魔女の悪戯

――――――――…

『…え?魔女の子孫?』


「あ、やっぱり気づいてなかったのね。」


食事を取る手を止めると、いまだに空席になっていたペンギンさんの席に座っているセイレンさんを見やる。彼女の先祖はセイラゲーブの魔女と言われていた女性にあたるというのだ。


「…ま、と言っても今更よね。子孫と言っても代々親から口づてで伝えられたくらいで、特に証明できるものがあるってわけでもないし。」


セイレンさんによって、目の前のサラダが私の皿へと取り分けられる。


『ありがとうございます。…でも、セイレンさんはセイラゲーブをこんな形で出てきてしまって良かったんですか?』


「セイレンで良いわ。…まぁ、良いも何も私はあの島では人として認識されていないからね。」


『…え?』


「あ、誤解しないでね。単純に私が能力を四六時中使っていただけだから。ほら、この姿だとどうしても目立っちゃうのよ。貴女だって、あの島に来て初めて私を見たとき、結構驚いていたでしょう?」


思い当たるのは、セイラゲーブに着いてすぐのことだ。ローさんとアザラシさんと買い物に向かった際の広場で見かけた彼女の姿だった。どうやら彼女も覚えていたらしい。


『すみません。不快な思いをさせましたか?』


「全然。もう慣れたわ。」


彼女はクスクス微笑むと、目の前のローストビーフを私の皿に取り分けてくれた。


「この能力は幻覚を見せたい相手に、一度は触れておかないと発動しないってところがまた厄介なのよね。あの婦人を運ぶ際、呪術師の中にも初見さんがいたようで…迂闊だったわ。ごめんなさいね。」


『あ、だから"お詫び"?』


ベッドサイドにあったあのメモはそういう意味だったのか。彼女は頷くと、やや首を傾けた。


「少しは役に立ったかしら?」


結果としては失敗に終わってしまったけれど、あの本があったから私なりに動くことができたのだと思う。私は、一つ頷くと彼女にお礼を言った。


「それなら良かった。あ、このから揚げも美味しそうよ。」


何一つ減っていない私のお皿に、今度はから揚げを数個乗せられる。さすがに食べきれないと感じた私は苦笑した。


『セイレンさんも、お腹すいてたんじゃ…。私のことは良いですからご自分のお皿にも取り分けて下さい。』


「セイレンで良いって。だって貴女病み上がりじゃない。どんどん食べないと。それに成長期真っ盛りの娘がそんな少食でどうするの。いろいろ育たないわよ。」



『…………。成長期?育つ?』


「……?貴女、十代前半くらいでしょ。」


「「「…………っブ」」」


今、二十代前半、と聞き間違えたのだろうかと彼女を見遣る。けれど、あちらこちらで口に含めた食物を吐き出している様子を見遣れば、間違ってはいなかったようで思わず思考を停止させた。


「……私、何か変なこと言ったかしら。」


彼女にどう伝えるべきか…それよりも私は十代に間違われる程童顔だったのだろうか。それとも……。ふと、隣にいるローさんを見遣れば彼は肩を小刻みに震わせて笑いを堪えているようだった。


『…………。ローさん、私ってそんなに発育が悪いんでしょうか。』


彼は、持っていたおにぎりを置いて左肘をついたがその視線は決してこちらに向けようとはしなかった。



「発育してないわけではないだろ。.........まぁ、控えめではあるが。」


『……………。』


確かに、こちらの世界の女性達は……イヴさんも、セイレンも…皆グラマーだ。彼女達以外にしても、ボン・キュッ・ボンの模範体型をあちらこちらで見かけた。嫌がらせか、と思う程に。



『………私も、これから育ちますか?』


「………どうだろうな。夢は見てみるもんじゃねェか?」


『……………。』



ローさんの言葉にガクリと肩を落とす。あちらの世界では、決して小さい方ではなかった……と思ってはいたのだけれど。


「彼女は二十代だよ。」


この空気を見兼ねたのか、デザートを配っていたアザラシさんがポツリと呟いてくれた。


「二十……?…あー、ごめんなさいね。気を悪くした?」


『……や…大丈夫です…』


やっと、それだけを呟く。彼女を見遣れば、セイレンは人差し指を唇にあてて何やら物思いに耽っているようだった。


「……んー。そうね。うん。決めたわ―――デイ・ドリーム。」


彼女がそう呟いた瞬間、再び周囲が食べ物を吐き出した。先程よりも盛大に。私はそんな彼らの視線を辿って、下を向いた。


『っ!!?』


「要は、もう少し女としての色気をだせば良いんじゃないかしら。そのためには、周りの男達に貴女が女であるってことを意識してもらわないと。」


私は、ちゃんと服を着ていたはずだ。けれど、それが今はどこにも見当たらない。両腕で身を屈めて身体を隠せば服の感触は確かにする。それにあれ程見苦しかった傷痕が全く見当たらなかった。これは私の身体じゃない。セイレンの能力の幻覚であることは分かったが、この状況に堪えられるほど冷静にはなれなかった。


立ち上がり、食堂を飛び出す。リース君とベポの声が微かに聞こえたけれど、恥ずかしくて振り向くことなんてできなかった。



『………っ、』



がむしゃらに走ってた。けれど角を曲がろうとした瞬間に強く腕を引かれたため、立ち止まる。


乱れた息を抑えながらも恐る恐る振り返れば、そこにはやっぱりローさんがいた。今の状況が恥ずかしくて、頬が火照る。それ以上に目を合わせることが怖くて、両腕で身体を庇いながらも下を向いた。


『………どうして、』


零れた言葉は疑問。どうして彼は私を追ってきたのだろう。できることならばこのまま部屋に閉じこもってしまいたかった。


ローさんの溜息と共に衣ずれの音が聴こえる。


「………おれは医者だから、そういう対象では見れないんじゃなかったか?」



身体を覆う何かに視線をずらせば、先程までローさんが羽織っていた上着がかけられていた。いつかの紺色の上着だ。


『……私、そんなこと言いましたっけ?』


「………。とりあえず、それを着て前を閉めろ。戻るぞ。」


『……………え。い、やです。』



「…あいつの能力を解除するには、もう一度あいつの視界に入る必要がある。」


『……なら、私は部屋にいます。彼女に後で来てもらえるよう伝言を頼めますか?』


「……良いのか?余計あいつらに会いづらくなるぞ。」


『…………、』


「……お前が気にすれば気にするほど、あいつらも気にする。」


『……ごめんなさい。でも、』


「…別にお前を女として見てないわけじゃない。が、それぞれが一々意識してみろ。一つの船に乗っている以上、この先の航海はできねェ。分かるな?」


『……………。はい。』


彼に窘められれば、徐々に顔が下がっていく。早く気持ちを切り替えなくては、この先彼らと一緒にはいられないということだ。

彼らと別れる。それだけは、嫌だった。


頭に乗せられる重みに、身体が跳ねる。そのままぐしゃぐしゃと頭を撫でられれば、思考が混乱した。


『……え、』


「まぁ、この男所帯の中、女としての自覚があまり無いのも考えものだったがな。けど、お前にもそういう危機感はあったわけだ。」


『…………え?』


「……だから食堂から逃げ出した。一種の防衛本能だろ。」


『…それは―――』


ローさんは手を私の頭に乗せたまま首を少しだけ傾げた。


「に、しても変な女だ。あの状況下で、その場から動けなくなるのが普通だろ。よく躊躇いもなく動きまわったもんだ。」


『……………つい』


「――――船長。それにナツミ?な、にして…」


思いの外近くから声がして後ろを振り向けば、ペンギンさんがいた。


『…あ、の。ぺ、ペンギンさん。その、これには訳が…。』



ペンギンさんの視線に慌てて前を隠せば、彼は私が思っている以上に落ち着いていた。



「またセイレンの仕業ですか?」

「…あぁ。そっちは?」


「なんとか直しましたよ。もう腹減って死にそうです。」


「丁度良い。おれ達も食堂に向かうところだ。」



まるで何事もなかったかのような会話だった。


「どうした、ナツミ。」


ペンギンさんに尋ねられて、慌てて首を振る。その隣でローさんは小さく笑っていた。


「……お前は知らないだろうが、こいつにとっては二回目なんだよ。」


『………へ、二回目?』



「せ、船長!ナツミは気づいていなかったんですから、敢えて言わなくても!」


ペンギンさんの言葉をよそに、ローさんは私の髪を梳かしはじめた。


「…お前が変に取り乱せば、懸命に平常を保とうとしているこいつらの優しさが水の泡だな。」


――あぁ、成る程…という呟きがペンギンさんから聞こえた。



「ナツミ、今食堂に戻っても、特に問題はないと思うぞ?」





あぁ、そっか。私が思っている以上に彼らは―――。そう理解した瞬間、ようやくこの場を引き返す決心がついた。
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