#04



夕陽が教室の窓辺を照らす放課後、私は担任の教師に雑務を頼まれ、中々帰れずにいた。バイトに明け暮れてほとんど毎日の授業を寝て過ごす私は、教師たちの間でなかなか評判が悪い。お叱りついでにこうして雑務を頼まれることはしょっちゅうだ。

雑務を終える頃には、時計はもう17時ちょっと前をさしていた。今日は18時からバイトがある。私は焦りで早足になり、急いで鞄を取りに教室へ向かった。もう人の全く見当たらない廊下に、ぱたぱたと自分の足音だけが響く。やっと開けっ放しの自教室の扉が見えて、私はさらに足を早める。しかしふと気付いた。確か教室から出る時、私は扉を閉めたはずだ。
―中に誰かいるのだろうか。

そんな必要もないのに、咄嗟に足音を潜める。そっと教室側の廊下を歩き、開け放たれた扉に近付くと、案の定声が聞こえてきた。それが男女の声だったので、私は慌てて足を止める。カップルか。勘弁してくれ。

「涼太〜」

「…なんスかもう。呼び出しといて用件ないの?」

なんだか聞き覚えのある声だ。おそらく一人はうちのクラスの女子。やたら目立っていていつもうるさいからわかる。男の方の涼太という名前もなんだか聞いたことがある。誰だっけ。私はしばらく考えてから、思わずゲッと声が出そうになる。――黄瀬涼太だ。

「んー、ベタベタしたかっただけ」

「何?襲うっスよ?」

「やだ」

ふふふ、と彼女独特の笑いが聞こえる。それに続く少し呆れたような黄瀬の笑い声。どうやら黄瀬の彼女はうちのクラスの子らしい。なんともまあ、身の毛のよだつ甘い雰囲気だ。呆れるというより、黄瀬の"襲う"という単語に私は青ざめる。ここで押っ始められたら一環の終わりだ。鞄を回収できずにバイトに行くなんて考えられない。でもこの雰囲気の中教室に入るのも嫌だ。黄瀬がいるのなら尚更。ああ、今日は本当にツイてない…。

「しないの?なら俺部活戻るっスよ。用ないし」

「涼太ひどい。私は彼氏としかしたくないの」

「…は?なにそれ」

ここからでもわかる。空気が一瞬凍った。あの時の冷たい空気が、また降りてくる。多分黄瀬は、今笑ってない。きっとあの時みたいに蔑んだような顔をしている。彼氏としかしたくない、とはどういうことなのか。この子は黄瀬の彼女じゃないのか。

「俺に彼女と別れろって言ってんの?」

「ち、ちがうって、」

「…そーいう面倒臭いのは勘弁っスよ。割り切ってもらわないと」

私は眉間に皺を寄せて、思わず拳を握り締めた。つい今までは黄瀬のことを、ただの鬱陶しい寂しがり屋なのかもしれないと思い、彼に対しての失言を後悔していた自分が馬鹿らしく思える。女も女だが、何よりもこの黄瀬という男はかなりのろくでなし、ただのクソ野郎だ。

「っそんな、」

「いい顔するとすぐ寄って来るんスよね。アンタみたいな安い女」

「ひど…!そんな人だったなんて、私、言うから!」

「誰に?友達っスか?どうぞご勝手に。誰も信じないっスよアンタの言葉なんて。俺は今まで通り周りにはいい顔するし」

最低だ。胸糞悪い。こいつは相当性格が歪んでいる。息を詰まらせる、クラスメートの微かな泣き声が聞こえる。そりゃあ泣くだろう。さすがに。

「外見だけで男選ぼうとするからこうなるんスよ。…勉強になったでしょ?」

冷たい言葉が地を這った。ガタンと音がして、開いた扉からクラスメートが廊下に飛び出してくる。彼女は一瞬私と目が合うが、逃げるようにその場を去って行く。あーあ。かわいそうに。

「そこにいんの誰?覗き見なんていい趣味してるっスね」

びくり、と私は肩を震わせた。なぜ気付かれたのか。ふと足下を見ると、廊下から扉の前まで、くっきりと私の影が床に伸びていた。まずい。教室の中から気だるい足音が聞こえてくる。来る。どうしよう。逃げるか。でも今更走り出したって後ろ姿で誰かなんてわかる。それに、逃げる方が余計おかしい。

「あ…」

結局、扉のすぐ横の教室側の壁にもたれかかったまま、私は動けずにいた。ついに廊下に出た黄瀬が、そんな私を視界に収めて、あ、と間の抜けた声を上げ、目を見開く。

「鞄、取りに来ただけ」

本当はこのクソ野郎とでも付け足して言ってやりたかったが、他人の主義思考にとやかく言うタチでもないし、関わりたくもない。早くこの場から退散したい思いだけだ。

「…そういえばこのクラスだったっスね」

「……。」

「今の聞いてた?」

「…まあ」

黄瀬は罰の悪そうな顔をして、無造作に頭を掻く。胸糞悪くなって、私は黄瀬から視線を逸らす。

「はは、野瀬サンっていつもそう。他人に興味無さそうで、見下してる」

「は…?」

「でもアンタはそこそこ綺麗だから、許されるんじゃないスかね。そーゆー態度も」

ぶちり、と頭の中で何かが切れた気がした。なんだこれ。なんでこんなことを、黄瀬に言われなくてはいけないのか。大体、顔の良し悪しで物事を判断するなんておかしい。
見下してる?そんなつもりはない。私があまり喋らないから?素っ気ないから?そんなの、今の黄瀬の方がよっぽど見下しているように思う。ああ、本当に、

「…嫌い」

「……?なんスか?」

「見下してんのはあんたの方だよ。見た目の良し悪しで全てが決まると思うな。あと、私はお前みたいなクソ野郎と会話したくないから、なるべく言葉の語数減らしてんの!」

よくもこんなに饒舌になれたと思う。それにこんなに腹が立ったのも久しぶりだ。私が怒りで爆発したものだから、目の前の黄瀬は驚きで先程よりも大きく目を見開き、静止している。私はその横をさっさと通りすぎ、教室へ入る。口論になるかとも思ったが、彼は何も言わなかった。私が鞄を引っつかんで教室から出ようと振り向いた時、もうそこには誰も居なかった。



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寝耳にミサイル