一か八かの賭け

『………どうして、』


アザラシさんの不機嫌な顔を見遣りつつ首を傾げようとすると、景色が一瞬だけ揺らいだ。
ふらつく身体をどうにか持ち直そうと顔を横に振ってアザラシさんを再度見つめる。

アザラシさんの眉間には先程よりも深いシワが刻まれていた。
アザラシさんに腕を引かれてベッドに座らされると、彼は私の目の前で腕を組む。それにより、威圧感が更に増したため、居心地の悪さから逃れるように視線を逸らした。


「……それはこっちの台詞。考えたくもないんだけど、一応確認させて。君がさっき船で飲んだ薬って、船長が飲まされた薬なわけ?」


『…………』


「目逸らしてないで、僕の方を見ろよ。今なら怒らないから。」


アザラシさんの声色が低くなる。頭の中で警報が鳴ったため、恐る恐る彼を見上げた。
彼の尋ねてきた質問に対する答えは勿論―――。


『…………そう、です。』


「はぁ?馬鹿?」


ドスの効いた声に、思わずヒイッと悲鳴をあげる。怒らないと言った先程の言葉は何だったのか、その顔は般若の如く歪められていた。


「……意味がわからない。なんで君が薬を飲むわけ。」


『……………』


「黙ってないでさっさと言えよ。」


怖い。アザラシさんがいつもに増して怖い。
私は唾を一度飲み込むと、ゆっくりと口を開いた。



『…念のため、です。』


「…念のため?」


私は頷くと、懐から錠剤を取り出す。これは船から持ってきた、薬だった。


『レッド・サローを見た時……ある種の抗生剤は、今、ローさんの身体に作用している受容体を遮断させる作用もあるってことを…思い出したんです。』


「……それで?」


『ただ、臨床的にはそういった用途ではまず使われないし…そもそも、適性量もわかりません。』


「…………」


けれど、分からないからといって今の状態のまま何もしなければ、いずれローさんの呼吸は止まってしまうだろう。そうなってしまえば、人工呼吸器を使えないこの島では為す術がいろいろと限られてくる。
かと言って、この抗生剤を際限なく内服すれば……待っているのは痙攣だ。それだって、下手をすれば挿管をしなければいけなくなる。


呼吸抑制も、痙攣も起きない――――所謂治療域を手探りで試すしかないのだ。



「…だから、まず君がその薬の効果を試すってこと?」


アザラシさんの言葉に視線を下げる。


『…そうです。もうすぐ夜も明けますし、朝になれば出航でしょ?ローさんさえなんとか持ち直してくれれば、私の身体は何とでもなりますから。』


苦しくなる身体を強く掴みながら、遠退く意識をつなぎ止めていた。


「……船長を信じるって?けど、それは君が治療域を見つけたらってことでしょ。見つける前に、君が意識を失う可能性だってある。」


『……大丈夫です。アザラシさんがいるじゃないですか。』


「……は?」


『アザラシさんって、実は薬の知識豊富ですよね。』


「………どうして、そう思うの?」


『先程の魔王のこともそうだし、自白剤の濃度だって……まぁ、私の世界では自白剤なんてフィクションの中でしか存在しないので、それくらいでしか判断がつかないけど…。』


それでも、結構充分な判断材料だとは思う。


「…………。」



アザラシさんの深い溜息が聞こえた。



「………君がよく分からない。」


『……え?』


アザラシさんの言葉に顔を上げれば、彼は珍しくも視線を外していた。



「君が、うちの船に来てからまだそれ程経っていないはずだ。船長のことはまぁ分かるけど…どうしてそこまで、僕を信じられるの?」


アザラシさんの言葉を聞いて、少しだけ口元が緩む。あぁ、アザラシさんは照れてるんだなと直感したからだ。無防備にあるアザラシさんの右手を両手で包み込む。


アザラシさんは驚いたようにこちらに視線を向けたが、払われるそぶりを見せなかったため密かに安堵した。



『仲間、だからですよ。そもそも、そう言ったのはアザラシさんです。…今更、返品は受け付けません。』



そう言うと、アザラシさんは一瞬呆然としていたようだが…すぐに我にかえったのだろう。私の頭をべしりっと叩いた。



『……痛い。一応、私怪我人なんですけど。』


「…煩い。君があまりにも生意気なことを言うからでしょ。」



理不尽な物言いに言い返そうと口を開けば、ふらりと揺れてベッドに倒れこむ。朦朧とした意識と気持ち悪さに冷や汗が流れると、あっという間に意識せずとも息が荒くなった。


駆け寄ろうとしてくれたアザラシさんを制止させ、ローさんの様子見がてら、ローさんの部屋にあるタルタレスの特効薬を持ってきて欲しいことを伝えた。


アザラシさんは頷くと、部屋を出ていってくれる。
ドアがきちんと閉じられたことを確認すれば、両手で顔を覆った。


これでも、覚悟はしていた。
自分自身の意思で飲んだんだし、ローさんが苦しそうにしているのも間近で見ていた。
けれど。


『――――きっつー…』


それは予想以上だった。この様子では、ローさんの部屋に向かうことすら一人では無理だったかもしれない。

そうなると、アザラシさんがこの部屋にいてくれたのはある意味幸運だったのだ。ローさんの命にも関わるのだし、きっと嫌がりながらも、アザラシさんは、ローさんの部屋まで連れていってくれるに違いない。




「……持ってきた。腕だして。」


アザラシさんの声が頭の片隅に聴こえる。怠い腕をなんとか持ち上げると、彼が特効薬を打ってくれた。



よくよく考えたら、ローさんは一人で薬を特定し、特効薬を創って、自分で打っていたんだよなぁと遠目をする。いくら薬を半錠程度しか飲んでないからと言っても…この苦しさで動いていた彼を本当に尊敬したい。私だったら、絶対無理だと思う。


『う"ー…』


あまりのしんどさから、思考が上手く働かなかった。


「……辛いの?」


アザラシさんの言葉に頷きそうになるも、そこはぐっと堪える。
頷いたところでこの苦しさから逃れるわけではないし、アザラシさんに言ったところでどうにもならないだろう。けれど、どうしてだろう、なんだか…




『妊婦に、なった、気分…』





「冗談でもやめてね。そういうの。」



ごめんなさい。と心の中で謝った。下腹部は全く痛くはないけれどそう呟いてしまった私はやっぱり、思考がどこかおかしくなってしまったらしい。けれど、霞む視界の中でアザラシさんの表情を覗きこめば、予想していた不機嫌な顔ではなく、珍しくも苦笑している姿があったものだから、役得だと密かに思ってしまった。



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個人的に和文、英文関係なく論文を探しましたが、臨床応用はされていないみたいですね(そりゃそうだ)。透析も、利尿薬も、まぁ、所謂覚醒剤も使えない状況なんて、普通はないはずですもん。動物実験としてはいくつかされていたみたいですけど。
関連論文があっても、アスピリン系の解熱剤とこの抗生剤の併用は痙攣する場合があるので注意ってところまででしたね。でも、見落としもあると思うので、興味があるかたは調べてみてください。ニュー…な抗生剤です。
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