渦巻くモヤモヤ

――――――――――…

古代文字の写しを一文字ずつ解読しながら、羊皮紙にメモをとっていく。ようやくこの写しの五分の一を解読し終わったところだった。

机を離れ、ベッドにボフンと音を立てて横たわる。


「―――いっ」


僕の頬にはガーゼが貼ってあり、圧迫されたことで鈍い痛みが走った。
一瞬の間の後に溜息が零れでる。ナツミさんはまだ目を覚まさないのだろうか。



男の一人が、彼女に近寄っていくのが見える。
その男の手元には、火種があった。




あの時、僕は何もできなかった。



「リース、あの海賊達に一人で挑んだんだって?お前、やっぱり度胸あるじゃん!」

シャチが笑って僕の頭を撫で回した。





「―――シャチは間違ってる。あの時の僕には、度胸なんてなかったよ。」




「お前が時間を稼いでくれたおかげで、ナツミもあの程度の怪我で済んだ。ありがとうな。」


ペンギンが笑って僕の頬を摩った。




「ペンギンも違う。僕が男達に盾突いたから……………僕が"何も"しなかったから、ナツミさんに火がつけられたんだ。だって―――」



僕は悪魔の実の能力者だ。あの時、例え男に抑えつけられていたとしても猫になってすり抜けることができた。……少なくとも、点火自体は止められたはずなんだ。


イルウ"ァーゼル・リース。何人かの男達が口に出して言った僕の名前。いざという時に"生き残れる"ために食べた悪魔の実。あの場で能力を使ってしまったら……僕が能力者だということが、一気に広まってしまう。そうしたら、この先、相手の隙をついて逃げることもできなくなってしまうかもしれない。と、一瞬でも…ほんの一瞬でも、そう思ってしまった僕がいた。


「………ナツミさんは、リスクを負ってまで僕のお願いを聞いてくれたのに、それなのに僕は、」



その時だった。思考を遮るようにコンコンという控えめなノック音が聞こえ、僕は身体を揺らすと耳を澄ました。


『――リース君、私。ナツミだよ。』


ナツミさんの声だった。
良かった、ちゃんと目を覚ましたんだ。そう思ったら肩の力が僅かに抜けた。



『……リース君、夕食を持ってきたの。入っても良かったら、扉、開けてくれる?』



急いで布団を被って寝ているふりをする。今はまだ、ナツミさんの顔を見たくはなかった。ナツミさんは優しい人だ。きっと僕が言ってもらいたい言葉を言ってくれる。だからこそ、頭がもやもやしているこの状態では、ドアを開けることができなかった。


『……。食事、ドアの前に置いておくね。』



ナツミさんの声に僕はシーツを強く握りしめた。







――――――――…


イヴさんやアダムさんが海賊を大量捕縛したこと、そして海軍基地で眠っていた者達を起こしたことにより―――セイラゲーブはようやく海賊の支配から抜け出しつつあるようだった。

アイスクリームを売っていたおじさんは、やはり医者だったようで今後は私達に引き継いでおばあさんを診てくれるそうだ。そのおばあさんはご家族が引き取りに来られたため私が目覚める少し前に、おじさんの監修?のもと自宅に帰られたようだった(まぁ、海賊に診られるというのは、家族としても不安なのだろう)。




いろいろなことが一段落した今、残る問題は、リース君のことだった。扉を隔てた先に彼がいるのだろうが、その距離は酷く遠い。




『……。食事、ドアの前に置いておくね。』


リース君の部屋の扉の前に、お握り三つと牛乳をおいて離れれば、廊下の先の壁に背を預けて立っていたのはイルカさんだった。



"お前、安静にしてなくて大丈夫なのか?"



渡された紙を見て苦笑する。



『リース君、ずっと食事を取ってないらしいんです。それは私のせいでもあるので。…………それよりイルカさんこそどうなんですか。』


私がそう言うと、彼は頭を少しかいて罰が悪そうな様子だ。


"――おれは、お前達が思ってる程、無茶したわけじゃないんだけどな。"


紙に書いていくイルカさんの字を追っていく。この様子だと、イルカさん自身もアザラシさんに何かを言われたのかもしれない。


『………。』


"本当だって。ちょっと海岸沿いを歩いたり、魔女の森を散歩したり―――別にそれくらいはどうってことねェのによ。"


『魔女の森?』


"この町を囲うようにあっただろ?"


記憶を辿れば、確かに森林があったような気がする。そういえば、リース君が教えてくれた魔女の伝説にも、登場したはずだ。でも、実際にその森も存在するとは知らなかった。だからだろうか。少し気になる。


『…何かありましたか?』


"いや?フツーの森だったぜ。魔女の墓でも見つけなければ、あそこが魔女の森だっていうのも気づかないかもな。"


『……墓?もしかして、見つけたんですか。』

"崖を降りた先に、空間があってさ―――"


『イルカさん…。』


私が途中で止めたため、イルカさんは書くのをやめて不思議そうにこちらを見遣ってきた。


『してるじゃないですか、無茶。普通、安静を強いられている人は崖なんて降りませんよ。腹筋にも力を入れるんだから傷に響くじゃないですか。』


そのことにようやく気づいたのか、イルカさんは納得したように掌と拳を合わせている。


"船長とアザラシには秘密な!"



ニコリと効果音がつきそうな笑顔を見れば、責める気持ちもすぐに萎んでしまった。


『………。今度から気をつけてくださいね。』



"お前が話の分かる奴で良かった…………あ、そういえば船長がお前のことを呼んでいたぜ?良いか、くれぐれも秘密で。"



彼の念押しに苦笑を漏らすと、イルカさんと別れてローさんの部屋へと向かった。
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