戯れる。
『――――共食。』
あたしは雨月さんの目をじぃっと見つめて呟いた。あたしの言葉を聞き取った彼が大きく目を見開いている様子を見れば、それだけであたしが何を言いたかったかを理解してくれたのだと確信した。……やはり、刺青さんは首を傾けていたけれど。
雨月さんは顎に指を置いて考える仕草をしながら、刺青さんの引き止める声を無視して部屋を出ていき、暫くすると一人の青年を連れて戻ってきた。
「なんで、ランポウを連れてきたんだ?」
「それは俺様も聞きたいんだものね。」
緑色のモフモフとした髪色、恐らく雨月さん達よりも若い青年。その口調からは、年齢よりもずっと幼い印象を受ける。
「私とGは少々プリーモと話しがある。ランポウ、私達が帰ってくるまで、#仁菜#のことはお主に任せるでござる。」
えぇーなんで俺様が、と愚痴るランポウと呼ばれた青年の頭をヨシヨシと雨月さんは撫でると、刺青さんを連れだって部屋から出ていってしまった。
―――――共食。
他界の食物を食べてしまえば、その世界の住人になってしまうという古代人の思想であり、日本書紀では黄泉戸喫(よもつへぐい)として異世界との接点の話が神話として数多く描かれている。
その話の一部を例に挙げると、有名なものとしては神生み・国生みの神である伊邪那美命と伊邪那岐命の話だ。
ある日、現世から黄泉の国へと去ってしまった伊邪那美命。その後、苦労して追いかけた伊邪那岐命は彼女を現世に連れ戻そうとしたけれど、彼女はすでに黄泉の国の食物を食べてしまったため、もう現世には戻ることはできなかったという話。
それだけじゃない。その他にも日本書記には、人間の男性が成り行きで招かれた海の国のご馳走を食べた所、その国からは身体的にも精神的にも出られなくなってしまったという話もある。
これらはもちろん神話だ。つまりはフィクション。そんなことは流石に分かっている。けれど、たかが神話、されど神話。
実際にタイムスリップという摩訶不思議な現象を体験していて、尚且つ、今のところ帰れる保証など存在しない身としては、その話を作り話だと笑い飛ばせるはずもなかった。
―――――――…
長い廊下を歩きながら雨月は共食の思想をGに説明していた。眉を潜めながらもそれを黙って聞いていたGだったが、説明が終わる頃を見計らうと静かに口を開いた。
「共食については分かった。……だが、ここはイタリアだろ?日本に帰りたければ多少手間はかかるだろうが、帰れないということはないはずだぜ。」
Gの言葉に雨月は頷く。
「それに、その共食ってのは迷信だろ?」
「無論。しかし、彼女の様子に私はただならぬ焦りを感じた。」
「焦り…?」
「あぁ、私自身確信があるわけではないが。」
Gも雨月も、プリーモからは、とあるマフィアの研究所で実験体として扱われていた少女を保護したということ以外、詳しくは聞いていなかったのだ。双方、とりあえずはプリーモに聞くのが一番だという結論に達すると、彼の元へと急いだのだが―――――
前方からはアラウディが颯爽と歩いてきていたため、思わず二人は彼を呼び止めた。
プリーモはアラウディと一緒にいるだろうと推測していたのだが、その周囲にプリーモはいない。するともう報告は終わってしまったのだろうかと、Gと雨月は首を傾けた。
「――何。君達と違って、僕は忙しいんだけど。」
プラチナブロンドの髪を靡かせながら切れ長の瞳は二人を睨みつける。
Gと雨月は、その睨みにも怯むことなくプリーモの居場所を尋ねると、「彼は"料理を作る"と言って、そのままキッチンに行ったよ。」と、意外にもアラウディは溜息をつきながらではあるが、簡潔に答えてくれた。
そして、アラウディのその言葉を理解すると同時にピシリと二人は固まった。一方で、暫くはその様子を横目で見遣っていたアラウディだったが、早々に自分には関係ないと結論づけるとこの場を去っていった。
「―――料理…だと?」
先に復活したのはプリーモの幼なじみ兼右腕のGだった。
「――これは驚いた。まさか、プリーモが料理を作れるなんて初耳でござるよ。G、どうして今まで黙っていた?」
「イヤ……俺も初耳だが。あいつ一体何するつもりだ?」
「とにかく行くが先。考えるのはそれからでござる。」
「あぁ。」
二人はすぐにキッチンへと向かった。
―――――――…
『………』
「あー嫌だ嫌だ。なんで俺様がこんなガキんちょのお守りをしなきゃなんないわけ?」
先程から青年はブツブツとそんなことを繰り返している。
『これでも十六だけど。』
「………ふーん。でも俺様よりガキんちょに見えるのは確かなんだものね。」
……確かにあたしはまだまだ子供だ。文化の違いか遺伝子の違いか、西欧に比べれば東洋の身体なんて子供にしか見えないかもしれない。
けれど、何度もガキガキ言われたら…流石にあたしも黙っていたくはなかった。
「このガキんちょのせいで、俺様ものすごく暇な―――」
『……さっき…から煩い。そんなに嫌なら…無理にここにいなくて…いい。』
喉が辛く、熱に朦朧としながらもあたしは最後まで言い終えた。
「…………。」
すると、彼は先程までの文句が嘘のように黙り込んだ。あたしは、先程の言葉が効いたのだろうと自己解釈するとその静けさに甘んじて瞳を閉じようとした――のだけれど。
「アンタをちゃんと見とかないと、後で怒られるのは俺様なんだものね。怒られるのは嫌だ。」
知るか。とあたしは内心そうごちる。彼が怒らようが怒られまいが、そんなことはあたしにとって激しくどうでも良い。
「退屈なんだものね〜」
そう言いながら椅子をガタガタさせる様子はまるで子供だ。身体は立派な大人だというのに。
あたしは、先程からズキズキと痛む頭を押さえながらゆっくりと起き上がった。
―――そして、気づく。
あたしは今や裸じゃなく、控えめな黒いワンピースを身につけていた。
あたしが気を失っている間に、誰かが着せてくれたのだろうか。そう頭の隅で疑問に思いながらも、あたしは彼に向き直った。
『……コイン、持って…る?』
「ん?」
『だからコイン。持ってないの?…一枚で良いんだけど。』
あたしが喉の痛みを我慢して、そう一気に言うと彼はポケットから一枚の銀貨を差し出してきた。
あたしは"お借りします"と言って銀貨を右の掌に乗せた。この大きさや重さなら問題ないだろう。
『……このコインはね、とっても恥ずかしがりやさんなの。』
「恥ずかしがりや?」
『そう。……そして気まぐれ。』
あたしはその掌でグッと握りしめて銀貨を隠すと同時に左手も握り閉める。
『どっちにあると思う?』
彼が示した方は当然右手。
あたしは、ゆっくりと右手を開いた。
「……え。」
驚くのも無理はない。あると思っていた右手の掌には銀貨がなかったのだから。
『言ったでしょ?恥ずかしくて隠れちゃったんだ。』
「―――じゃあ、こっちなんだものね。」
そして示される左手。その拳をゆっくり開くと、さらに彼の瞳は見開かれた。
「ない……じゃあどこに?」
彼は首を傾けて心底不思議そうな顔をしてみせる。あたしは、彼をチョイチョイと手招きくと近づく彼のワイシャツのポケットから銀貨を取り出した。
「あ。」
『……こんな所にいたのね。』
「アンタ、それどうやったんだものね。俺様にも教えてよ。」
『……あたしは何も。このコインが勝手に隠れちゃっただけ。』
あたしの言葉に彼はジッと銀貨を見つめる。暫くあたしは彼にも見えるように銀貨を弄んでいたのだけれど……
「あ。」
『君がそんなに見つめる…から、また隠れちゃった。』
両手の掌をヒラヒラさせて銀貨がなくなってしまったことを表すと、あたしは辛くなってきた身体を横たわらせながらも彼のワイシャツのポケットを指で指した。
『……そこがお気に入りの隠れ場なんだって。』
あたしの言葉を聞いた彼は自身のポケットを探って数秒…見つけ出した銀貨を暫し眺めると、瞳をキラキラさせながらあたしを見つめてきた。
「アンタ、すっげー!」
『…少しは…退屈凌ぎになったっしょ。あたしが元気になったら、他にも…見せてあげる…だから、今は静かにしてて。』
「本当?」
『うん…やくそく…する。』
もう体力も気力も限界だった。
あたしは素直に頷く彼を確認すると瞳を閉じる。ようやく静かに休めることにホッと息をついた。
「……俺様、アンタを気に入ったよ。次は"君"じゃなくて俺様の名前を呼んで欲しいんだものね。」
そう呟く彼の声が聞こえた。
―――それにしても単なる我が儘な青年かと思ったら……違った。手品を見せた時の彼の―ランポウのキラキラとした瞳が瞼の裏に描かれていて、目をつむった今でさえも純粋に興味を持ってくれた瞳を容易に思い出すことができる。
まるで、子供がそのまま大きくなった印象を受けるそれは、やはり微笑ましくて、たまにはこうやって戯れるのも良いのかもしれないという気持ちにさせてくれた。
「でもやっぱり退屈だなぁ〜。#仁菜#、早く起きるんだものね。」
……けれどその前にしつけをするべきだろうか。とすると、まずは我慢を覚えさせなければ、と思ってしまったのは仕方がない。
まさか、病院で入院している子供達に見せるために必死で練習した手品が、こんなところで役に立つとは思いもよらなかった。
見た目は大人、頭脳は子供――――その名も迷探偵"ランポウ"
そんなフレーズが頭を過ぎって、あたしは密かに笑った。
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