選択と戒め

――――――――…


あれから数日が経つ。
私が目を覚ました時には、毒薬の症状が既に消失し、船もセイラゲーブを出航していた。
暫くは自室安静、とローさんにより言い渡されていたため、大人しく受け入れていた………が傷も徐々に癒えたため、それも今日で解禁された。青痣は黄色に、赤の腫れは消え、掌の裂傷はその色合いを薄めていた。痛みは、もう無い。

けれどローさんには、この掌の裂傷は消えることはないだろうと告げられていた。一生残る傷を負ってしまったことに思うところが全く無いと言えば嘘になるけど、それでもこの傷が戒めとなるのなら、それでも良いやと思ってしまう私もいる。…この傷は、私の弱さが招いた結果なのだから。



あれから、私はシャチやイルカさん、それにローさん以外と話せてはいなかった。



何度か深呼吸を繰り返す。
補聴器を両耳につけた私は、目の前の扉をノックした。





程なくして、開け放たれた空間からはローさんが現れる。


「……とりあえず、入れ。」


『……はい。』


彼の招きに促されて、もはや定位置となっていたソファーに腰を降ろした。


『……………』


そして一番最初に目に入ったものは、本棚だった。あれだけ所狭しと並んでいた空間に所々隙間があって、目がそらせない。



この船で目を醒ましてすぐに、シャチが教えてくれた。
私の身体を蝕む毒への対処法としては二つあったそうだ。ローさんの身体を治した薬の内服、もしくは、医療機器を用いた血液浄化法。

私が気を失った後、ローさんは最も早急に快復が見込める後者を選択してくれたらしい。けれど機械はこの島周辺では動かない。だから、宿を出る際に持っていく荷物を食糧・飲料品に絞り、すぐさまセイラゲーブを出航したのだそうだ。当然、宿には大量の医学書を置いて。


「どうした?体調が優れねェわけでも無いようだが。」


ローさんが隣に座ったことに気づくと、急いで彼を見遣る。それから私は、彼に頭を下げた。


『…医学書、すみませんでした。』


「……。別にお前が謝ることじゃないだろ。」


『――――でも、』


「中身は全部覚えている。もう必要無いと判断したからあの島に捨ててきた。それだけだ。」


『……………。』


彼にそう言われてしまえば、何も言えなかった。掌を強く握りしめて下を向く。


ローさんの方から微かに溜息を吐く音が聞こえた。





「――――あの島には二つの選択肢ができた。」


静かなローさんの言葉に再び顔を上げれば、彼は天井を見上げたまま口端を上げていた。



「……おれ達も含め、邪魔な海賊は消えた。医者もいる。医学書もある。薬草が豊富な森もある。」


『…!』


「今までと同じ道を辿るのか、違う道を選ぶのか。それはあいつら次第だがな。」


そして、ローさんは静かに目を閉じると口元を緩ませた。


「……お前が助けた婆さんは、あの島一番の権力者だったらしい。」


『権力者?』


「…長のようなものだ。あの婆さんが助かれば、おそらく事態は大きく動き出す。」


『………。でも、最終的に助けたのはローさんです。それに私は、貴方に用意された薬を使って、』

「それでも、助けると決めたのはお前自身だ。おれはお前に選択肢を与えはしたが、その先を指示したつもりはねェよ。」



『…………。』



「……おれはお前に無茶をするな、なんて言うつもりはない。そもそも、この海域において無茶をするなって方が無茶だ。それはあいつらも分かってるはずなんだがな。」


『……え?』


驚いて彼を見上げれば、ローさんは苦笑していた。あまりお目にかかれないその表情に、思わず目を見開く。



「……ただ、お前は自分を過度に軽視する傾向がある。そのことが、少なからずあいつらに―――良くも悪くも影響を与えてるってことをそろそろ自覚した方が良い。仲間とはそういうもんだ。」


『……。』



もう夕食の時間だった。今朝から自室ではなく食堂で食べて良いとの許可を貰っていた。その一歩が怖くて、なかなか踏み出せずにいたのだけれど、それも彼にはお見通しだったらしい。

ローさんに促されて立ち上がると、一緒に食堂へと向かった。




―――――――…



『……………え、』


「あら、もう私のこと忘れちゃったの?」


『や、そういうわけでは…。でも、どうしてセイレンさんがここに…?』



陶磁器のような肌。印象的な紅い瞳。すらりと長い手足の白い女性。――セイレンさんだった。



「船長さんに聞いてない?私、この海賊団の仲間になったの。」


『……………へ?』


「―――待て。おれは許可した覚えは無い。」


私の背後にいたローさんが、眉間にシワを刻みながらセイレンさんを睨みつけていた。


「お前をこの船に乗せるのは、次の島までだ。」


彼はそう言うとすぐにこの場を離れ、自身の席についた。見渡せば、既にペンギンさん以外は揃っているようで、その気まずさに足をすくませる。それを見兼ねたのだろうか、私の背中に彼女の掌が宛がわれた。


「………ツレない男(ひと)ね。貴女も突っ立ってないで、さっさと座ったら?私、もうお腹がペコペコ。」


『…え?あ、すみません…』



私は彼女に促されるままに、ローさんとペンギンさんの席の間に座った。


『……あの、ペンギンさんは?』

隣の空席を見てから、ローさんを見上げる。彼は溜息をつきながらもやや疲れた表情を一瞬だけ表した。


「――ペンギンは後から来る。時間がかかるだろうから先に食ってろだと。」


「……言っておきますけど、別に私は業とやったわけじゃないわよ。」


一番端の席から大きな声が上がれば、首を傾ける。けれど、皆の疲れきった様子を見れば、知らないのはどうやら私だけだったようだ。どこか胸の奥が苦しくなり、私は静かに立ち上がった。



『……ごめんなさい。』


周囲からの視線がつき刺さって、心臓が揺り動く。


『……私の向こう見ずな行動のせいで、皆に心配をかけました。ごめんなさい。』


そう呟くと、ガタガタと物音がして、思わず目をつむった。



「い、いきなりどうしたんだよ。」


シャチの焦り声に、恐る恐る顔を上げる。皆が皆ポカーンとしていた。


『……怒ってるんじゃないの?だから――』


だから、目覚めた初日にシャチやイルカさんが来てくれた以外、誰も部屋を訪れてくれないのだと思っていた。


「「「え??」」」



『……え?』



「……いや、おれ達は船長からナツミが快復するまでは面会謝絶だって言われたから…。」


「……それでも最初はこっそり見に行こうとしたんだけどさ、コイツがいろいろ仕出かすからそれどころじゃなくなくなって、」



そう言ってシャチとイルカさんの視線を辿ればセイレンさんがいて、ムスくれたようにそっぽを向いていた。



『…え、でも…』



ちらりとローさんの方を見下ろせば、彼は口端を上げている。


「――お前が勘違いしていることには気づいていたが、わざわざ否定する気も起きなくてな。これで少しは堪えただろ?」


彼の言葉に唖然としたのはもう言うまでもない。




第4章レッドサロー編完
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