火蓋が落ちれば
―――――――
いくら経っても痛みがやってこない。恐る恐る瞼を開けると、パン屋の店先の立て札(本日のオススメは焼きたてほやほやのシナモンロール 200ベリー!と書いてあるのが見える)を持ったリース君の背中があった。
『りー、す、君?』
私の方を振り返ったリース君と視線が噛み合うと、彼は眉を八の字にしていた。
し、ん、ぱ、い、し、た、よ
口パクでそう表してくれた彼には、申し訳ない気持ちがふつふつと沸きおこる。いつまでも帰らない私を心配して、セイラゲーブの町中を捜しまわってくれたのだろう。
立て札の裏側がへこみ、傍には大きめの石が落ちている。駆け付けてくれたリース君によって先程の石から守られたことをすぐに私は理解した。
驚きと、嬉しさが沸き上がったけれど、それはすぐに萎んだ。周りを囲んでいた男達が険し気に武器を構えている。このままでは、リース君が危険だった。
―――――――…
アザラシさんから連絡がきて、急いでナツミさんを捜しに出たのは良いものの、彼女の居場所など分かるはずもなかった。
焦りと不安。
そして、あの時、何故ナツミさんをもっと強く止めなかったんだという後悔。
「――――っうわ、」
気持ちだけが先走り、足がもつれて転んでしまえば膝や肘がヒリヒリと痛む。見れば、皮膚が擦りむけて血が僅かに滲んでいた。
「――ナツミさん、どこにいるんだよ…」
じわりと、薄い膜が瞳を覆って景色をぼかす。慌てて右腕で擦って拭うと、瞼もヒリヒリと痛んだ。
その時だった。
『――――私は―――絶対、医者になってやるんだ!たくさんの人達を、私のこの手で救ってみせるんだっ!』
町全体を揺るがすような広場からの声色。
強い意思をはらんだ主張。
その声は、今まさに捜していたナツミさんのものだった。
咄嗟に隣にあったパン屋の立て札を掴むと広場へと脚を走らせる。
「ナツミさん!」
沢山の人達に囲まれ、縛られたナツミさんを見て驚く。
全身が血だらけで、いつも僕に暖かな笑顔を見せてくれる顔が赤と青で色づいていた。
人混みを押し分けて、急いでナツミさんのところへと走る。
「―――このっ!!」
間一髪だった。片手大程もある石がナツミさんへと飛んでくるのを見遣ると、持っていた看板で弾いた。
「…」
振り返ると、ナツミさんが呆然と口を開けて驚いている。
心配した、僕はそう口を動かすと苦笑を零した。
「―――おいおい、嬢ちゃん。ガキの分際で魔女を庇うのか?」
目の前いる男達からナツミさんを守ろうと、身体を一歩前に進める。立て札を強く握りしめた。
「彼女は魔女じゃない。彼女は僕の大切な人だ。これ以上彼女を傷つけるつもりなら、この僕が許さない!!」
僕がそう言うと、武器を持った男達が口を大きく開けて笑う。
「許さないって―――おい、聞いたか?お前みたいなちっちゃい嬢ちゃんに何ができるんだ?」
「良いから、お前はこっちへ来い。大人しくしていたら、後で存分に可愛がってやるぜ?」
腕が捕まれ、背筋が粟立つ。
その腕を振り払うため、腕を思い切り動かすと丁度立て札が男の顎を直撃した。
「っ―――このガキ、」
「嬢ちゃん、ちょっとおいたが過ぎたようだな。」
「僕は嬢ちゃんじゃない、男だ!気持ち悪い手で触るな!」
強い風が吹いて、僕の頭から鬘がずれ落ちる。鬘と同色の僕の短髪が露になった。
「………おい、コイツは、イルヴァーゼル・リースじゃねぇか!」
「世界最年少考古学者が何故ここに?」
「いや、それよりもコイツは行方不明って。」
ザワザワと周囲の雑音が大きくなる。僕は鬘を被り直すと、眉間に力を入れた。
「丁度良い。こいつは金になる。」
一人の男の言葉に同意するように何人かの男達が武器を構えて近寄ってくる。
『リース君っ、私のことは良いから逃げて…』
後ろからナツミさんの声が聞こえる。彼女は僕に逃げろと言う。彼女から見れば、僕は子供だ。それはわかっている。
けれど、彼女を助けられるのは僕しかいないんだ。
「女がピンチなのに、男が逃げるわけにはいかないでしょ。」
彼女には届かないとは分かっていたが、そう呟かずにはいられなかった。
「―――ヤァ!!」
立て札を男達が近寄らないように振り回わす。
一瞬男達が怯んだようだが、そこは子供と大人の差なのだろう。立て札は刀によって弾かれると僕の身体が捩伏せられてしまった。
「は、放せ」
無駄だとは知りつつも、背中に乗る男を睨みつける。
けれど、それを鼻息で蹴散らすように笑われただけだった。
『………お願い、リース君を放して。』
ナツミさんの言葉だった。
「うるせェ女だ―――そろそろ燃やすか。」
男の一人が、彼女に近寄っていくのが見える。
その男の手元には、火種があった。
「や、やめろぉぉぉ!!」
身体を動かしても、男に殴られるだけでびくともしない。声を限りに叫んでも、男が彼女の足元に火をつけるのを止められるわけではなかった。
「ナツミさん!」
彼女の足元から煙りが上がり、赤々とした火が徐々に燃え広がる。コホコホと噎せる彼女の姿が、男達の隙間から見えた。
「やめてよ…」
じわりと、涙が浮かんでくる。
無力な自分が悔しかった。
『―――コホ。リース君、ごめんね。』
彼女の声が聞こえた。
ゆっくりと顔を上げると、彼女は微笑んでいた。
僕は彼女の笑顔が好きだ。
だけど、そんな笑顔、今は見たくなかった。
風が強く炎が大きくなっていく。すでに彼女の腰から下は火に囲まれていた。
『――――今まで、ありがと…う。コホ。っ、そう、皆にも……うっ、ゴホゴホ!!』
「………な!」
そんな……まるで、これが最期とでも言うような言葉。あまりにも一方的すぎる。けれど、それを言わせているのは紛れも無く僕だった。
僕は、悔しくて、申し訳なくて。強く唇を噛み締めると鉄の味が広がった。
「―――勝手に諦めてるんじゃねェよ。」
力強い言葉が聞こえた。
と、同時に身体が軽くなる。
「――大丈夫か、リース。」
「――遅れてごめんな。立てるか?」
ペンギンが周りの男達を蹴散らし、シャチが手を差し延べてくれる。僕は涙を拭うと、シャチの手を強く握りしめた。
「……僕よりナツミさんが、」
「ん?あぁ。ナツミなら大丈夫だ。ほら。」
シャチが指し示す方向を見遣れば、少し離れたところにローさんがいて……彼に横抱きにされているナツミさんがいた。
彼女の身体は遠目からもボロボロでぐったりとしている。けれど、彼女は助かった。それを実感できて、安堵した。
「ROOM」
空間が、こちらにも広がってくる。
「リース、すぐに離れるぞ。」
「え?」
ペンギンの焦り顔に首を傾けるも、シャチに手を引かれて走った。
「俺達もそうだけどさ。それ以上に船長、結構キテるみたいだからな。巻き込まれたくはないだろ。」
シャチの綺麗な笑顔を見て、僕は頷かざるをえなかった。
第3章セイラゲーブ編完