憧憬
ガヤガヤと落ち着かない雰囲気のCCG内の食堂で、私はそわそわ辺りを見回しながら、手元の手拭きペーパーを折ったりちぎったりして時間を潰していた。久々のCCG局内だ。1分が10分に感じられるほど一瞬一瞬が長く、席を立ちたい気持ちが足を小刻みに動かした。半喰種になってからは、以前とは打って変わってCCG内は居心地が悪い。常に誰かに見張られているような気がしてならないのだ。故にそわそわと落ち着けず、つい手や足を動かしてしまう。一度視線をテーブルに戻してから、またきょろきょろと辺りを見回す。するとやっと目当ての人物が現れて、私は安堵でため息を吐いた。
「アキラさん!」
「エリカ、待たせてすまないな」
「いえ全然!お久しぶりです」
シャトーに移住してからは、アキラさんとは会っていない。久しぶりにその顔を見て、私は心の底から安堵した。パートナーになる前から、彼女は姉のような存在だ。
「久しぶりだな……」
アキラさんは私の手元で千切られて粉々になったペーパーを一瞥すると、申し訳なさそうに笑った。
「忙しいのにすいません」
「いや、私も会いたかった。上がなかなかお前と会わせてくれなくてな。苦労した」
「そう、なんですか……」
やはり、私は捜査官というよりは危険な者として、注意を置かれる身なのだろう。思わず下を向くと、アキラさんはそっと私の手に自らの手を重ねた。
「大丈夫だ。今度こそ、お前は私が守る。ハイセもいる」
安心させるように目を細めて微笑む彼女はまるで聖母のようで、途端に安堵が込み上げた。私は内心泣きそうになりながらも、ありがとうございます、と笑顔を浮かべた。
「私も、アキラさんを守ります」
あれから1ヶ月が経ち、精神的にも肉体的にも立ち直れたからこその言葉だった。守られるのは捜査官ではない。守るのが捜査官だ。時間が経ったことにより、私は本来の自分を取り戻しつつあった。
「それは頼もしいな。実にお前らしい」
「もう立ち直りました。以前と同じく頑張っていきます」
「お前は私と同じくアカデミー首席卒の期待の星だ。あの事件のせいで昇進は保留になっているが、お前の実力は一等捜査官と同等だ。自信を持て」
「はい。今は佐々木一等に毎日シャトーで体術と赫子の使い方を教わっています。この力を使いこなして、喰種を皆殺しにしてみせます!」
「ふっ……実に頼もしい。さすが私の元パートナーだ」
「戦術もふてぶてしさもアキラさん譲りですから!」
「ほう……言ってくれるな」
アキラさんが不敵な笑みを浮かべる。以前と変わらない上司と部下の雰囲気に、安堵を覚えた。
「そういえば、アキラさん。佐々木一等に余計なこと言いましたね?」
「……ん?ああ。あれか、お前がどんな奴かって話か?」
「そうですよ。アキラさん、私をそんな風に思ってたんですね?」
「実際そうだろう?お前は何をしでかすかわからない。大人しそうに見えて現場では破天荒だからな」
「臨機応変と言ってください」
「それとは違う。お前は勘で動く危なっかしいところがある」
「うっ……」
アキラさんが私に指をさして、言い聞かせるように言った。確かにそんなところはある…。
「それより佐々木とはどうだ?仲良くやれてるのか?」
「あ、はい!とても良くしてもらってます」
「ほう……」
突然アキラさんが勘ぐるような悪戯な笑みを浮かべる。
「な、なんですか」
「そういう仲になったのか?」
「は……?」
「今朝お前とハイセがいるのを見かけてな。あいつのお前を見る目は……、」
「は!?ないですそんな……!」
アキラさんが面白そうにからかってくるので、私は全力で否定した。佐々木一等が私を?そんなわけはない。まだシャトーに来て一ヶ月だが、一度もそんな雰囲気になったことはない。アキラさんは本当にからかうのが好きな人だ。
「そうか?男女が一つ屋根の下、何が起こるかわからんぞ。あいつは見た目も悪くない。年も近いし……」
「どうしてそっちの方に話を持ってくんですか」
私は思わず顔をしかめ、手元にあったペーパーを握った。そんな私を見てアキラさんは困ったように笑う。
「いや、すまない。……つい、自分が後悔しているのもあってだな」
「……え?」
アキラさんが少し顔をゆがめて俯くので
、私は慌ててしまう。後悔?なんのことだろう。
「以前お前に話しただろう。私の前の上司のことだ」
「亜門さんですよね?私、アカデミーの特別授業でお会いしたことあります。CCGに入ってからは廊下ですれ違うくらいでしたけど…。その……亡くなられたんですよね、梟戦で。 」
「ああ、そうだ」
アキラさんが悲しげに笑うので、私はいたたまれなくなった。私は彼女が何を言いたいのかを、なんとなく察することができた。
「これを人に話すのは初めてだが……。私は亜門鋼太郎を好いていた。心の底から」
その言葉は私の心に凛と響いて、ガヤガヤとした周りの雑音なんて消えてしまったように感じられた。この世はなんて無情なのだろう。愛する者を奪われ、憎むべき存在を倒すべく捜査官となり、またそこでも愛するものを失わなければならない。
「中途半端なことをしたまま、結局何も伝えられなかったよ。死んだらもう何も言えないからな。最後までうまく逃げられたもんだ」
自嘲気味に笑うアキラさんの目は、少し赤くなっているように見える。いつも淡々と卒なく仕事をこなす彼女も、こんな一面があるのだと知った。
「お前も、後悔だけはするな。何事も全力で挑め」
「……はい」
アキラさんの言葉を噛み締め、私はぐっと手に力を込めた。
「それと、さっきのは嘘だ」
「……は!?」
今度は頬杖をつきながらため息混じりにアキラさんが言うので、私は変な声を上げてしまう。
「逆だ。お前がハイセを見る目……。信頼しているのだろう、あいつを」
アキラさんは安心したようにやんわりと笑って、私を見据えた。
「実際のところ、少し嫉妬した」
「……アキラさん?」
「お前は私に似ている。あまり人に懐かない。人との間に見えない壁がある。唯一私にだけ心を開いているようだと皆言っていたよ。でも、お前に今必要なのはハイセだな」
「……そ、そんな。佐々木一等とは境遇が似てるし、いつも一緒にいるからってだけで」
私には佐々木一等が必要。そう言われて、否定などできない。彼がいなくては、私は立ち上がることもできなかっただろう。シャトーに来てからは世話になりっぱなしだ。気さくな分会話も弾むので、大分距離が縮まっているのも事実。今の私にとっての唯一無二の存在といえる。
「確かに、私には佐々木一等が必要です。あの人がいなくては私は立ち直れなかった。今も、いないと少し不安です」
「そうか」
「でも、だからといって異性として好きというわけではないです。それとこれとは別です」
まるで自分に言い聞かせるようにそう言うと、アキラさんは苦笑した。
「ああ、わかった。すまん。信頼している上司、ということだな」
「そうです」
握り拳を構えて何度か頷いてみせると、アキラさんはわかったわかったと宥めるように言ってくる。そしてその視線は、不意に私の後ろへと向けられた。
「ああ、噂をすれば。ご登場だ」
ふっと笑ったアキラさんを横目に後ろへ振り向くと、佐々木一等がこちらに向かって歩いてきていた。
「佐々木一等……!」
「迎えに来るのが早いな」
私と目が会うなりニコリと微笑んだ彼が、ひらひらと手を振った。思わず微笑んで手を振り返そうとするのをハッとして気づいて止める。その私の様子を、アキラさんが心底楽しそうに見てくる。
「アキラさん、お疲れ様です」
「ああ。お前もご苦労」
佐々木一等は今日は柴先生のところで健診を受けたらしい。私はそれについていき、その間にアキラさんに会わせてもらった、というわけだ。彼は相変わらず、上司を目前に爽やかに微笑んでいる。
「菊池さん、アキラさんに会えてよかったね」
「はい」
「では、私はこれから用がある。またな。今度は休みの日に出かけよう」
「え?」
「来週の水曜、休みをとった。楽しみにしておけ」
ぽん、と軽く私の頭を撫でると、アキラさんはふっと微笑み、踵を返して去って行った。凛とした彼女の背を、憧れと敬意の眼差しで見つめる。いつまでも背を追うわけにはいかない。いつか肩を並べたい。テーブルの上の紙切れを掴みとりながら、短く息を吸い込んだ。
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寝耳にミサイル