謗られ褒められ
―――――――…
瞼をゆっくりと開ける。そこは木目のある天井で、私はベッドに寝かされていた。
『ここは…?』
「――――宿内の君の部屋。」
まさか独り言に返事がくるとは思わず、身体がびくりと跳ねた。
ベッド脇を恐る恐る見遣ると、そこには腕を組んで椅子に座っているアザラシさんがいた。
前髪がかかっていてうまく表情が読み取れない。
『……ア、アザラシ、さん?…お、おはよう…ござ…います……』
彼を恐る恐る見遣れば、いきなりアザラシさんが立ち上がる。
椅子が倒れたが彼は構わないとでも思っているのか、そのままこちらに向かってくる。
「……おはようございます?…君は、本当に、暢気なんだねぇ―――」
アザラシさんの手によって私にかけられていた上掛けが外された。太股から下、それに両掌は包帯でビッチリと巻かれている。
『……うわぁ。』
思わず呟いた。
「……。脚は軽いとはいえ火傷、掌は重度の裂傷。」
『………』
「他に頭、顔、腹、太股に外傷多数。」
『………えっと、この手当てはアザラシさんが―――?』
「船長に決まってるでしょ。馬鹿なの?」
『え、あ……すみません。』
アザラシさんが深い溜息をついた。
「――君が捜していたこの町の医者が来てて、あの破傷風患者を看ているよ。」
『………へ。』
「正確に言えば、海兵の女に脅されて連れて来られたみたいだけど。」
脅され?でも海兵の女って…。
『イヴさん!イヴさんは無事――――いっ!?』
私が勢いづけて起き上がると、身体のあちらこちらで鋭い痛みが走る。特に掌が痛い。思わず、身体を制止させてうずくまった。
「……ねぇ、君は馬鹿なの?手に体重かけて起き上がれば痛いに決まってるでしょ。」
『…………うん。そうですよね。』
少しの沈黙の後、アザラシさんが先に口を開いた。
「君よりピンピンしてる。部屋は斜め右向かえ。」
『あ、イヴさん、やっぱり同じ宿に泊まることにしたんだ。』
「海賊と海軍が同じ屋根の下で衣食住を共にするなんて僕には理解できないけど。」
アザラシさんが眉間にシワを寄せている。
そういう図太さは君と一緒だ、とアザラシさんは言った。
いやいや、いくら私でもそこまで思い切ったことはできないと思うのだけれど。
それでも、安心したのは本当だ。彼女が傷を負ったのは、紛れも無く私のせいだ。私にも医療の知識があるという情報がどこからか洩れてしまい、結果として狙われてしまったのだ。治療したことに後悔はないけれど、イヴさんを巻き込んでしまったという罪悪感は拭えなかった。
『………そういえば、ローさんは?』
「船長は自室。力を使い過ぎたから休んでる。レッドサローもただのルビーだったし……まぁ、あの人のことだから、休むとは言っても相変わらず医学書を読み漁っていると思うけど。イルカも来ていたしね。」
『……イルカさん?』
イルカさんは、確か今回も船番だったのでは。
「広場の戦闘が終わった後に、僕が呼んだんだよ。船長に言われてね。君の治療もしないといけなかったから色々と物がいるでしょ――船にある医療器具や薬品、医学書を大量に運んでもらったんだよ。」
『大量にって……イルカさん、病み上がりじゃ?』
「まぁ、本当はね。だから、最初はベポに来てもらう予定だったんだけど……、良いんじゃない。本人は動きたくて仕方なかったみたいだし。それで長引いても本人の責任だし。」
アザラシさんは私だけでなく、他の仲間に対しても毒舌……ではないか。とにかく正論をズバズバと言うらしい。正論だからこそ、誰もが言い返せない。彼が言い淀むことってあるのだろうか?と頭の隅で思った。
『…………私、後でお礼を言わないと。』
「――君の場合、イルカの前に…まずはリースじゃない?」
『……それは勿論。そういえば、リース君に怪我とかは?』
私が覚えている限りでは、リース君はペンギンさんとシャチに助けられていたはずだった。
「かすり傷程度だよ。」
『……良かった。』
ホッと胸を撫でつかせる。
「……けど、大分落ち込んでいたけどね。」
『………?』
アザラシさんの、感情の見えない視線が絡む。リース君が落ち込んでいるって、どういう意味だろう。
「今回のことは君が勝手にやったこと。言うなれば、その怪我は自業自得なわけ。分かる?」
『――はい。それは勿論分かってます。』
「だけど、元を辿れば発端はリースの相談。挙げ句、捕われた君を彼の力不足から助け出すことができなかった。リースが自分を責めるのも当然だろうね。」
『―――そんな。リース君のせいじゃ………』
「―――リースは今自室。落ち着いたら行ってあげると良いんじゃない。」
『………はい。』
アザラシさんが一つ頷くと、僕はもう行くよと行って踝を反す。
慌てて私はアザラシさんを呼び止めた。
「…何?」
『アザラシさんもありがとうございます。』
「………。何が?」
『私が目覚めるまでずっと傍にいてくれましたし。』
「………たまたま暇だったからね。ずっと居たわけじゃない。」
『――それに、この町に着いてからは、特に色々と気にかけていただきました。』
「聞いてる?人の話。それに、僕は船長に言われたからやってただけ。ま、あまり役には立たなかったけど。君は音玉奪われるし。」
『う……すみません。』
「まぁ、でも。ちゃんと届いたよ。海軍支部まで、ね。」
アザラシさんがドアに向かい始める。私は、彼を見遣った。
『……届く?』
「広場での君の声。僕だけじゃなく、シャチやペンギン―――勿論船長にも。」
『私は―――絶対、医者になってやるんだ!たくさんの人達を、私のこの手で救ってみせるんだっ!』
えぇぇぇぇ。
多分、恐らく。いや、十中八九、アレだろう。つい勢い余って叫んでしまったが、今思えばどこの弁論大会だ!とツッコミたくなった。本当、今更だけれど。
『え……み、皆さん何か言ってました?』
「…ペンギンとシャチは馬鹿みたいに呆然としてた。――船長は、まぁ、何も言わなかったけど…笑ってたね。」
何を生意気な、とでも思ったのだろうか。…うぅ、恥ずかしい。本当に恥ずかしい。そう思ったら、布団に包まりたくなった。
「――良いんじゃない。そのおかげで、君の居場所が分かったんだ。結果的に、君もリースも、まぁ海兵の女も助けることができた。」
『………』
「それに、気づいてる?君、今普通に喋れているじゃない。」
『…………へ。』
「今の君の方がずっと良い。少なくとも、僕はそう思うよ。」
アザラシさんは一度私の方に視線を向けた後、出ていった。
気のせいだろうか。アザラシさんの瞳が心なしか一瞬だけ優しくなったような気がする。
『……あれ?』
ゆっくりと起き上がって備え付けの机に寄り添う。
そこには一冊の紅の本が置いてある。表紙には、"セイラゲーブの変遷、魔女の爪痕"と書いてあった。
『……血の色の表紙…』
一瞬、この島に伝わる魔女の伝説が頭を過ぎる。結局、レッド・サローはただの宝石だったらしい。
『……………。』
パラパラとページをめくって見ると、どうやらこの町の歴史書のようなものだった。
大昔から数年前にかけて起こった大火事や冷害などの災害、それに主な流行病などが載っている。
『………?』
一枚のかみ切れが床に落ちた。ゆっくりと拾いあげると、その字面に目を見開く。
"お詫びとお見舞いの品。byセイレン"
『……セイレンさん?』
お見舞いは分かる。けれど、お詫びとは何のことだろう。
それにお見舞いの品に、歴史書というチョイス。……謎である。私は首を傾けるが、結局は答えが見つからなかったため…そのまま本を持って部屋を出ることにした。