不安を包む首輪
―――――――…
島だーっ!
数時間前までは戦々恐々としていたその言葉も、今では落ち着いて臨んでいられた。
どうにかローさんの課題をクリアできた私は、ペンギンさんと共に遠くに見える町並みを甲板から眺めていた。
「…随分、疲れているようだな。」
『…。そりゃそうですよ。点滴なんて初めてですもん。アザラシさんの時なんかは、汗びっしょりでガタブルでした。』
「だが、その割に一発で入れていたじゃないか。」
『たまたまです。…その代わり、そのあとのシャチの点滴は散々でしたよ。もう一気に集中力が切れちゃって。』
シャチには申し訳ないです…と呟くと、ペンギンさんは静かに笑った。
「―――そう言えば、知ってるか…?」
『……?』
「今、見えている島には魔女が―――らしい。」
『………魔女?』
突然聞き取りづらくなった言葉に不思議に思いながらも、聞き取りに専念をしようとついつい眉間に力がこもる。
「あぁ。――――――。」
突然の無音に、思わず両耳の補聴器に触れる。
肩を軽く叩かれて顔を上げると、ペンギンさんが不思議そうに口をパクパクさせていた。
声が聴こえない。
先程までは微かに聴こえていた波の音も、鳥の鳴き声も―――今は無音だった。
電池切れ?それでも、ピーピーという合図音はしなかった。
ゆっくりと両耳の補聴器を外すと、目の前のペンギンさんの瞳が大きく開いた。
『……補聴器……が動か…ない』
自分の声も聴こえないため、いつもよりも慎重に声を発する。
ペンギンさんに手を引かれて手の平を見せると、彼はそこに指先で、ゆっくりと文字を書いた。
"とりあえず、船長のところに行こう"
ペンギンさんの文字に一度だけ頷くと、私は彼に支えられるようにして船内へと足を運んだ。
――――――…
ローさんの部屋では、ローさんとペンギンさんの他に、アザラシさんもいた。
ローさんとペンギンさんが何やら話している傍ら、アザラシさんはただじっとその成り行きを見守っている。
話し合いが終わったのか、ローさんがアザラシさんに視線を向けると、アザラシさんが僅かに頷いた。
アザラシさんがこちらに歩を進めてくると、私の目の前で立ち止まる。
「…聴こえる?」
アザラシさんの声だ。私は首を縦に振って肯定を示した。
「…君の補聴器自体には問題はないみたいだよ。恐らくこの近辺一体は一時的に機械が使えなくなるみたい。」
どうやら地形上の問題だったらしい。補聴器が壊れたわけじゃないことを知って、安堵の溜息を漏らした。
「…まだ安心するのは早いよ。君の補聴器だけでなく、この船の至るところで不具合がでてる。」
アザラシさんの真剣な声色に、目を大きく開いた。
「この島にいる間は、この船のライフラインはほぼ全滅。…つまり、君をここに残していくわけにはいかない。」
この何も聴こえない状態で、私も上陸しないといけないということだ。
「…今、入った情報だけど、この島には海軍支部がある。だから、僕達はあまり目立つ行動はとれない。」
私は軽く頷く。
「まだ情報は入ってないけれど、もしかしたら他の海賊もいるかもしれない。だから、良い…?無事にこの島を出たかったら、絶対に僕達の傍から離れないで。」
ローさんもペンギンさんもこちらを真剣に見つめている。
私は一抹の不安を感じながらも、ゆっくりと頷いた。
ペンギンさんもゆっくりとこちらに向かってくる。そして差し出されたのは、この間の短剣だった。
ご、し、ん、よ、う、
そう、ゆっくり伝えられると、私はありがとう、と口を動かす。一日に少しずつ、シャチやベポに特訓を頼んでいたため、前よりはこの子を使えるようになったのかもしれない。けれど、できることなら、この子を使わないまま出航したいとも思ってしまった。
ローさんが最後に立ち上がってこちらに向かってくる。ペンギンさんとアザラシさんの二人は彼に言われたのか、そのまま部屋を出ていった。
ローさんから一枚の紙を渡される。
"不安か?"
そこにはそう一言が添えられていた。
人差し指と親指を使って、"少し…"というジェスチャーをしてみる。その私の様子に、ローさんは片眉を上げた。
"お前の口で話せ、という命令は今でも有効のはずだが。"
『…………ごめんなさい……。』
「…………」
『………』
"お前の声を不快に思うと、まだ思っているのか?"
私はゆっくりと首を振る。
実際、これでも補聴器なしの時の口数は増えた方だ。
ローさんが一度、私から離れるような気配がして、ますます落ち込む。呆れられてしまっているのかもしれない。
そう悶々と考えていれば、髪をさらい首元に触れられる感触に、顔を上げる。
思いの外、傍にいたローさんの視線とぶつかった。
首、輪、だ
面白そうにそう言って笑うローさんに首を傾ける。すると、その笑みを突然引っ込めて、真顔で紙を渡してくれた。
"おれ達相手でもそうなんだ。その様子だと不測の事態が起きた時、助けを呼べないだろ。"
視線を首元に下ろすと、銀色の玉が丸い囲いに入っている。それが、ネックレスのように鎖で繋がれて私の首にかかっているようだった。
"音玉だ。おれ達と逸れた時、何かあった時………とにかくそれを鳴らせ。"
ローさんの言葉に、その音玉を振ってみる。
"今のお前には聴こえないだろうが、おれ達には届く。"
じっと、彼を見遣る。
彼は、口端を僅かにあげていた。
"おれ達と逸れない、これが一番の安全策だが、用心に越したことはない。課題クリアの褒美だとも思っておけば良い。"
よ、く、や、った、という彼の口パクに、心がホッコリと暖まったような気がした。