが良い匂いがする。
「す、すいません…!」
慌てて離れ、雑念を振り払う。また心配そうに覗き込もうとする彼を、手をかざして制止する。
「大丈夫です…!」
「顔色悪いよ?下で休もうか」
そう言って私の背中に優しく手を当て、困り顔で微笑む彼は、やはり天然タラシだ。私は少し熱くなった頬に手を当てて、はぁ、と一つため息をついた。
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寝耳にミサイル