花筏



彼女には見覚えがあった。アキラさんの後をくっついて歩いて、凛とした佇まいが二人よく似ている。でも、威厳のある美しさを兼ね備えたアキラさんとは少し違って、綺麗でありながらも可憐な愛らしさを持ち、そしてよく笑っていた。僕は彼女とすれ違う度に、ふわりと香る菫のような淡く甘い香りに振り向かされた。目が合うことも、話しかけられることもない。彼女からは周りの連中と同じ、関わりたくないという空気をどことなく感じた。彼女が消え、行方不明になる前の記憶だ。




「佐々木一等!」

「ん?」

「聞いてますー?」

訝しげに僕の顔を覗き込んで、彼女は両手に一つずつ持った二つのスマートフォンを見せてくる。休日の今朝、たまにはゆっくり読書でもするかと部屋に篭っていたが、遠慮がちに叩かれたドアを開けた瞬間、静かな休日が淡く色づくのを感じた。そこには珍しく彼女が、ヘアスタイルもばっちりきめた私服姿で立っていたのだ。携帯を持っていないので一緒に買いに行きたいという頼みは、断る理由がない。そんなこんなで駅前の携帯ショップに来ている。

「どっちがいいですかね?」

「んー……」

少し離れたところで彼女をちらちらと気にかける店員を横目に、僕はその二つを見比べた。形のよく似た2台は両方とも色は黒。違いといえば、ホームボタンが液晶内蔵か、または突出しているかくらいだ。

「ちゃんとボタンのある方が、画面割れた時にも押せていいんじゃない?」

それくらいしか違いがないので投げやりに言ってみると、彼女は顔を顰めた。

「画面割れても使い続ける派ですか?」

「うーん、画面割れたことないからなぁ。不知くんは割れても使ってたけど」

「なるほど……」

彼女が半喰種たってから3週間近く経つ。最初こそはもちろん精神不安定で、パニック発作を起こすこともあったが、今は大分落ちついている。尖った雰囲気も大分柔らかくなり、以前の彼女の面影を取り戻しつつある。

「あーもーなんかややこしい!!」

結局ボタンの突出した方のスマートフォンを選んで契約した彼女だが、いまいち使い方がわからないらしい。駅に向かう途中の噴水公園で、ベンチに座りながら葛藤している。僕はそんな彼女を観察するのを楽しんでいる。彼女の着ているほんのり花の模様の浮かび上がる白のブラウス。その首元から見えるうなじがとても綺麗で柔らかそうなのを、彼女はきっと知らない。グレーのストライプの入ったスキニーパンツに爽やかな黄色のパンプス、肩にかけた明るいグリーンのカーディガンと赤茶色のクラッチバック、アザミの花をモチーフにした繊細なピアス。ほんのり頬にのったチークは彼女を可憐に見せて、長い睫毛が頬に影を落とし、赤いルージュの塗られた唇が麗らかに弧を描く。まるで雑誌の中から出てきたようなその風貌に、彼女を横切る男たちが視線をやるのを僕は知っている。

「大体なんで説明書がついてないの!?」

「今のは端末に内蔵されてるらしいよ。ほらこれ」

「あ、ほんとだ」

こうして外に出かけている時、彼女はたまに堅苦しい敬語を捨てる。普段は捜査官としての強さを持ち、淡々とした態度を誇る彼女だが、それを捨てて自然体で振舞う姿はうら若い女性そのもの。この公園の桜並木なんかよりずっと華やかだ。ころころと表情を変える姿はなんだが面白い。見ているとどこかむず痒くて、胸のあたりがざわざわとする。僕はこの初めて抱く不思議な感覚を、ゆっくりと味わうかのように噛み締めていた。

「あ、カメラ起動した。佐々木一等、写って下さい!」

「えっ!?僕はいいよ」

彼女がスマートフォンをこちらに向けるので、慌てて手を翳した。なんとなく、一人で写るのは気恥ずかしいものがある。

「じゃあ一緒に!」

え、と声を上げる暇もなく、彼女は僕の隣にくっつくように座る。思い切り体がくっついた後に、気づいたように小声で「失礼します」と少し気恥ずかしそうに言うのが、なんだか可愛らしいと思う。ちょうど僕たちの間、頭上付近に彼女がスマートフォンを構える。そこには戸惑う自分の姿と、にっこりと小慣れた笑みを浮かべる彼女が映る。

「見切れちゃいますよ!もうちょい寄って」

「えっ、あぁ、うん」

「ほら!もっとノリノリなかんじでお願いしますよ」

「ノリノリね…こう?」

「あはっ!うまいです!」

彼女に乗せられて、時々SNSで流れてくる男女の画像の記憶なんかを頼りにドヤ顔の笑みを決めてみせた。それに笑ってしまいなかなかシャッターを押せない彼女に「早く!」と僕は顔を引きつらせんとする。二人でいる時は気を使わないこと。そう彼女に提示したのは自分なのに、こうして距離が近くなれば近くなるほど何かが決壊してしまいそうな儚さを感じた。ほとんど頬をくっつけるような体勢でようやく押されたシャッター。無理に作ったキメ顏の自分の隣に、自然な笑みを浮かべる彼女。良いのが撮れた、と彼女は笑った。

「あ、」

「ん?」

「桜、ついてます、頭に」

不意に彼女が手を伸ばす、その先は僕の前髪で、摘んでそっと離された指の先には、確かに桜の花びらがあった。一秒一秒が尊く目に焼きつくようで、僕は息をするのを忘れた。逃がすように手を開いたその奥で、彼女はゆっくりと悪戯な笑みを見せた。

「なんかデートみたいですね」

やられた、と思った。僕はとっくに彼女から目が離せなくなっている。自覚したその時、いつしかその肌に触れてみたいという感情を抱きながら、僕は笑った。からっぽな器が満たされていく。それがこの上なく幸せなことなのだと、僕は初めて実感した。



back top next

寝耳にミサイル