#07
勉強はそこそこできる、そう思っていたが今、目の前に貼り出された掲示物を見て俺は凍りつく。この学校では数学はテストでレベル別にクラス分けされるのだが、なんと自分の名前は最下位クラスにある。クラス分けのテストではそこそこ手応えがあったはずなのに。
「なんだよ黄瀬。最下位クラスじゃん!」
「あー。そんな悪くなかったと思ったんスけどね。テスト」
ここぞとばかりに馬鹿にしたようにニヤついてくる友人が鬱陶しい。俺は無視して名簿に視線をやる。すると自分の名前の少し上に、知った名前があるのに気づく。
野瀬あすみ。同じクラスだ。
途端に彼女を頭に思い浮かべ、らしくもなく狼狽えた。数学苦手なのか、とか、話しかけてくれるだろうか、だとかそんなことを考えてしまった。
「じゃあな〜最下位クラスの黄瀬」
うるさいっスよ、とくだらないからかいを適当にあしらって、俺は教室を後にする。残念ながら同じクラスの友人で最下位クラスになったのは俺だけのようだ。胸糞悪い。次のテストでは挽回しようと心に決めた。
教室に入ってすぐ、俺は無意識に野瀬を探した。彼女はすぐに見つかった。それもそのはず、教室に足を踏み入れた瞬間に誰かが「キセリョだ!」と言ったせいで、そこにいたほとんどがこちらを振り向いたのだ。俺は視線を向ける女子たちに作り笑みを浮かべる。途端に騒ぎ始める女子と、すぐに目を逸らす男子。本当は嫌でしょうがない。どうせ黄瀬涼太は数学最下位クラス、なんて噂されるんだろう。
教室の後ろの廊下側の方に、野瀬がいた。てっきり彼女は一匹狼なのだろうと思っていたが、数人の友人と仲睦まじく喋っている。彼女も彼女で世渡り上手らしい。俺が教室に数歩足を踏み入れたところで、案の定数人の女子が駆け寄ってくる。
「黄瀬くんクラス一緒だねー!数学苦手なのー?」
「あ、唯ちゃん!そう俺数学全然ダメ」
「あはは!かわいー!」
唯ちゃんは隣のクラスで、俺によく話しかけてくる女の子だ。なかなか可愛いけどタイプじゃない。唯ちゃんの周りにいつもくっついている女子も一緒で、にこにこと笑って俺を囲む。こういう、踏み込みはしないものの機会を伺っているような女は沢山いるが、どうもどれも、気に入った試しがない。
「黄瀬くん席順見たー?一番後ろの角っこだよ!うらやま!」
「え、まじ?ラッキー」
唯ちゃんが教卓の上にあった席順表を掴んで寄越す。大人しそうな女子生徒がまだそれを見ていたのにも関わらず平然と行われるその動作に、俺は内心で呆れた。自分のことしか考えてないのだろう、こういう女は。表を見れば、確かに一番後ろの窓際の席に自分の名が書かれていた。不幸中の幸いというやつだ。ならまわりは誰だろうと前の席を見て、俺は驚く。
「あ」
「なにー?どしたの?」
「いや、なんでもない」
俺の前の席は野瀬だった。こんな偶然あるのか、と俺は息を飲む。同じクラスで、前の席。別にだからどうと言うわけでもないが。
席に着くと女の子たちもついてきて、あれやこれやと話しかけてくる。俺の席を囲むようにしている女子たちのせいで、彼女は今ここへ来たとしても椅子など引けないだろう。それを知ってか否か、野瀬は廊下側の席でまだ友人と喋っていた。
ようやく授業開始のチャイムが鳴って、皆が席に着く。女の子たちがいなくなったところで、野瀬がやってくる。視線は手元の携帯に釘付けで、こちらを見向きもしていない。
「野瀬サンじゃないスか」
俺は今気づいたかのようにわざとらしく声をかけた。彼女は俺を見るなり少し眉間に皺を寄せる。まだ嫌われてんのか。
「…どうも」
かったるそうに、視線すら逸らしてそう言った野瀬は、教科書とペンケースを放り投げるようにして机に置き、座った。そしてすぐに机に突っ伏してしまう。雑に置かれた教科書の上に彼女の頭が乗っかっている。どうやら授業を聞く気は毛頭無いらしい。
「野瀬サンて、意外と不真面目なんスね」
「眠いの。ほっといて」
相変わらず素っ気ない。そりゃあ嫌われてるんだから当たり前か。野瀬はブレザーからiPodを取り出して両耳にイヤホンをはめ込むと、完全に自分の世界へと入っていってしまった。
授業開始からしばらくして、音楽を聴きながらも彼女は寝てしまったようだ。規則正しく背中が上下に動いて、時々ぴくりと腕が動くから面白い。俺はふと、野瀬は母子家庭で、金が無いからバイトをしている、と笠松先輩が言っていたのを思い出した。だから眠いのかもしれない。思えば、彼女の大人びた風貌や態度は、取り巻く環境からきているものなのかもしれない。
俺は野瀬を観察したり、授業をなんとなく聞いてみたり、ぼーっとしたりと好き勝手に過ごした。しかしものの30分程で自分も睡魔に襲われ、うとうととしながら肘をつく。黒板をぼんやりと見つめるが、何が書いてあるかなんて頭には入っていない。
ようやく授業終了が近くなった頃、俺はふと気付いた。野瀬は相変わらず机に突っ伏しているが、今は顔だけを窓側に向けて、外を見ている。長いまつげが瞬きをする度に震える。瞳は左右にいったりきたりと動いていて、何かを目で追っているようだった。俺はその視線の先を辿って、グラウンドに目をやる。そこにいたのは俺も見慣れた人物、笠松先輩だった。外のグラウンドでは今、3年の体育の授業が行なわれているらしい。
体育は準備と着替えを考慮して早めに終わる。赤いコーンを持ってぶらぶらと歩く先輩を見るに、今は後片付けの時間らしい。体育用具を片すのに、倉庫をいったりきたりしながら途中友人と戯れあったりする先輩を、野瀬はずっと目で追っている。幼馴染みだから気になるのか。
そう思った矢先、ふ、と彼女が微笑むのを俺は見た。笑った顔なんて、初めて見た。少し悲しそうで切なげな表情だった。
なんだ、野瀬は――笠松先輩が好きなのか。
途端、胸焼けみたいな、気持ちの悪い感覚が喉からせり上がってくるのを感じた。それが何なのかなんて考えたくもない。違う。ただ俺は、自分に見向きもしない女が、先輩にだけいい態度をとるのが気に食わないだけだ。
野瀬の切なげな横顔を見て、ふと思い出す。「いや、ねーよ。あいつは家族みたいなもんだ。」あの時の淡々とした先輩の言葉。
そうか。何にも関心が無さそうに見えるが、彼女は彼女で苦々しい青春を送っているらしい。なんだかもどかしい。授業なんて早く終わってしまえばいい。
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寝耳にミサイル