惨めで小さな私

―――――――…

タルタレスの特効薬と抗生剤が効いたのだろう。自身の状態がある程度落ち着いた頃、私はアザラシさんに支えられながらベッドに横たわるローさんの傍に立っていた。
他の皆についてはアザラシさんが何かと理由をつけて追い出してくれたらしく、この部屋には三人しかいなかった。


『……アザラシさん、私のことは良いので、ローさんの頭を支えててくれますか。』


「………大丈夫なの?」


『………ローさんは大丈夫です。タルタレスの特効薬を打ったすぐ後に飲んでみましたが、私自身痙攣も起きていません。そもそも、この抗生剤自体よく使われるものですし彼がこの薬を飲んでも最悪の状態にはならないはずです。』


恐らくペンギンさんだろう。机に置いてあるローさんのバイタル等のメモを眺めながら思考をめぐらせる。


「…………。」



けれど、アザラシさんの返事がなかなか返ってこなかったため、不思議に思った私は紙から顔を上げて彼を見遣った。




『……アザラシ、さん?』




アザラシさんの無表情な猫目と視線がぶつかった。




「……君のそういうところ、ほんと気に入らないよ。」


『……え?』


そう、静かに告げられた言葉。
何と返したら良いのかが分からずにまごついていると、ふいに視線を外された。


「けど、それを示すのも、導くのも、僕の役目じゃないからね。―――――これで良い?」


アザラシさんの様子に疑問に思うものの今はそれどころではないと思い直すと、紙を元の場所に置いてから二人の傍によった。
ほとんど眠っている状態に近いローさんを、ベッドの反対側にまわってくれたアザラシさんが支えてくれる。仰向けだったローさんの身体はそのままに頭部のみ私の方へと向けてくれた。


『…ありがとうございます。』


私は彼に頷いてみせると、手にしていた錠剤を何とか彼の口の中へと捩りこむ。
それから、備え付けの机に置かれているコップを手にとった。そのコップの中にはまだ半分ほどの水が残っている。



『……』



コップをローさんの唇に押し当ててから思った。…どうやって彼に水を飲ませれば良いのだろう。


一瞬思い浮かべたことは、アダムさんの唇が、口移し…と動いた先程の光景だった。が、すぐに首を横に振る。


そんなお伽話でもあるまいし…。と思ってからすぐに―――――って、ローさんはお姫様か!と自ら続けてツッコミを入れる。そもそも、アザラシさんの目の前で、そんなことできるわけがない。恥ずかしすぎる。


「………なに一人で百面相しているの?」


アザラシさんの問い掛けに、両肩が跳ねた。



『………アザラシさん。』


「……何。」


『水、どうやって飲んで貰いましょう?』


「…………………は?」


『……………』



私の手元を見てから、アザラシさんも合点がいったのだろう。あぁ、と納得したように頷くとローさんの肩を叩いていた。



『……え、ちょ、アザラシさ、ん?』


「船長、一応、彼女なりに頑張ったみたいですし。そろそろ良いんじゃないですか?」



アザラシさんの言葉に首を傾ける。



彼の言葉の意味を考えていると、今まで横たわっていたローさんの身体が起き上がった。
それから私が先程苦労して彼の口の中に入れた錠剤を、自身の掌に出して思慮深気に見つめている。


『……………へ?』


私はといえば、思いのほかピンピンとしているローさんに言葉が出ない。アザラシさんに紙とペンを渡されて、文字を書いている彼を凝視することしかできなかった。




"……てっきり、こいつを口移しで飲ませてくれるもんだと思っていたんだが。"



ローさんに手渡されたメモ紙には、そう書かれてある。彼を見遣れば、少し口端をあげてからかうような光が両目に宿っていた。




『………え、な、?』



現状に焦り、混乱する頭。
それを分かってくれたのだろう、アザラシさんは溜息をつきながらも、事と次第を一つ一つ説明してくれた。



私が目覚めてから初めてローさんの部屋に行った時には既に、レッド・サローを手に入れていたらしい。私が持ってきていた日本語の医学書を読んでいたローさんは、大体の日本語を覚えていたため、当然ながら彼自身もレッド・サローの内容を読むことができていた。だから、私がリース君と森に着いた頃にはもう、自身で創りあげた薬を飲み、早々に回復していたとのことだった。ということは、だ。



『……ローさんのバイタル値や、タルタレスの特効薬を打ったってのも………。』


「そこは、君の反省すべきところだよね。君はメモを読んだだけで、実際に船長のバイタルを測定してはいないし、彼が注射を打ったところも見てはいないでしょ?自身の目で確認すれば、異変に気づけたはずだよね。」


『……………はい。』



私はアザラシさんの指摘で浮上した自分の不甲斐なさと、ローさんからの視線に堪えられずに、視線が下りていく。

喉が、カラカラだった。



『………、何の治療薬を、飲んだんですか?』




掠れる声を無視して、下を向いたまま呟いた。



「……君はマオウの項目を見つけたでしょ。それだよ。」



答えてくれたのはアザラシさんだ。けれど、それは絶滅した、と教えてくれたのは他でもないアザラシさんだったはずだ。



"確かに魔王は絶滅した。が、それに似た作用を持つ生薬は存在する。あの森にな。回復した後に再度採取し、予備として保管する予定だった…が、お前の勘違いついでにそれを取ってきてもらえれば手間が省けると思った。"


ローさんから手渡されたメモを見遣る。


『………。』


私は無言でアザラシさんを見遣れば、やや不自然に視線をそらされた。



「一応、君の質問には答えたでしょ。それに、ヒントを出す前に君が勝手に船に戻ったんじゃない。」


思い返せば、確かにあの崖下で、アザラシさんからは「お手上げ?」と聞かれた。知識の無さを責められているのかと思ったのだが、どうやら彼は彼なりに私にアドバイスをしようとしていたらしい。それをぶった切って、焦って突っ走ったのは私の方だった。





"元々、お前がおれの部屋に来た時点ではこの予定はなかった。ただ、リースのこともあったしな。良い経験になるだろうと考えた。……だが、まぁ良くも悪くもお前はおれの想定を斜め上にいってくれたようだ。"


リース君とのことについても、ローさんにはしっかりと伝わっていたらしい。


「ペンギンは大分反対したけどね。結局、僕とイルカも隠れて着いていくことで無理矢理納得させたんだよ。」



グルグルとする頭では、二人から渡される情報が次から次へと流れていく。
身体が酷く重かった。



「………、船長。」



アザラシさんの言葉にローさんは頷いていた。ローさんがアザラシさんに何やら伝えると彼は頷き、急いで部屋を出ていく。二人きりの部屋でローさんからはまた一枚の紙を渡された。




"…なかなか面白い発想だが、抗生剤の副作用程度では、アレを丸々飲み込んだお前には効き目が弱い。そろそろ特効薬もきれてきた頃だろ。"




それはそうだ。これは、濃度的に薄く時間的にもほとんど代謝されたであろうローさんの体内を想定して抗生剤を飲んだのだから。



メモの文章を全て読み上げた頃、右腕をローさんにひかれてよろめいた。


ベッド端に座るローさんの片膝に座らされ、彼の手によって頭を彼の胸元へと押し付けられれば、そのまま寄りかからざるをえなかった。



『…………っ』



ローさんの体温が暖かい。
あんなにも冷たかった指先は嘘のように熱をもっていて、酷く安心した。そして、彼にゆっくりと髪を梳かれながら、先程の会話を少しずつ少しずつ整理していく。
そしてその結果浮上したのは、やはり自身の無力さと悔しさだった。



『……………』



そこまで考えてから、一つ、溜息をついた。



細身の割に、私を軽々と膝に乗せてしまう彼はやはり男で、ハートの海賊団の船長だった。そんな彼を、酷く遠くに感じてしまう。



『…………私、ダメダメでしたね。結局、余計なことばかりして……。本当、何やってるんだろ………。』




思わずそう呟けば、ローさんの指の動きが止まる。朦朧とする意識の中で、掠れた言葉は止まらなかった。






『………ローさんのように、なりたいのに……、少しも……貴方に……追いつけない……。』




「.................。」




ローさんとの差をひしひしと感じながら、そのまま意識が遠退いていった。
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