鑑みる自身の力

―――――――…



ローさんの部屋の前で一度ノックをする。


『ローさん、ナツミです。』


暫く待っていると、ドアがゆっくりと開いた。


『遅くなってすみません、用事って何で―――』


視線に合わせようと顔を上げると目に入ったのは、いつもよりも顔が青白いローさんだった。


『………え?っわわわ!』


けれど、急に腕を引かれたその力には抗えずに身体が前のめる。口をローさんの手によって塞がれたため、部屋へと入らざるをえなかった。


彼が椅子に座わり少し落ち着くのを確認してから、彼の部屋をぐるりと見遣る。
机の上には調合途中の薬………と使用済の注射器。床には散らばった羊皮紙、そして本が何か所にも渡って渦高く積まれていた。



『……ローさん、具合が悪いんですか?』


「…………。」


ローさんが机にあった紙にペンを走らせる。その仕草でさえ辛そうであることは見てとれた。


"明日一番には出航する。後ろを向いてろ。"


…ローさんの途切れ途切れの文字を追いながら、目を見開く。最後の文字に従うようにゆっくりと後ろを向けば、首元に僅かな違和感があった。胸元を見下ろせば、奪われたはずの音玉がそこにはあった。


ローさんの方に向き直れば、彼の手が動いている。


"今度は奪われるなよ"


私は一度頷くが、ニヤリと笑うローさんのその表情はやはりいつもよりも固い。


床の上にある羊皮紙を拾い上げて内容を読みながら、机の上にあるメモにローさんのペンを拝借して書く。書いてあったのは、バイタルサインの値と各症状の箇条書だった。おそらく、ローさん自身のものだろう。


『タルタレス中毒ですか?』



ローさんは顔を苦虫を潰したようにしかめながらも頷く。
タルタレス……海王類の一種。遅延性の毒を含む分泌物を持つ。数日かけて昏睡状態に陥り、未治療の場合は死に至る。ただ眠っているだけのように見えなくもないため、鑑別要―――以前、ローさんに教わったことだった。


他にも散らばっているメモを見る限りでは、少し前に知ったタルタレスの治療薬を彼が創っていたのは明らかだった。その注射器が使用済であることも考えると、彼は自身で対処しようとしたのだろう。
………けれど。




"恐らく、飲まされた薬の作用はそれだけではなかったようだな。タルタレスにしては進行が早過ぎる。"


……飲まされた?
ローさんが、薬を?

少し頭に引っ掛かりを覚えながらも、口を開いた。


『飲まされのは……いつ、ですか?』


"数時間前だ。と言っても、素直に全てを飲んだってわけじゃねェが。"


ローさんの書いた文字を見てから、彼と視線を合わせた。ローさんの右手には小さいサイズの二つの透明なナイロン袋が乗っている。そこには中途半端に形が残った錠剤と、完全な形を保った錠剤がそれぞれに入っていた。



"飲まされる前に口から落ちたやつと、飲まされた後……消化される前に能力で取り除いたやつだ"


『完全に消化されたわけでもないのに、症状が強いですね……薬の……目星はついているんですか?』


私の言葉に、ローさんはペンを走らせた。



"――恐らく受容体自体はタルタレスと一緒なんだろうな。だから、作用が強まる。"


ローさんの身体内では、分かりやすく言えば二種類の睡眠薬を多量同時服用したようなものだろう――――って、それってかなりマズイ状態だ。


受容体―――特定の刺激や物質に対して特定の反応を感受するタンパク質。それが同一ってことは。


『タルタレスの治療薬も効果があるんじゃ……?』


"タルタレスの治療薬は半減期が短い。それに拮抗薬だ。………作用自体を遮断したわけじゃない。"



拮抗薬は、互いに効果を打ち消しあうように働く作用のことだ。簡単に言えばタルタレスの中毒物質は今だにローさんの受容体にくっついている状態。受容体は機能し続ける。
それに治療薬の半減期が短いということは代謝・排泄されやすいということ。そのため、治療薬を打ってもすぐに中毒作用が再びでてしまうということだ。


一方で遮断薬は、刺激伝達自体をそもそも遮断してしまう。つまりは受容体の作用自体を一時的に遮断する。



『血液透析は…』


"無理だ。この土地柄機械は動かない。"


そうだった。



『……利尿薬を流すというのは?』


私が、この間中毒になった時にもしてもらったような気がする。


"在庫切れだ。この島で買い足す予定だったからな。"


その在庫切れの理由は、もしかして。


『………この間の私の治療に使ったからですか?』


ローさんの手が止まった。
ローさんの視線が頭にジクジクと突き刺さる。罪悪感が拭えなくて、顔を上げることができなかった。


『ごめんなさい。私は、いつも貴方に迷惑をかけてばっかりですね。私がいたせいでローさんは―――いっ!?』


額に鋭い痛みが走る。訳がわからなくて額を抑えると、包帯と包帯の感触が邪魔をした。


―――今、デコピン、されたのだろうか?それも、傷口すれすれに、だ。


"それ以上言ってみろ。次は当てる。"


ようやく上げれた顔の先に、ローさんの視線が真っ直ぐと刺さる。あまり表情が変わらない彼の眉間に皺が寄っていた。



"お前は余計なことを考えるな。既に手はうってある。"



そう綴るとローさんは自身の身体に力を入れた。

『ローさん?』


彼は魔女、の、森と口もとを形づくっている。


『魔女の森……。って今から行くんですか…?』


頷くローさんに目を見開き、言葉が口をついて出てきた。


『無茶です。ただでさえ、ふらついているのに!』


"おれに命令するな。"


『――――っ!!』


ふらりと立ち上がったローさんがバランスを崩すように倒れ始める。慌てて身体全身を支えるように動かした。


『―――つぅぅ!』


けれど、力の抜けたローさんの身体はいくら細身と言えど、支えるには力がかなりいる。それも両手両足共に怪我をしているこの状態で、だ。



『ロー……さん、』



何とかローさんの腰周りに抱き着くように身体を支えて、後ろにゆっくりと下がっていく。あともう少しでベッドだった。


『……もう…少し……です。』


海水の香りがする。タルタレスが再びローさんの身体を蝕んでいるのだろう。


膝裏にベッドの感触を捕らえると、ローさんの身体を強く抱きしめながら倒れ込んだ。


『………痛い。』


いくらベッドと言えど、背中を強く打ち付ければ痛いということが分かった。



『……ローさ、ん。大丈夫、ですか?』


ローさんの重みで声が出しづらい。何とか上にいるローさんを横に転がした。自他共に体力がないと自覚している私だ。今の動作で力尽きてしまったために、ローさんの隣で横たわったまま目の前にある彼の顔色を伺った。


『…………。』


しんどいのだろう。左腕で両目を被っているローさんの息が荒かった。じっとりと汗ばんだ彼の身体は、タルタレスによるものだけではないのは確かだった。ローさんの頬に触れると、酷く冷たくて、背筋が凍る。





『ローさん、私が……私があなたの代わりに森に行きます。だから―――』


彼の耳元で言えば、ローさんに左腕を強く捕まれる。
その手も酷く冷たかった。
ローさんは口を開いて、口をぱくぱくとしている。必要ない、と言ってるのだろう。私の腕を掴んでいるローさんの右手に、そっと自身の右手を乗せた。



『――――ローさん。私だってあなたを助けたいんです。助けられてばかりじゃ……お荷物だけなんて嫌なんです。私は、ちゃんと、あなた達の仲間になりたいんです。』



必死でそう呟けば、ローさんは左腕を顔から離して大きく目を見開いている。暫くして彼は一度目をつむると、一瞬だけ苦い顔が見えたがそれはすぐさま崩された。そして、彼の口がゆっくり開かれると文字がかたどられていく。れっ、ど、さ、ろーと読み取ることができた。


レッドサロー。
私の脳内では、リース君の書いてくれた魔女の伝説が浮かぶ。そして、疫学の教授の言葉……レッドサローとは名ばかりのルビー…。それに、イルカさんが言っていた"魔女の森"。極めつけは、ローさんがこんな状態になりながらも森に行こうとしていたこと。



『……魔女の、ち?』


それらのバラバラなピースがくるりと回転して、少しずつ少しずつはまり込んでいく。――――たどり着いた答えは一つだった。



もしかして。考えついた答えにローさんを見やれば、彼はゆっくりと頷いた。


『―――すぐに戻りますから、ローさんは休んでて下さい。』


「……」


ローさんは何かを言いたそうな顔をしているが、ただ私の頭をくしゃりと撫でつけるだけで、何も伝えてはこなかった。


『ローさんのことは、私が何としてでも助けます。』



今だに私の掌の下にある冷たいローさんの腕を解けば、身体を起こしてそっと部屋を後にした。



『――え?』



突然お腹周りに起こった衝撃。少しよろけながら下を向けば、リース君が抱き着いていた。



『リース、君?』


彼の肩が揺れる。しっとりと濡れるお腹あたりを考えると、彼が泣いていることは容易に予想がついた。


彼は顔を埋めたまま、震える手を私に差し出してくる。その手に握られている紙を受け取ると、文字を読んだ。


"ナツミさん、おにぎりありがとう。美味しかった。牛乳もいっぱい飲んだよ。――僕も、強くなりたい。貴女を守れるくらい強く。"


読み終えて、リース君の頭を撫でる。サラサラな金髪は触り心地が良くて、羨ましい。


『リース君、ありがとう。おにぎり、食べてくれたんだね。』


リース君がゆっくりと顔を上げて頷く。顔が涙でぐちゃぐちゃで、私はしゃがみ込むと彼の目尻に流れる涙を服の袖で拭った。
top/main