レッド・サロー

―――――――…


彼女が怪我をおして作ってくれたおにぎりを食べ、お礼を言おうと決意した僕がまず最初に会ったのはアザラシさんだった。


「丁度良かった。どうせあの子の所に行くんだろ?船長の部屋にいるから、これ、渡しておいて。」



アザラシさんに渡されものは一冊の本だった。スカーレットに彩られたその本の表紙には、"セイラゲーブの変遷、魔女の爪痕"と書いてある。
どうやらナツミさんは、僕におにぎりを作るために寄った厨房に置き忘れてしまったらしい。








『…ねぇ、リース君。私一人でも大丈夫だよ?それにもう暗いし。』





だ、か、ら、だ、よ


僕は溜息をつきながらナツミさんを見上げてゆっくりと話す。
彼女はどうやら自分が女性であるという認識が少し足りないような気がする。それは前々から憂慮していたことだった。


森へと続く道を、彼女と歩きながらメモ紙に文字を走らせる。実は、偶然にもローさんとナツミさんとの会話を聴いてしまったのだ。


不安なのか、度々後ろを振り返る彼女を見ては溜息をつく。


一人で森に行くなんて、とんでもない。ただでさえ、この町を支配していた海賊が全て捕まった訳ではない今、この町全域に渡ってピリピリとした緊張感が張り詰めているというのに。


"森に行って、僕達は何をすれば良いの?"


『………え?あ、えーと…』


どこか歯切れの悪い彼女の声色に首を傾ける。


『……治療薬の代わりになるものを捜したいんだけど。』


"治療薬の代わりって…薬草とか?でも、何の?"


『……それが分からないんだ。』


彼女の言葉に、ピシリと身体が固まった。

つまり、このただ広い森林の中で、無数に生えているであろう草花の中から、ローさんの身体を蝕んでいる毒を解毒させる材料を見つけださないといけないということだろうか。

そして、それを貴女は一人でやろうとしていたということか。


唖然とする僕の様子に気づいたのか、ナツミさんは慌てて口を開いた。


『……あー、ごめんねリース君。今のは私の言い方が悪かったね。―――あのね、一応目星はついてるの。』


……目星?


『これ、見てくれる?』


僕が彼女に渡した本だった。"セイラゲーブの変遷、魔女の爪痕"のあるページを見せられる。



××年。セイラゲーブを奇病が襲った。致死率が高く治療法もなかったため、死者が町の人間の半数を超えた。




『……この時の町の人達の症状が、ローさんに起こっている症状に酷く似ているの。』



どうやら、この時は森に棲んでいた女性―――言わば魔女の力により、事態は終息し町全体の全滅は免れたと書いてあった。



"でも、だからってローさんと同じものとは、限らないよ?"


『うん、それは分かってる。……でも、この森にあるレッドサローが、ローさんを助けるヒントになるのかもしれない。』


レッドサロー?って、あの語り継がれている魔女の宝石のことだろうか。けれど、海軍支部の地下に埋め込まれたルビーはただの宝石、それも純度が限りなく低いいわばガラクタのようなものだったって、ローさんとアザラシさんが言っていたのを思い出した。



『……多分ね、それはフェイクだと思う。本物のレッドサローは、宝石じゃないよ。』






ナツミさんの言葉に目を丸くした。


『――リース君、セイレンさんに言われた魔女の伝説の話、覚えてる?』


僕はコクりと頷いた。


昔むかし、セイラゲーブの森には一人の魔女がいた。
町人が困っていれば自身の知識や薬で助け、お礼に食べ物を恵んでもらっていた。
町人達とも良好な関係を築いていた彼女だったが、ある時喋る烏がやってきて、町人に言ったのだ。

彼女の血は、どんな薬にも勝る万病薬だ。血を奪え。戦え。彼女の血を手に入れた者が、この世界を手に入れるだろう。

それを聞いた町人は目の色を変えた。彼女を巡った争いも起こった。
魔女は、大変心を痛めた。
けれど、彼女の血によって起こったこの争いを鎮めたのは、やはり彼女の血だった。

自害したのだ。自身の血を一つの宝石に変え、この島のどこかに隠した。もう、誰の目にも触れぬ場所へと。
それはレッド・サローと呼ばれ、今もこの島に眠っていると語り継がれているそうだ。




『……ちょっとね、違和感があったの。魔女は"町人が困っていれば自身の知識や薬で助け、お礼に食べ物を恵んでもらっていた"だよね?』


頷いた。


『魔女の"血"なんて一言も伝わっていないの。烏が告げるまで。そして、自身の血を一つの宝石に変え、この島のどこかに隠した宝石は実は"ただのルビー"だった。』


僕は、ハッとする。今持っているメモ紙を見遣った。
伝説が、文頭ではなく初めは口頭で伝えられていたとしたら―――考えられるのは同音異義。だけど、それじゃあ、レッドサローは……。




『……言葉って難しいよね。でも、そう曲解させるきっかけを作って、その解釈が広まるよう望んだのも、魔女だと思う。』






ナツミさんの言葉を聞きながら、伝説の文章中の"血"を"ち"と読み直す。"ち"を"知"という字に置き換えて、頭の中で組み立てていった。
そうして、たどり着いた、一つの仮説。




"じゃあ、レッドサローは、宝石なんかじゃなくて……"








『うん。多分……医学書か、薬学書だと思うよ。』



「……」



『この世界には、空白と呼ばれる期間があるんでしょ?』





頷いた。レッド・サローとはその期間の失われた医学が記載されている書物なのかもしれないということか。



"すごいよ、ナツミさん!"


僕は興奮のあまり、ナツミさんに抱き着いた。彼女は、驚きながらも僕を受け止め、頭を優しく撫でてくれる。その仕草が心地良かった。



『―――って言っても、私自身確信できたのは、ついさっき。ローさんの言葉があったからなんだけどね。』


"ローさん?"



『……ローさんが言ってたの、"今から森に行くって"。』




ってことは、あの人も気づいていたってことか。僕は、二人の洞察力に舌を巻いた。



「……レッドサローか。」




独りでに呟く。
ある意味、僕が捜していたものでもあるのかもしれない。

けれど。







"どうして、魔女はレッドサローを宝石と偽って隠したの?公開すれば、魔女も死なずに済んだんじゃ。"



『………リース君、医学は綺麗なものじゃない。多くの犠牲の上に成り立ってるんだよ。』


ナツミさんは静かに言った。



『本を公開したら、人は試したくなる。使い方を間違えれば、兵器にもなる。リース君は聞いたことないかな?薬と毒は紙一重って。』


「…………。」


『タルタレスだって、量を調節すれば麻酔薬になるのかもしれない。今、ローさんを苦しめている薬にしても、将来は誰かの命を救うのかもしれない。』


「…………」


『―――要は、使う人次第なんだよ。』


「………」


『魔女の知を求めて人々は争った。それが事実なら、レッドサローを公開したところで悪用する人がいないとは言えないじゃない?』



目の前は崖だった。この下にイルカさんが見つけだした魔女の墓がある。―――そして、ナツミさんの言うところの医学書か薬学書………つまりはレッドサローが眠っているらしい。




『―――多分ね、魔女は自分の知識のせいで、今いる人だけじゃなく、未来の人達の………それこそ"血"が流れるのが嫌だったんじゃないかな。何となくだけど、そう思うの。』




少し先を覗きこめば、目の前には暗闇の空間が広がっていた。



「………っ!」



『……大丈夫?リース君。』




僕はゴクリと唾を飲み込んでから、ゆっくりと頷いた。
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