毒舌男の真相話
――…
この船のコックであるアザラシさんは、漆黒の髪と猫目をした青年だ。
毒舌でマイペースな彼と少しでも仲良くなりたいと思って、空いている時間にちょこちょこ準備を手伝ったりしている。
丁度、アザラシさんの夕食の仕込みの手伝いをしていた時だった。
「ナツミ、島が見えたぜ!」
アザラシさんの方をチラリと見ると、彼の許しがでたためシャチと一緒に甲板へと向かう。島はどうやら春島で、おそらく過ごしやすい気候だろうとペンギンさんが教えてくれた。ベポもシャチもイルカさんも長い船旅に飽きていたのか、島が見えた瞬間の喜び様が著しかった。
隣に立っている、長身の男を盗み見る。ローさんの表情は特にいつもと変わりないようで、彼の心情を察することができない。
『………。』
「………どうかしたのか?」
ペンギンさんの問いに、何でもないと慌てて首を振る。
最初にこの船に来た時、ローさんからは"次の島まで乗せていってくれる"と告げられていた。つまりは、この船が島に着いたら皆とはお別れなのだ。
ローさんは言ってくれた。私の夢を、私が努力しつづけるかぎり協力してくれると。でもそれは、この船に乗っている間だけだろう。彼等には彼等の目的があるのだから。だから、島が見えたところで素直に喜ぶことなんてできなかった。
………みんなと離れがたい、寂しいというこの気持ちは、私の独りよがりなのだろうか。
私は一度溜息をつくと、ローさんに断ってから食堂へと戻ることにした。
「……何、もう戻ってきたの。君、初めてじゃなかった?島。」
『…あ、はい。でも仕込みも途中でしたし。』
「ふーん。あ、それ刻んでおいたからこれで煮て。焦がさないように。」
『はい。』
「………。で、何で落ち込んでるわけ?」
アザラシさんは、準備する手を止めずに聞いてくる。落ち込んでいるのが、そんなに分かりやすかっただろうか。
『………、落ち込んでませんよ。』
「言いたくないなら別に良いけど。…僕の仕事、増やさないでよ。」
『え?』
「鍋。」
『……あ』
急いで火を止めた後、予め指示されていた調味料で味を整えて盛り付けをする。
「一応、合格ライン。」
OKを何とか貰えたため、思わず安堵する。以前に調理で失敗した時なんて、毒舌の嵐攻撃を受けたものだから軽いトラウマだった。それをここの船員達は経験しているからこそ、よくコックの手伝いができるな…なんて感心されたりもする。主にシャチから。
『……。私だけ、なんですかね。離れたくないって思ってるの。戦い方を教わったり、談笑したりしているうちに少しは彼らとの距離を縮められたと思ってたんですけど。思い上がりだったんですね。』
「思い上がりも良いところだね。常日頃から図太いとは思ってたけど、ここまでとは。」
ズバっとアザラシさんに言われて、余計に落ち込む。毒舌は今日も絶好調のようだった。アザラシさんは、今度はメインの肉を焼きながら口を開く。
「大体、君はこの船に来て何日?」
『……えーと、九日くらいかな?』
「まだ八日だよ。それで、一方の僕達。一番付き合いの短い僕でさえ海に出てから一年間一緒に過ごしてきたんだよ?」
『……長い付き合いですね。』
「そう。だからさ。むしろ、こんな得体の知れない小娘に対して、こんなに馴染んでる今の状態が、僕からしてみたら異様。気持ち悪い。」
『…アザラシさんは、私がこの海賊団の敵だと今も―――。』
「思ってたら、君を調理場に絶対立たせない。……それに君、自白剤入りのスープ飲んだんでしょ。それも結構強いやつ。」
『………。自白剤?』
「あれ、聞いてない?初日にベポとシャチが持っていったやつ。それからでしょ、シャチと君が仲良くなったのって。」
………思い出した。確かに、あの時のシャチの態度の変わりようには不思議に思っていた。
「通常の数十倍の濃度で入れたから、君に嘘はつけなかったはずだよ。まぁ、後で船長にバレて怒られたけど。…よくお腹壊さなかったね。というかよく死ななかったね。」
え、通常の数十倍の濃度って……アザラシさんは、私をどうするつもりだったんだ。死ぬまでは流石にいかなかっただろうけど、下手したら何らかの後遺症が遺る……。
………あ。だからか。
だから、あれから数日、ローさんが付きっきりで診察やら検査やらをしていたわけか。
『もしかして、ローさんが補聴器を改良してくれたのって…』
「お詫びの意味もあるんじゃない?一応、この船の責任者だし。部下の致した責任は上司が被るものでしょ。」
『………………。アザラシさん、一発だけで良いので殴らせて下さい。』
「嫌だよ。突然現れた君が悪い。っていうよりむしろ僕に感謝して欲しいくらいだ。君が皆から信頼を得たのは、その一件があったからでしょ。」
彼はそう言うと、火を止めて盛り付けをしていく。最後に特製ソースと付け合わせを乗せれば完成だった。
ようやく、手を止めたアザラシさんは一つ溜息をつくとギロリと睨んでくる。
「君は図太い性格してるんだから、こういう時こそ発揮したら?うじうじうじうじ、いい加減うっとうしいんだけど。」
『……私、図太くないです。むしろ繊細ですよ。』
「あー、自覚がないって恐ろしいね。繊細な子は、船長の脅しで笑ったり、敵の海賊団相手に剣だと殺しちゃうー、なんて馬鹿な心配はできないもんだよ。…海賊舐めすぎ。」
彼が言った内容は、確かに覚えがあるものだった。すごく恥ずかしくなり、ぶわりと顔が熱くなる。
『…それ、何でアザラシさんが知ってるんですか。』
「……僕は君と真逆なんだよ。」
『真逆?』
「……図太い上に鈍感か。むしろ鈍感だからこそ図太いのか。」
『………』
アザラシさんが、食堂のテーブルに料理を並べている間に私は使い終わった材料を片付けていく。
「……君さ、僕の声が聞こえないってこと一度もないでしょ。」
『……へ?あ、』
確かに、位置的に私とアザラシさんは大分離れているけれども、相変わらず彼の声はクリアに聞こえていた。
「…それ、外しても多分聞こえると思うよ。」
試しに補聴器を取っ払ってみる。目の前に流れている水の音すら、全く聞こえない無音の世界が広がった。
「聞こえるでしょ。」
けれども、彼の声がちゃんと聞こえる。というよりも、脳内に直接響き渡るような感じだった。
彼に頷いてから、もう一度補聴器をつけ直す。
今、起こっている現象が信じられなくて呆然とした。
「今の現象が、逆に僕自身にも起こる。」
『………つまり、』
「いくら離れた所にいても、例え扉という障害物で遮られようと…僕が設定した相手の声が、僕には聴こえる。ペンギンに教わったでしょ。悪魔の実。僕はモシモシの実を食べた能力者。この船では、コックであると共に情報伝達係でもある。」
『………能力者、』
悪魔の実か。この世界は、本当に何でもありのようだ。
でも……そっか。とすると、私もモシモシの実を食べれば、もしかして。
「変な希望は捨ててね。悪魔の実は一つとして同じものは存在しない。」
心臓が跳ねると共に、肩を落とす。世の中、そう簡単にいくものではないらしい。
「………ただ一つの条件を除いてね。」
『………条件?』
「その能力者が死ぬと再び世界のどこかでその実が現れるらしいよ。……どう、その包丁で僕を刺し殺してみる?」
丁度、私が包丁を濯いでいるのを見越してか、彼は私に視線を向けてくる。どこか楽しそうな表情だった。
私は、この間ローさんが言ってくれた言葉を思い出す。
包丁を仕舞うと、ゆっくりと深呼吸をした。
『…医師は、誰かを生かすためにいます。それを目指している私が、誰かを……アザラシさんを、殺すわけないでしょ。』
「生かすため、ね。けど、僕達の船長は違うみたいだよ。知ってる?彼の通り名、」
『とおり、な?』
彼は懐から数枚の紙を取り出すと、近づき、見せてくる。
どうやら手配書のようだった。
「船長のはこれ。死の外科医。トラファルガー・ロー。一億ベリーの賞金首。」
『死、の外科医?』
その時だった。食堂の扉が開くと、ローさんを始めとする甲板にいた船員達がぞろぞろと入ってくる。
「まぁ、この続きはまた今度ね。君ももう良いからさっさと座りなよ。」
アザラシさんに促されて席についたものの、味も、話も、何一つ分からなかった。