君と僕の主張?

―――――――――…

両手の鋭い痛みによって意識が浮上した。
やや下方を見下ろせば、視界の先には多くの人達。
私に向けて何やら口をパクパクして叫んでいるのだが、おそらくは良い意味ではないのだろう。表情が硬く、憎悪を篭めた険しい顔をしている者がほとんどだった。

私の足元にある組まれた木材などの可燃類。どうやら私は医療を扱う"魔女"として捕まってしまったようだ。


『………っ。』


掌と、暴れた際に打たれた頬が痛い。僅かな風にさえ、じくじくと傷口に滲みていた。


イヴさんは無事だろうか。


身体を動かそうにも、がっちりと全身を木柱に縄で縛られている。その縄を解こうにも両腕は頭上より高いところで縛られていた。
一応、両手が縛られていることや傷口が心臓よりも高いところにあるからだろうか…腕を伝って垂れてくる血液の筋は幾つかあるものの、それでも傷口の深さを考慮すればそれは少なかった。偶然にも所謂"止血"されている状態であり、少なからず安堵する。



と、その時だ。周囲にいる男達のうちの一人が私に近寄ってきた。思わず身体を固くするが、私には目もくれずに、その背後に回りこんでいった。
どうやら、目的は私ではないらしい。ほっと、息をつくが、それもつかの間だった。


『…………イヴさん?』


一つ思い当たることがあり、顔だけ後ろを振り向くと―――私のすぐ後ろには覚えのある黒髪がチラリと見える。


『イヴさん!』



恐らく彼女は柱を挟んだ向こう側に、同じように括られているのだろう。後頭部が柱からはみ出るようにダランと下がっている。つまり、彼女の意識は今だに戻っていないということだ。


『イヴさん、だいじょ―――っ、』


こめかみに鋭い痛みが走る。
タラリと顔の脇に流れる生温い感触に思わず下を向くと、丸くて赤い染みが木材に落ちていった。


続いて、お腹辺りにあたる痛み。下を向いていたせいか、今度は何が起こったのか、自身で把握することができた。


『…………っ』


少し躊躇って、それでも正面を向く。

周りを囲み武器を構えている人達の、そのずっと後ろには、老若男女に関わらずたくさんの人達がいて、その人達の手元を見ると、石が、あった。


まじょ、を、ころ、せ。

ぎぜん、しゃめ。
ひと、ごろし。

ころせ、ころせ、ころせ。


聴こえたわけじゃない。
それでも、あれだけ連呼されれば、嫌でも読み取ってしまう。
その光景を見ていたくなくて、再び下を向いた。



『………ぅっ!』



身体中に石があたる。
痛い。けれど、身体よりも、私の存在を、これまで頑張ってきた全てが否定されているように感じ、胸の奥がキリキリと痛んだ。
ここで、私もイヴさんも医者じゃない。医療なんて知らない。なんて言っちゃえば、解放してくれるのだろうか。この痛みから、解放されるのだろうか。


『――――違うっ。』


一度、イヴさんの方を振り向いて、それからすぐに正面に向き直る。ごめんなさい、イヴさん。と心の中で謝った。



『――――そんなに、いけないことなの……かなっ?』


郷に入れば郷に従え。
それは分かっている。
医療を捨て呪いに頼るのは、あくまでも個人の自由だ。それを否定する気はさらさらない。
けれど。



右足に、鋭い痛みが走る。
また石が当たったのだろう。
ギリっと、自身の下唇を噛んで耐えた。


ローさんは、私が医師を目指すことについて、一切否定しなかった。笑わなかった。それどころか、応援してくれるって言ってくれた。
諦めるな。もっと努力しろって。


だから、だから、だから私は、頑張れた。頑張って、また医師を目指そうと思えた。
こんなところで自分の夢を、否定したくはなかった。



『………魔女、っ、でも良い、っ、後悔、なんてしてない、、わたしは………っ!!』



左腕にあたる。太股にあたる。
顔を少しだけあげれば、殴られた方とは逆の頬に石があたった。
鉄の味が、口の中を侵していく。


『――――っ』



医療の発展は、たくさんの犠牲の上にある。そう教わったのは、疫学の授業だったか。


"……医療職者はたくさんの人達に感謝されることこそ多いが、医療は君達が思っている程、綺麗なものじゃない。だけど、僕達はこれまで受け継がれた知識や技術を、後世に伝えていく義務がある。"


疫学の教授の言葉だ。


江戸時代のコレラにしろ昭和の結核にしろ――原因が分からずに、亡くなった人達がたくさんいる。全身麻酔の開発のために、協力してくれた母親や妻に後遺症を発症させてしまった人もいる。未知の病気の原因を特定しようと現場に行った結果、発症し、亡くなった人もいる。
今は、新薬や術式の確立のために、膨大な動物実験や臨床実験の下新しい医療が提供されているが、それだって、たくさんの動物の犠牲や治験に協力してくれている人達がいるからこそだ。

これが、私達の世界の医療の変遷。でも、おそらくこの世界でも同じだろう。この世界の医療だって、たくさんの人達の犠牲の上に成り立ってきたはずなんだ。


教授は最後に言った。
"犠牲は確かにたくさんあった。けれど、目の前にいる人達、そして、これからの未来を生きる人達を救いたい……その気持ちが先人達にあったからこそ、医療はここまで進んでこれたのでしょうね。おかげで僕達は先人達に代わって、たくさんの人達の未来を救うことができる。"


怪我をした男の子の顔。
おばあさんの穏やかな顔。
子供達とリース君の安堵した笑顔。それらがフツフツと脳裏を過ぎっていく。



医療を捨てるということは、過去の犠牲も、これまでの確かな蓄積も棄てるということだ。

それも、突然侵略してきた海賊たちのせいで。



だから、やるせなかった。




例え、魔女と言われようが。
人殺しと言われようが。
偽善と言われようが。
それでも私は、


禁じられても、火炙りにされても、見殺しだけは、したくない………偽善だろうと…助けたかった。


この気持ちが間違った気持ちだとは、思いたくはなかった。


真っ直ぐと正面を見据える。
もう目を逸らさない。
もう俯いたりしない。
息を大きく吸って、腹の底から声を張り上げた。



『私は―――絶対、医者になってやるんだ!たくさんの人達を、私のこの手で救ってみせるんだっ!』



言った。言い切った。息を乱しながらも、心は晴れやかだった。



『――――皆さん、目を覚まして下さい。過去にいたこの島の医者達は、貴方達を陥れようとしましたか?確かに医療は万能じゃない。悔しい想いをした方も中にはいたと思います。』



「「「―――…」」」



『でも、彼らだって、貴方達を助けようと、必死で治療をしていませんでしたか?それが、貴方達の言う"魔女"の姿ですか?』





私の言葉に、一瞬だけ止んだ石の攻撃。だから油断した。


『―――っ、』



視界の隅で、今までよりも大きな石が見える。ゆっくりと視界を閉じると、身体を強張らせて衝撃に備えた。








――――――――…




一方、ローとアダムがいる海軍基地支部では、攻撃をどんどん繰り広げる二人に対して、涼しい顔でそれを避ける女との一方的な戦いが続いている。


が、それも、変化を見せ始めていた。


ローとアダムがどんな攻撃をするのか、どこに攻撃がくるのか、まるで全て把握しているかのように交わしてみせた女。
ローの連続的に技を出した直後の、息のきれた隙をつくように接近されると口元に異物を放り込んだのだった。


「――――っ!」


そして、すぐさまそれを被うように施された口づけ。入りきれなかった幾つかの錠剤が地面に転がった。



「……………。」


首に強く腕を回された挙げ句、彼女の舌まで入れられてしまうという暴挙を避けるためには……ローのこの疲弊した身体には厳しかった。


「うわー…」というアダムの声と、異物を飲み込んだ感覚にようやく我に返ったローは、女に回し蹴りをいれて距離をとったのだった。





「…………大丈夫か?トラファルガー。だから言ったんだ、飛ばしすぎだって。大人しくおれに任せておけば良かったものの。」


「……黙れっ。お前だって、ロギアのくせにボロボロだろ。」


「……。まぁ、そうなんだけどね。」


アダムはガシガシと頭をかいた。女は海楼石の武器を持っていたため、アダムにも攻撃をくらわせることができていた。


「いや、でもアレは狡いよね。」

「……。避ければ良いだろ。」


一方で、攻撃自体はくらってはいないものの技を出し過ぎたせいだろう。ローは乱れた呼吸を整わせつつも、数メートル先にいる女を睨みつけている。



「――――おれに、何を飲ませた?」


ローが尋ねるが、女が口を開いた瞬間に強い風が沸き起こる。それは一瞬だった。







「―――やーっと見つけた。」


かん高い声色に、三人は視線を向ける。そこには黄色のポンチョを羽織った少女が腰に手をあてて眉を寄せている。


「……いつの間に。能力者、か?」


アダムが思わず呟いた。


「ちょーっと、レッドフィーネ!いつまで道草くってんのよ。ボスが早く帰って来いって、随分お怒りなんだからっ!」


「………次から次へと。」


ローは眉をきつく寄せる。
会話からして、少女が女の仲間であることは明らかだった。


「………ボスが?」


少女の言葉に女――――レッドフィーネは目をパチクリとしてから、拳を手の平に合わせた。



「―――おお。そうだった、そうだった。」


「わざわざこんな島まで駆り出されるあたしの身にもなってよねっ!」


「――ご苦労。」


「って何それーっ、全然心こもってない!しかも上から目線っ!子供だからって馬鹿にしちゃって!」

「……馬鹿にしているつもりはないんだがのう。」



レッドフィーネは振り返ると、少女の方へと向かっていく。


「…待て。まだ闘いは終わっていない。」



女は一度足を止めると、クスクスと笑みを深め、ローの制止を一蹴する。




「何を言っておる?お前は、終わったも同然よ。のう、トラファルガー。お前は精々残りの時間を楽しむが良い。」


「……!あー、レッドフィーネったら、またブルーヤ様の新薬を勝手に持ち出したんでしょ!もう、怒られても知らないんだからねっ。」


「…煩いのう。良いから行くぞ。」


「えっらそうにー!…年齢詐称のクソババァめ。あ、痛い、痛いってば!もうっ、本当はピーー才だってこと、あたし知ってるんだか――――ギャァァァ!痛い潰れる!」


「そのまま潰れてしまえ。」


レッドフィーネは、少女の頭をガシリと掴むと一瞬で消えた。




「「…………。」」




地下からの出口である扉の向こうから、ドタバタと三人分の足音が聞こえる。アザラシとおそらく復活したシャチとペンギンが向かってきているのだろう。


「まぁ、いろいろと思うところはあるけれど―――。」


「……。」


ローは戦いの途中で落ちた帽子を拾い上げると、無言で被った。



「……で、体調は大丈夫かい?トラファルガー。顔色悪いけど。」


アダムは、お前が弱ってくれた方が海軍としては嬉しいんだけどね…と言いながら、ローの肩を叩く。ローは眉を潜めると、アダムの手を払いのけた。



「海軍に心配されるまでもねェよ。」



「それもそうだね。まぁ、年齢詐称とは言っていたけど、それなりに美人だったんだから、良かったじゃない。」



「……は?何の話しだ。」



「いや、熱烈なキス、されていたでしょ。君。あのオバサンに。
………まったく、キスくらいで落ち込むなよ、男だろ。」




「―――っそんなんで落ち込まねェよっ!!一体どこ見てたんだ、岩塩屋!」



ローがアダムにツッコミを入れるのと、アザラシが扉を開いたのはほぼ同時だった。
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