つぼみの心

―――――――…


『ーーーー…。うん、大丈夫。特に異常はないみたい。次お腹診るからベッドに仰向けになってね。』

背を向けていたシャチは、短く返事をすると簡易ベッドに横たわってくれた。

「でも、流石船長っスね。一晩でナツミに聴診手技を習得させるなんて。」


シャチは予めローさんに事情を聞かされていたのだろう。だからこそ健診票を渡しにきたあの時、あの含んだような笑顔だったのだ。だったら、あの時に教えてくれても良かったのにな、と心の中で一人ごちる。そうしたら、もう少し心の準備というものができただろうに。シャチの頭側の壁に寄りかかって様子を見てくれていたローさんは、彼の言葉を聞いて、薄く笑みを浮かべていた。


「まぁハンデがハンデだからな、まだ詰めが甘いところがあるのは確かだ。だが、とりあえず正常と異常が分別できたんだ。これだけでも十分"使える"だろ?」

ローさんと視線が合うと、苦笑しながらも頷き返した。





「一般的にドクンとする方が一音、トクンとする方が二音だが、あくまでそれは健常者が聴診した場合だ。おれ達と同じように聴きとる必要はねぇ。」

『………え?』

「要は異常があるかないか、それをいかに聞き分けることができるかだ。」


ローさんは机の上に一つの"心臓"を置くと、自身の刀を手に取った。

『……ローさん、これは?』

実は先程からローさんの手元にあった人体の主要ポンプ。通常よりもやや早めに動いているそれを見やれば何処と無く嫌な予感がしたため、恐る恐る彼を見上げた。

「ーーーあぁ、イルカの心臓を借りてきた。少し、交感神経が亢進しているようだが機能自体は問題ねぇはずだ。」

『…………………。』

「ROOM」

『え…、何を』

「バラして実際に"見ながら"聴診した方が理解しやすいだろ?」

薄く微笑みを浮かべたローさんは言った。イルカさん、ごめんなさい。ローさんの刀によって早々に二分割されたソレを見ながら、私は心の中で彼に謝った。

「ーーー症状が進んだやつなんかは、触っただけでも分かるようになる。」

それから、サンプルだと言って"異常"が見られる心臓を二つほど"聴診"させてもらった。その中の一つはガタガタと奇妙に揺れているようだった。重度の弁膜症を患っている心臓で、血液が逆流しないように備わっている弁が上手く機能していないらしい。ここまで進行してしまったものは、私の苦手とする聴診をする前に触診でもある程度は判断できるらしいのだけれど、私としてはこの状態になる前の段階で見分けるようになりたいものである。因みにローさん曰く、この心臓はハートの誰かのものではないらしい。これまで戦った海賊の誰かのものだろうか。

「知りたいか?」

そう聞かれれば、好奇心から頷きそうになったものの、それを寸前で留めると少し迷いながらも首を横に振った。ローさんの能力がどこまで適応されるのかは分からないけれど、知ってしまえば助けたくなる。けれどこの心臓の持ち主の他の身体は遠くにあるのに、全身管理の必要なオペなんて恐ろしくてとてもできたものじゃない。
だったら、何も知らないままでいたい。


「ーーーそうか。」

『ローさん?』

「…いや、なんでもねぇ。」


最早知らない方が良いこともあると理解していた私は、誰の心臓なのか、いつ手に入れたものなのか、最後まで彼に尋ねることはしなかった。






ーーーーーー…


全ての診察とその後片付けを終え、ようやく緊張から解放された私は食堂に向かった。昼食の時間が差し迫っていたこともあり、お腹はペコペコだ。


「あ、ナツミか。どうやら順調に終わったみたいだな。」


入り口の所でイルカさんに会ったため、お礼を言った。無事にやり遂げることができたのは、他でもない、彼が心臓を中心とした主要臓器を提供してくれたからだ。そう言えば、イルカさんは苦笑を零した。


「そういえば、お前、あの女を見かけなかったか?」

『あれ?いないんですか?』

イルカさんの脇から食堂を覗きこめば、ローさんとセイレンの姿だけが見当たらない。他のみんなが今か今かと食事を待ち望んでいる状態だった。


「船長からは先に食ってろって言われてたんだけどな。とりあえず今からお前達を呼びに行く所だった。」


『あ、じゃあ私がセイレンを呼びに行ってくるので先に食べてて下さい。』

「いいのか?」

みんなは検査のため食事を抜いていたのだ。あまり先延ばしにさせてしまうのも酷だろう。私はイルカさんの肩に背伸びして両手を置くと、回れ右をさせて食堂の入り口へと向きを変えさせた。


『デザート、ちゃんと残してて下さいね。』

そっと耳元で囁く。

「…はは、分かってるよ。じゃあ頼んだ。」

イルカさんの返事を確かめると、私は元来た廊下を引き返した。まず、向かった先は彼女に充てられている部屋だ。ものの数分とせずとも辿りついたその部屋の扉をトントントンとノックする。


『………不在?』

そういえば、健診の準備やら何やらでバタバタしていたため、昨日の夕方以降から彼女の姿を見ていない。
首を傾げつつも、とりあえずはお風呂場やトイレ、それに甲板など主要な場所を捜し回ったのだけれど…やはり彼女を見つけだすことができなかった。




『……ローさんもまだ食堂に来てなかったよね。』

それならセイレンとローさんは一緒にいるのかもしれない、という考えに至れば甲板の扉を閉めると彼の自室へと向かうことにした。


「ーーーーー」

「ーーーーー」

角から微かに彼らの声が聞こえる。その大部分は聞き取れなかったけれど、廊下に反響している声質は確かに男女のものだ。


私はようやく見つけ出せたことに安堵すると、足の速度を速めた。


『……………え?』


角を曲がればローさんの部屋までは一直線だ。けれど、その光景を目にしてしまった私は急いで角の壁に戻った。
ローさんの部屋の前。その壁際にセイレンを追い込んでいたローさん。そしてその彼の首元にはセイレンの細腕があった。
見えたのはほんの一瞬だったから、確信は持てない。けれど…、それでも、あれは、多分。


『………キス……してた………』


それを口にしてしまえば、一気に頬が熱くなる。他人のキスシーンなんて初めてみた。


『………。』


ローさんとセイレンがそういう関係だったなんて、今まで気付かなかった自分が酷く恥ずかしい。どうして私は、周りの空気や人の気持ちやらと、こうも鈍いのだろう。そう思う一方で、ジクジクと鋭く胸が抉られるような気持ちに比例させて眉間に力を込めた。


『………ほんとタチが悪いなぁ。』


深く息を吐き出してから、強く閉じていた瞼を開いていく。どうやら鈍かったのは、周りの気持ちだけではなかったようだ。自分の心ですら察せないようでは、もう救いようがないだろう。
じわじわと確かに広がっていく胸の痛みを紛らわせるように、そっとその場を離れることにした。
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