#06
「お前ヤるならどの子ー?」
「は、お前ゲスすぎ!」
体育の時間における男子恒例の、猥雑な話が始まった。3クラス合同で男女に別れて行われるのだが、そうは言ってもお隣同士のため嫌でも互いが視界に入る。隣で体を動かしている女子を見て、男子たちは下世話な会話をしているのだ。
俺はモデルというイメージ保持のため、できるだけそんな会話は避けることにしている。けれどあまりノリが悪くても同性に嫌われるため、なんとか乗り切らなくてはならない。
「あー俺は野瀬かな、見ろよあれ」
「おーありゃDはあるかな」
ぎくり、と野瀬の名前が出て俺は一瞬固まってしまう。慌てて彼女に視線をやると、確かに薄い体操着の胸元はふっくらと弧を描いていて柔らかそうだ。普段は制服を着ているためわからない部分が、体育では明らかになる。野瀬、胸大きいんだ、意外だ。俺は凝視してしまうが、友人の視線が自分にきたためそっとそれを逸らした。
「あの色白で細く見えてむちっとした感じがたまんねーよな。あの太ももな!」
「可愛い系っつーより美人系なのがまたエロい。」
そうか?俺は視線を落とし、野瀬の白い脚を見た。全体的に細くも太くもない体型だと思っていたが、ハーフパンツから覗く太ももはむちっとしていて、膝から下はしゅっと伸びている。確かに性的に訴えかけてくるものがある。しかし彼女は意外と身長が高くないので、大人びた顔と成熟した身体の部分が、それとどこか不釣り合いのような気もする。
「いーや俺は篠田推しだな。性格キツそうな美人系より従順な可愛い系っしょ」
「確かにー!野瀬性格キツそー。俺話したこともないわ」
「話しかけるなオーラ出まくりだよな。見る専門。彼女にはしたくねーよ」
やはり、周りの印象も"野瀬は性格がキツそうな女"らしい。確かに話し方はツンとしていて愛想も無い。見下してるようなところもある。でも笠松先輩に言われてわかった。彼女は多分、素直なだけなのだ。それに人が見ていないようなところを沢山見ている。多分、そういう良さがある。彼女にはしたくない?第一、彼女にしたくてもお前らにはできないだろ。俺は内心で悪態をつく。
「でもよ、篠田ってあいつ、ぜってー黄瀬のこと好きっしょ」
「え?」
篠田、とは誰だったか。俺は男子たちが視線をやる方を見た。そこにはボブヘアにパーマの髪型、華奢で可憐な可愛らしい女の子がいる。ああ、あれか。確かに、たまに話かけてくる子だ。あんなの、似たようなのがその辺にいっぱいいるじゃないか。
「だよな!いつも目で追ってるし」
「そうなんスか?色んな人が見てくるんで、一々顔認識してないんスよね」
「はーむかつく!いいよな黄瀬は」
はは、と乾いた笑みを浮かべて、俺はその場を受け流す。体育の時間のバスケはだるい。皆弱すぎて話にならないし、ふざけている奴が多すぎて腹が立つ。女子が集まってくるのもうざったい。男子も、どうせ黄瀬がいるからというような雰囲気で、俺は中学の頃のあの感覚を思い出して吐き気がする。2、3試合したところで、もう気力が限界だった。
「俺ちょっとトイレ」
嘘だった。足早に保健室に向かった。こういう時はサボるが勝ちだと思っている。ここで抜けたって、多分お咎めは喰らわない。
「あれ?」
着いたと思ったら、保健室の入り口には留守の立て札がかけてある。どうやら先生は不在らしい。運がいい。どうやってベットで眠る権利を得ようかちょうど考えていたところだが、その必要は無くなった。
「失礼しまーす」
誰もいないだろうと思いつつドアを引くと、すぐそこのソファに誰かが座っていた。先客がいたみたいだ。先客の方もこちらを見て、そこで目が合う。
俺は思わず、あ、と声を上げてしまった。ソファにあぐらをかいて座っているのは、野瀬だった。この人は顔に似合わず、少し気品に欠けている。上履きのままソファにあぐらをかく女子なんて、多分初めて見たと思う。彼女は目が合うとすぐ、その視線を逸らした。あからさまなその様子に、俺は苦笑する。
「怪我したの?」
さり気なく話かけてみる。しかし案の定、返事はない。野瀬はぼうっと、どこか宙を見ていた。
「……悪かったっス。この前は。苛々してたからつい言い過ぎちゃって…」
こうでも言わないと彼女はもう二度と口をきいてくれないような気がした。自分の性質の悪いところをみられたのだから、仕方ないのだが。ローテーブルを挟んで向かい側のソファに座った俺に、ようやく野瀬が視線をくれた。ふう、と一回ため息を吐いた彼女は、気だるそうに口を開く。
「別に気にしてない、し、あんたがどんな下衆野郎だろうが、私には関係ない」
「下衆野郎ね…」
相変わらず声は低めで、飾り気が全くない。関係ない、という言葉が強く発音され、それは"関わりたくない"という意思表示にも聞こえた。やはり嫌われている。
「突き指?」
それでもしつこく話かける俺に、野瀬は心底嫌そうな顔をする。彼女はさっきから右手の中指をいじくっている。痛めたのだろう。じろじろと視線を送る俺を見て、彼女は仕方なしと言ったように口を開く。
「そう。運動音痴なの」
「へぇ、意外っスね。陸上とか得意そうだけど」
「全然」
彼女は吐き捨てるようにそう言って、ローテーブルに置かれた救急箱を漁り始める。彼女は湿布を取り出すが、それは指に貼るには大きすぎた。そこではさみを取り出すのだが、
右手は使えない。仕方なく左手ではさみを使い始める野瀬を、なんとなく見守ることにする。けれどその動作はいくら左手であっても酷い、というくらい覚束なくて、危なっかしい。というか、ゼンマイが切れかけのブリキ人形みたいな奇妙な動きをしていて、それがどうにも可笑しくて俺は吹き出してしまう。
「なんスかそれ!不器用すぎっしょ!」
「うるさいなぁ!不器用なもんはしょーがないでしょ!」
湿布はあまり切れていない上に、唯一入った切れ目は思い切り斜めっていた。俺が吹き出したのを見て、野瀬は一瞬驚くが、すぐにはさみを放って怒り出す。孤高のプライドに触れてしまったのかもしれない。が、彼女もこうやって声を荒げることもあるのだと、新たな一面を知った気がした。
「俺がやる。貸して」
「いい。自分でやる」
「そんなんじゃ放課後になるっスよ」
すっかり機嫌を悪くしてしまった野瀬は、俺の言葉に全てノーの一点張りだった。けれど俺も大概しつこいので、彼女はズタボロになった湿布をゴミ箱に放り投げて、諦めたように俺にはさみを渡す。湿布が3メートル先のゴミ箱に入ったので、ナイシュ、と一言呟いておいた。
新しく湿布を救急箱から引っ張りだして、それを指に合うように綺麗に切る。ものの数秒で行われるその様を、野瀬はぼうっと眺めている。もう機嫌はいいのか。何を考えるいるんだろう。彼女はなんだか不思議で、よくわからない生き物だと思う。
「ほら、できた」
俺が切れた湿布をぴろぴろと振って見せびらかすと、彼女は無表情のまま口を開く。
「綺麗だね」
俺はどきりとして、彼女を見た。彼女もまた俺を見ていた。何故どきりとしたのか。野瀬が湿布でなくて俺をまっすぐ見て、綺麗、と言ったからだ。彼女にまっすぐと見られると、心の内を見透かされているような気がした。
「手、出して」
「どーも」
貼ってやるから、と湿布を両手で持って構えると、彼女は細くて長い中指をそっと差し出してくる。爪は無造作に伸びていて可愛げなんでこれっぽっちもない。それでも俺はその指に触れる瞬間、どきりとする。女の身体なんていくらでも触ってきた。でも彼女は違う。その辺にいるような女ではない、何か別の生き物に触れているように感じる。ぐっと、湿布を巻きつけると、彼女が一瞬顔を顰めるのが見えた。
「痛い?」
彼女はぶんぶんと首を横に振った。なんだそれ。意外と可愛い。湿布を張った後、包帯を適度に巻いてやった。いつも部活でテーピングをやったりやられたりしているので、その要領でテキパキとこなした。野瀬はその様子を、何を考えてるのやら全くわからない無表情で、じとりと眺めている。
「あれ、血出てる。ここ」
ふと、彼女の膝の横っちょが擦り剥けて血が出ていることに気付く。絆創膏くらいは貼っておいた方が良さそうだ。彼女は傷を見て、あ、と声を上げる。彼女自身気づいてなかったようだ。
「気づかなかった」
「図太い痛覚っスね」
「うるさい」
再び彼女が不機嫌モードに入りそうなので、俺はそれ以上は何も言わずに絆創膏を救急箱から取り出した。包装を剥がして、おもむろに立ち上がる。貼ってやろう。野瀬の隣に腰を下ろすとその体はソファの重みで沈み込み、少し揺れた。
「それくらい自分でできるんだけど」
「ん。サービス」
ぺたり、と彼女の膝に絆創膏を貼った。ちゃんとくっつくようにと、粘着部分を数回さする。
「あっ、」
彼女が急に声を上げるものだから、俺はどきりと肩が震えた。今の何だ?
「え、痛かった?」
「……違う」
「なんスか?」
野瀬は目を逸らして黙り込んでしまう。普通のコだったら、触れられて照れたとかそんなところだろう。けれど照れるわけでもなく「違う」のただその一言しか言わない彼女は、本当によくわからない。
「アンタ、本当何考えてるかわかんない。……ちゃんと言ってよ」
俺はそっと彼女を覗き込む。大概の女はこんなことをするとすぐ落ちる。照れたり、期待に満ちた顔をする。でも野瀬は違った。顔を顰めて、腕で俺の顔を視線から遮る。否定の動作。まるで目覚めたばかりの目で朝陽を見るような、そんな様子だ。
「……眩しい」
「え?」
「目が痛いよ」
「……は?」
唐突に彼女は、そんなわけのわからないことを言う。眩しいってなんだ。俺の顔が綺麗すぎて?髪の色が明るいから?どちらでもない気がする。目が痛いっていうのも意味不明だし気にくわない。本当に彼女はわからない人だ。
「ありがとう、黄瀬」
「……どういたしまして」
顔を顰めたまま言われても、ちっとも感謝の意は伝わってこない。俺の声も聞いているのかわからない。野瀬はそっと立ち上がると、そのまま保健室を出て行った。そりゃあ治療を終えたんだからもう用は無いし、当たり前なのだが、俺はなんだかモヤモヤする。彼女と関わった後はいつも不快感が残る。何故なのかは、わからない。
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寝耳にミサイル