白と子猫の心労

扉を開けて姿を現したのは、全身が白い女性だった。陶磁器のような肌。印象的な紅い瞳。すらりと長い手足。

子供の僕でさえ、見とれてしまっているのだ。シャチやペンギンなら尚更だろう。その証拠に、彼ら二人は扉の脇につっ立ったままピクリとも動かなかった。


僕は、身体をナツミさんの前に移動する。敵か味方か、それが分からないうちは、彼女とナツミさんの距離をできるだけ離しておきたかった。



「……こんにちは。」


落ち着いた、声色。
大人の女性の声だ。

その言葉に我に返ったのだろう、ペンギンとシャチがピクリと動きだす。ようやく臨戦体制に入ってくれたようだ。


「お前が呪術師か?この家の奴らはどうした。」


「…いいえ。彼らには少し眠ってもらってるわ。」


「……ならお前は誰だ?どうしてここにいる。」


「事と次第によっちゃ、容赦しないぜ。」


シャチの言葉に、彼女はやや首を傾ける。


「………それは、貴方達にもあてはまると思うのだけれど。」


「「………」」




冷静な彼女のツッコミに、確かにと苦笑した。不法侵入をしているのは(一応、ここの家の子供に招き入れられた僕らと違い)彼らも同じだ。


「まぁ良いわ。キリがないものね。私はセイレン。一応、この島の住人よ。」


「……住人?」


僕の呟きが聞こえたのだろう、彼女はその紅い瞳を僕と、恐らくその後ろにいるナツミさんに向けた。そしてさらに、ベッドに横たわるおばあさんを見遣る。



「…医療行為は禁止されているわ。見つかったら捕らえられて死刑よ。―――知らなかったのかしら?」


責めるように、瞳を鋭くする。
空気が一瞬、凍りついたような気がした。


「……知ってます。けれど、治療をしなければ、このおばあさんは、」


僕はそこで切って、後ろにいるナツミさんを見上げる。彼女と視線は合わさったものの、目をパチクリとさせていた。


「……。さっきから、反応ないけど。大丈夫なの?その子。」


空気を緩め、不思議そうに彼女がナツミさんを見遣ると、ナツミさんも自分に話しかけられているのに気がついたらしい。
両手で自分の耳を指し示すと、申し訳なさそうにバツを作っていた。



「――あぁ、そういうことね。」

納得したように頷くと、彼女はシャチとペンギンに向き直った。


「できるだけ、セイラゲーブに関わらない方が良いわ。無事にこの島を出たいのなら、ね。」


「…あ?お前、おれ達のこと知らないのか?」


シャチは眉を寄せる。海賊としてのプライドに障ったのだろうか。


「…さぁ知らないわ。」


「「「…………。」」」



「一億の賞金首…北の海出身、死の外科医であるトラファルガー・ローの率いるハートの海賊団なんて。」


「「――思い切り知ってんじゃねぇか!!何なんだよお前!」」


ペンギンとシャチが声を揃えてツッコミを入れた。



「………。えーと、質問があるんだけど。」


僕の言葉に、彼女はこちらに視線を向けてくれた。


「…何かしら、小さなお嬢さん。」


そういえば、鬘を被ったままだった。


「………。この島に何が起こってるんですか。数年前までは医療は禁止されていなかったって…。」

おばあさんを見遣る。少し容態が落ち着いてきたのだろう。先程よりも随分安らかな寝息をたてているし、痙攣も治まっていた。
ナツミさんのおかげだ。


「……この島の海軍は何をしているんですか?一般人を助けるのが彼らの役目でしょ。」



今回はたまたま僕達がこの島に来たから、このおばあさんは助かった。でも、もし、タイミングがズレていたら…命を落としていたかもしれないんだ。


「あなた、いくつ?」


「十歳ですけど…。」


「そう…。」


今は関係ないじゃないか、という言葉が喉から出かかったけれど、彼女の憂いを帯びた瞳に何も言えなかった。


「――海軍は……そうねぇ。まだ死んでいないとしたら、眠っているんじゃないかしら?」


「眠ってる?」


反応したのはペンギンだ。確かに、今日一日僕は街中を歩き回っていたが……海軍には一度も会わなかった。


「……。この島の伝説の宝を聞き付けて、数年前に上陸した海賊がいたのよ。」


「伝説の宝!?」

「海賊?」


シャチとペンギンの言葉に彼女は頷いた。シャチの瞳がキラリと光っているような気がするのは気のせいだろうか。


「…えぇ。」



この島に伝わる話。
僕も町の人達に聞いた。



昔むかし、セイラゲーブの森には一人の魔女がいた。
町人が困っていれば自身の知識や薬で助け、お礼に食べ物を恵んでもらっていた。
町人達とも良好な関係を築いていた彼女だったが、ある時喋る烏がやってきて、町人に言ったのだ。

彼女の血は、どんな薬にも勝る万病薬だ。血を奪え。戦え。彼女の血を手に入れた者が、この世界を手に入れるだろう。

それを聞いた町人は目の色を変えた。彼女を巡った争いも起こった。
魔女は、大変心を痛めた。
けれど、彼女の血によって起こったこの争いを鎮めたのは、やはり彼女の血だった。

自害したのだ。自身の血を一つの宝石に変え、この島のどこかに隠した。もう、誰の目にも触れぬ場所へと。
それはレッド・サローと呼ばれ、今もこの島に眠っていると語り継がれているそうだ。



「…海賊達は、この島中を捜したけれど、見つからなかった。」


「……諦めなかったのか。そいつらは。」


「…諦めるどころか、町人に成り済ましてまで―――虎視眈々と狙っているのよ。それも数年前の話し。誰が元海賊だったかなんて、誰にも分からないわ。」


彼女の言葉にしーんと静まりかえる。僕は全身の血の気が抜けていくような気配がした。


「いやいや、まてまて。だが、そいつらが町人になってから何年も経っているんだろ。…何故、そいつらが今だに狙っているって分かるんだ。」


ペンギンの言葉にシャチが頷く。彼女は小さく溜息をついた。



「分かるわ。未だに医療行為が禁止されているんですもの。」



「「………?」」


「まだ分からないかしら?宝石を捜すのも、町人に成り済ますのも…海軍が邪魔だった。だから、彼らは使ったの。ある生体毒を弱めた薬をね。」


「…薬?」


僕が呟くと、彼女は頷いた。



「…医療的知識があったら、海軍の皆様も起きてしまう、そんな薬よ。」


「だが、海軍全員が眠ってしまったら、さすがに他の島から応援がくるだろ。」


ペンギンはどこか納得がいかないとでも言うように腕を組む。シャチも、そうだそうだと言わんばかりに首を振っていた。



「あら、同じよ。」


「「………同じ?」」


「海軍基地があるとは言え、たかが支部。常駐している海軍なんて、少ないわ。何人かの海賊が成り済ましてしまえば、例え何人眠らせようと工作は簡単でしょ。」



彼女は、うっすらと微笑む。
僕達は誰一人として言葉を発することができなかった。


「――――さて、そろそろ移動するわよ。私の能力も限界みたい。」


「……能力?お前、まさか」


シャチが眉を潜めた。


彼女は、ゆっくりとシャチとペンギン…それから僕に触れると「デイ・ドリーム」と呟いた。


そして一拍おいてからの、シャチとペンギンの叫び声。
彼らは顔を真っ赤にして僕の後ろを凝視していた。

彼女がクスクス笑っている。
嫌な予感がして、ゆっくり振り返ると、そのあまりにも刺激的な光景に言葉を失った。
咄嗟に視線を逸らすも身体全体が熱い。



「な、な、な、ナツミ、さんんん!?」


声が裏返る。後ろにいるのは確かにナツミさんだ。それは変わらない。


「おま、ナツミ!!何でお前裸なんだ!グッジョブ。」


ペンギンがシャチを叩く。


「馬鹿、何がグッジョブだ!…ナツミ、お前は、は、早く服きろ!」


そう、ナツミさんは裸だった。先程まで着ていた服は何処か、きめ細かな肌と膨らみが惜しげもなくさらけ出されている。


けれど、ナツミさんは気づいていないのか、首を傾けて困惑しているようだった。



「彼女はちゃんと服を着ているわ。…貴方達が幻覚を見ているのよ。」



それが彼女、ユメユメの実の能力者であるセイレンの力のようだ。また随分癖が強い人物が現れたものだと溜息をついた。


「早く、おれ達を、元に戻せ!」


「あら、もう良いの?誰かが害するわけじゃないんだし、こんな滅多にない機会をもう少し味わったら?」


「良いから早く戻して!!」


彼女のクスクス笑いが止まらない。ペンギンと僕の猛抗議により、能力を解除してもらうと、全身で安堵した。(約一名残念そうな顔をしている、彼には軽蔑の視線を送った。)



「−−−リース、ナツミへの説明を頼めるか?」


「分かった。」



ペンギンの指示で、おばあさんを僕達の宿に移動させることになった。僕はナツミさんに紙で説明を、ペンギンとシャチでおばあさんを抱えあげる。白い彼女は能力を発動させて、僕達全員を外部の人達から見えなくさせてくれた。






以上のことをナツミさんに簡単に伝えれば、納得してくれたのだろう、彼女はコクコク頷くと微笑んでくれた。



「ナツミさんだけが僕の安定剤だよ。」



深い溜息をつきながら、先程のナツミさんのあられもない姿を脳内から削除した。
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