握りしめる。
――――――――…

「お前、最近寝てるのか?」

「心配ない。これくらいで業務に支障が出るようでは、ボンゴレの名が泣くだろう?」


「……。あまり無理はするな。」

「あぁ。」


「……こいつ、うなされてんのか?」

「………ずっとこの調子なんだ。」


ジョットのベッドの上に横たわる彼女の姿。あの夜に倒れてからここ二日、#仁菜#がずっと目を覚まさないのだ。
傍で看病したいというジョットとしての希望と、業務を疎かにするわけにはいかないというプリーモとしての責任を総じて、#仁菜#がジョットの部屋に移されたのが二日前の話。当然、Gや雨月が看病を代わると言っても、ジョットは首を縦には振らなかった。
それ以降、ジョットはソファーで仮眠をとりつつ、看病と業務を並行して行っている。


ジョットはワイシャツの袖を捲り、脇に控えた氷水に白いタオルをつける。しっかりと搾ったタオルを、#仁菜#の額の上に乗せた。
それからジョットは#仁菜#を労るように、頭を軽く撫でてから細く白い右掌を強く握りしめる。
そうすると、苦しげだった彼女の表情は幾分柔らかくなるのだった。


ノックと共に執務室の扉が開かれる。入ってきたのは雨月だった。


「#仁菜#の様子は?」

雨月に聞かれたジョットは、無言で首を横に振った。


「……そうでござるか。」

「雨月、要件は何だ?」


「そうだった……プリーモ、G。ナックルとデーモンが今夜にはこちらに着くとの知らせが入ったでござる。」


「………そうか。」


思案気味に間を空けてから返事をしたジョットの顔は、確かに疲れた様子が見えた。ソファーで仮眠を取ってるとはいえ、言うほど睡眠を取っているわけではないということがすぐに分かる。

そんなジョットを見兼ねたGが口を開いた。


「…プリーモ。明日は守護者との大事な会議が控えている。」

「あぁ。」


「こいつを心配する気持ちは分かるが、その席でお前が倒れたら会議は中断。ゆくゆくはこいつにとって――――」


「G。」


ジョットはGの言葉を遮った。


「――――なんだ。」


「ランポウを、呼んできてくれないか。少し話しがあるんだ。そのあとは……そうだな、仮眠をとるとしよう。G、雨月、#仁菜#の看病を頼めるか?」


「プリーモ……あぁ、勿論だ。」

「プリーモはゆっくりと休むと良いでござる。」


ジョットの言葉にGと雨月は頷く。それからランポウを呼びに行くため、Gは静かに部屋を出ていった。


#仁菜#を見つめながら、ジョットはフッと笑う。


「……プリーモ?」

「いや、何でもない。どうやらお前達には随分と心配をかけたようだ。」

「なーに、従として主の身を案じるのは当然のことでござるよ。……それに、今回の事は私の責任でござるよ。あの場を離れなければ#仁菜#もこのようなことには――――すまなかった。」


「雨月。それは違う。あれはお前のせいではない。自分を責めるな。」


ジョットが静かに告げたのは否定の言葉だった。


「………」


雨月の沈黙に、ジョットは#仁菜#から目を離すと彼を見上げた。
ジョットの眉間にはシワが寄っている。


「それにな……体面上、外ではそう見せているが…雨月、オレはお前達のことを部下だとは一度たりとも思ったことはない。良き友として、大切な仲間としてだな―――」

雨月は目をつむると、首を横に振ってジョットの言葉を遮った。


「プリーモ、心配せずともそれは皆分かっている。」

「………そうか。」


ジョットは会話を終えると、#仁菜#の脇腹まである彼女の髪を指で弄び始める。それをじっと見ていた雨月が、そういえば…と口を開いた。


「#仁菜#の瞳と髪色は、日本人にしては珍しいでござるな。異国の血が混ざっているのでは?」

「……。どうだろうな。」

「まるで、カプチーノの精霊のような綺麗な色でござる。」

「…カプチーノの精霊、か。だが、雨月。それでは午前しか会えないことになるぞ。」

「――!ハハッ。それは寂しいでござるな。では、ミルクティーの精霊に変更してもらおう。」


「…………それも反対だ。それではイタリアからすぐに離れていってしまう。」


「ふむ、それもそうでござるな…………しかし、らしくない。単なる比喩でござるよ。」


「………。確かにそうだな。」


ジョットはそう言ってから、#仁菜#の額に置いてあるタオルを手に取ると氷水に浸す。
ハハッと微笑んだ雨月は、一度瞳を閉じてから、真っ直ぐプリーモを見つめた。


「―――プリーモ。彼女に随分と執着しているようでござるな。」

タオルを搾っていたジョットの動きがピタリと止まった。


「―――これは私の勝手な予想でござるが…プリーモ、実は彼女とは今回が初対面ではないのでは?」


「……。」


「…………。すまない。少々、踏み込み過ぎでござるな。」


雨月のフワリとした微笑みに、ジョットは瞼を閉じて口端を上げる。
いずれは全て話さなければならない時が来るのだろうという予感を、ジョットは確かに感じていた。


「……雨月の予想通り、オレはおそらく#仁菜#と、これが初対面ではないと思っている。」


ジョットはタオルを畳んで、#仁菜#の額の上に乗せる。
雨月は静かにジョットの話しに耳を傾けていた。


「……だがすまない、今言えることはこれだけだ。雨月、オレに時間をくれないか?お前達にもいずれは必ず話す。それまで待っていて欲しい。」


雨月は頷いた。

「気長に待っているでござるよ。」

「……感謝する。」



会話が一段落した所で、ノック音がした。ジョットが入室の許可を与えると、Gと共にランポウが欠伸を噛み殺しながら入ってくる。また業務をサボって昼寝していたな、と雨月は苦笑した。


「ご苦労だった、G。」


ジョットは椅子から立ち上がると、Gと居場所を交換する。
それからランポウを真っ直ぐ見遣ると、静かに言った。


「―――ランポウ、お前に聞きたいことがある。」


「ふわぁあ。…俺様に聞きたいこと?」


「あぁ。…二日前に、お前が見たことをオレ達に話してくれないか。」


ジョットの言葉にランポウの眠気も吹っ飛んだのか、ギクッと声に出して肩を上下した。


「お、俺様。何も見てないんだものね。」

「ランポウ、往生際が悪いぜ。俺達がお前の狸寝入りを見抜けなかったと、本気でそう思ってんのか?」

Gの言葉にランポウは口をつぐんだ。

「ランポウ。事態を早急に解決しなければ、取り返しがつかなくなるかもしれない。
―――お前はあの誓いを忘れたのか。」

「………。」

「ランポウ。」

「………。」

ランポウ。」


「……あーもうっ、分かったよ。プリーモにそこまで言われたら敵わないんだものね。
―――その代わり、アイツを助けなかった俺様を怒らないでよ。」


ランポウは少しふて腐れた顔をするが、その言葉は肯。ジョットはフワリと微笑むと、ランポウの頭を優しく撫でた。



「約束は、できない。」







――――――――…



研究所にいた。
白くて寒い部屋の中、あたしは必死に走っている。
何のために走っているのかは自分すら分からない。
辛くて苦しくて、それでも立ち止まっては駄目だと本能が叫んでいた。

目の前を何かが掠める。

それを合図にズルズルと何かを引きずるような音が耳をついた。
走っても走っても、その音は追いかけてくる。
恐怖心と好奇心が混じり合う中で、後者が僅かに勝った。
勢いよく背後を振り向く。


――――そこには、バラバラな四肢を寄せ集めた血まみれの"かつての人間"だったものがいた。
あたしを仲間にしようとしているのか、怨念めいた呻き声が頭に響いてくる。


声にならない叫びをあげながら、更にスピードを上げていった。

怖かった。
恐ろしかった。
仲間になんかなりたくない。
あんな風になりたくない、と思った。

けれど、あたしの意に反してズルズルと容赦なく引きずる音が迫ってくる。


幾度とそれを繰り返した時、ついに足がもつれて転倒した。

それをチャンスとばかりに、亡きがらが一斉に降り懸かってくる。恐怖心から目をキツク閉じた。


"#仁菜#"


優しい声と共に、激しい爆音。
あたしを取り込もうとしていた亡きがら達は、すぐさま燃え尽き、目の前には金色に近いオレンジの炎を宿した男が立っていた。


あたしはコクりと生唾を飲み込むと、目の前の男をじっと見つめる。
あたしを、助けてくれたのだろうか?


"#仁菜#"


男は静かに呟くと、懐から銃を取り出す。彼は、銃口をあたしの額に向けて微笑んでいた。


"…こんな奴らも倒せないようでは、足手まといだ"



カチャリと安全レバーを外す動作が酷くスローモーションに思える。


"お前には死んでもらう"


男はトリガーを引いた。









―――――#仁菜#はハッと目覚めた。
暗闇の中、息が思いの外上がっていて全身汗でびっしょりである。


『……』


起き上がった際に額から落ちた濡れタオルを右手に取ると、ため息をつく。
先程の情景が夢だと分かり、酷く安心した。


そして左手の違和感を感じて、キツク閉じていた掌を開く。
―――そこには、白い錠剤が二つ置かれていた。


『……。ジョット達が、マフィア。』

「―――否定はしねぇな。」


まさか独り言が返されるとは思っていなかった#仁菜#はギクリと肩を揺らす。咄嗟に左手を上掛けの中に隠して、声がした左側を向いた。


『……刺青さん。』


真っ暗闇の中、ベッド脇の小さなランプの光のみでは明るさとして不足だが、椅子に腰掛け、足を組んでる男は紛れも無くGだった。
彼は呆れ果てたように#仁菜#をじっと見つめる。


「刺青さんとは何だ…、Gで良い。」

『G、さん?』

「…Gで良い。」

『………G。その……、あっさり認めちゃうんだ。マフィアだってこと。』


「…否定して欲しかったのか?」

『それは………勿論。マフィアって言ったら、悪いイメージしかないし………怖いし。
―――かと言って、ごまかされるのはもっと嫌ですけど。』


「……。体調はどうだ。」


寝覚めは良くない。
しかし、身体の怠さは感じられず、体調の程は大分良くなっていた。


『…良くなりました。』


「ま。五日も眠りこけてりゃ、良くもなるだろ。」


『…五日?』


「…プリーモに礼を言っておけ。この五日間、アイツは文字通り寝ずに看病していたんだからな。」

『ジョットが…。』


#仁菜#が俯くと、Gは再び口を開いた。


「てめぇを今後どうするかは、明日の会議で決める予定だ。」


『………どうするかって……あたしを…殺すつもりなの?』


夢の風景が一瞬過ぎり、全身の血の気が引いた。


「安心しろ。
―――俺達はマフィアだが、何の決定もなしにお前にどうこうするつもりはねぇよ。」


『………。』


「……とにかく病み上がりだ。今は寝ておけ。」


『………。はい。おやすみなさい。』

「………お休み。」



#仁菜#は素直にベッドに横たわると、Gとは反対の方向を向いて瞳を閉じる。

Gには返事をしたが、#仁菜#の心境としては易々と眠れるわけもなく、結局そのまま朝まで狸寝入りをし続けることになったのだった。







(強く握りしめた白い錠剤こそ、あたしの小さな決意。)





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