鑑別と判別
―――――――…
翌朝、船は早々にナチュリ島を出発した。アザラシさんの朝食の支度を手伝いながら、食堂で船員にからかわれているリース君を見遣る。詳しくは分からないが、どうやらあの子も暫くはこの船で過ごすことになったらしい。
『………。』
今だに、懐に入れっぱなしの指輪をリース君に渡すべきかどうか決めかねていた。とりあえずは、ローさんの意見を仰ぐべきだろうと結論を出すと、作業を続けた。
「……疑問は解決したの?」
『え、あー。それはまだ。』
「そう。」
『…………。』
「…………。一応、船長の役には立てたみたいだね。」
『……へ。』
「ここはもう良いから、君は船長を起こしてきてくれない?」
『…あ、はい。』
アザラシさんの言葉に疑問に思ったまま、ローさんの部屋へと向かった。
部屋の前で二度ノックをして、ローさんを呼ぶ。
すぐにドアが開くと、ローさんはソファーに座って脚を組んだ。
促されて、私もローさんの隣へと腰を降ろす。
「……で、どうした?」
『あ、アザラシさんが朝食が出来たからってローさんを呼びに。』
「……あぁ、分かった。すぐに行く。」
それから、私は懐から指輪を取り出すとローさんに手渡した。
『それと、これをどうしようかと…。』
「燕尾屋が持っていたやつだな。リースに渡しても良いが、少し気になることがある。……おれが預かってても構わねぇな?」
『あ、はい。』
「………で、また何か悩み事か?」
『………え?』
「…顔にでてる。」
ハッと思って両手を顔に持っていくと、隣からは押し殺したような笑い声が聞こえてきた。
『………ローさん。』
「そう剥れるな。アザラシからはもう報告がきてるんだ。」
『密告者はアザラシさんかっ!』
「……で?海軍の二人に何を言われたんだ。」
『………』
「………」
『…シーホステッド症候群っていうのに、私は患っているんじゃないかって言われました。』
「……。」
目線でローさんが続きを促してきたため、私は一度唾を飲み込んでから話し始める。
『私、自分がよくわからないんです。この船に来てから、数日。今では、ハートの皆と…ローさんとずっと一緒にいれたらって思ってたし、そう望みました。』
「………。」
『だから、ローさんの言葉も素直に嬉しかったんです。仲間に入れてくれるんだって。っでも……。』
「……。」
『私、私のこの気持ちは一時的なものかもしれないって言われて……自分の気持ちの行方がよく分からなくなってしまって。それで、…えっと………ごめんなさい、上手く表現ができないです。』
「お前は―――どうしたい?」
今まで黙って聞いてくれていたローさんが静かに口を開いた。
「シーホステッド症候群のことは、おれも知っている。海賊という生業上、かなりの確率で相手に起こさせてしまうからな。」
『……でも、私。』
「…ここで、おれがお前を診察して、シーホステッドに患っているか患っていないか鑑別するのは簡単だ―――だが。」
ローさんは宙を見上げる。それからゆっくりと話しを続けた。
「おれとしては、お前が患っていようがいまいが関係ない。おれ達と一緒にいたいというお前の気持ちは、誰にも左右できない、お前自身のものだと思っている。」
『…ロー…さん。』
「だが、おれが何と言おうと、ここで白黒つけねェ限り――お前は納得しないんだろ。」
後で怒るなよ。
そう低い声色で囁かれたのは一瞬で、倒された身体の下には先程座っていたソファー、目の前にはローさん、その奥には天井という…なんとも摩訶不思議な視界だった。
『……え、と……ローさん?……何を…』
「少し黙れ。この状況下で…何が起こるか分からない程、ガキでもないだろ?」
ローさんの顔が私の首元に埋まっていく。生暖かい吐息が首筋にかかると、思わず身体をびくつかせた。
それから、ローさんの手が私の脇腹を摩り始めると、くすぐったさに少し身体をよじる。
意識が脇腹にいっている間に、今度は首筋にざらついた感触がして思わずのけ反った。
ローさんに舐められている、のだろう。
ローさんがつけた唾液の道筋は外気に触れると、時折ヒヤリと疼かせる。何度も何度も往復されてしまえば、それは明確なものとなり、くすぐったさと逃げ場のない快感。そして僅かだけれど、下腹部が疼くような確かな刺激に思わず声が零れた。
刺激から逃れるために脚をバタつかせようとしても、ローさんの身体に阻まれているため動けない。
時折、漏れてしまう声が、あまりにも恥ずかしくて…私は右手で口元を覆った。
「…………。」
ローさんは先程から何も言わない。ただ、私の首元に顔を埋めているだけだ。そのことが、余計にわたしの羞恥心を煽っていた。
身体が熱く、首筋と脇腹のどちらに意識を持っていけば良いのかが分からなくて混乱する。
暫くはその状態のまま続いていたのだが、それは突如として変化をもたらした。
『…………え………あ、……待っ……』
腹部を撫でるだけに留まっていたローさんの手は、痺れを切らしたように上へ上へと上がってくる。ローさんが辿りついた場所は、私が予想していた通りのところだった。
片胸に、ただ置かれたローさんの無骨な手の感覚に冷や汗が流れる。一瞬、首元に置かれたローさんの吐息が止まったような気がして、すぐさま我に返った。
………今日は、ノーブラだ。
行為を途中で途切れさせたら、後でローさんに怒られるかもしれない。けれど、ノーブラであることがバレて、行為を期待してたとかそんな変な女に見られたと思ったら…いてもたってもいられなかった。
ローさんからは特に拘束されていたわけではなかったため、両腕を使ってローさんの上半身を押し上げれば、呆気なく彼はその身体を退けてくれた。
『……ハァ…ァ…ハァ…』
部屋の中では、私の息切れの音が嫌に響き渡っていた。
私は手早く身なりを整えてから、ソファーに座り直すと、ローさんも隣にドカリと座る。
恥ずかしくて、上手く彼の顔を見ることができなかった。
「…………」
『…………ローさ…ん…?』
「………押し倒した時点で反応がないのは想定していたが……。まさか、お前があそこまでおれを止めないとは…。」
押し倒した、という言葉に顔がブワリと熱くなったが、その先のローさんの言葉に益々身体を熱くさせた。
『…ご、ごめんなさい…』
「いや…それは良い。本題に入ろう。……さっきのお前は、なぜすぐにおれを止めなかった。おれを恐れ、従うことで自分の身を守るためか?」
ローさんは、テーブルに置いてあった珈琲を飲みこむ。私は、彼の行動を見つめながら、先程のことを思い出していた。
『……いえ、単純にびっくりしていたんだと思います。現状が理解できなかったというか…。』
「……。止めた理由は?」
『……。イロイロと、恥ずかしく、なったからです…。』
「それが答えだ。恐怖云々の前に、そもそもお前は自分の身に頓着しないところがあるな。」
『……つまり?』
「……本当にヤバい時にでもならなねぇ限り、お前の防衛本能は働かないってことだ。」
『……』
「そんな奴が、シーホステッド症候群なんかになるわけねぇだろ。」
『………。』
まぁ、だが…。と言ってローさんは、カップを置くと私の顔を覗きこんでくる。その顔は口角が上がっていて、どこか楽しそうだ。
「……お前も、ちゃんと女の顔になるんだな。おれの前で率先して水着に着替えられた時は、これでも驚いていたんだが。」
『そ、それは…あの場では仕方なかったっていうか……ローさんだって医師だから、安心してたというか…。』
「……。一つ言っておくが、医者だろうとなんだろうと、おれも男だ。おれをそんな風に信用するのは勝手だが、後悔するのはお前だぞ。」
『…………へ?』
「それと…………まぁ、良い。お前、次の島に着いたら真っ先に買い物に連れていくから、必要なものでも確認しておけ。」
『……え?』
「……、女だろ。おれたちは仲間になったとはいえ男所帯だ。少しはお前も気をまわせ。」
『……?』
首を傾ける私に、これみよがしなローさんの溜息が嫌に記憶に残った。
第2章ナチュリ島編完