夢のシルシ



海原に光が反射する。
もうすぐ夜明けだ。

船の甲板の上では男女が向き合っている。光の加減のせいか、二人の姿は明確には見えない。遠くの方で子供の泣き叫ぶ声が聴こえた。


「………、ありがとう。」


女の人の声だった。
男の人が無言で彼女を抱きしめる。彼女は戸惑うように男の人の背中に腕を寄せた。










―――――――



「―――夢?」


ローさんの言葉に頷く。


『――最近、何度も同じ夢を見るんです。船の上で男女が抱き合ってて。』


私は今、ローさんの部屋にいる。

医学書で分からないところを教えて貰っていて、一段落ついた時に口から出た話題だった。



「………。なんだ、欲求不満なのか?」


『………!。』



首を傾けるローさんの真っ直ぐな視線に固まる。
確かに、フロイトは夢を無意識的に抑圧された思考や感情だと定義していたけれども。



『……違うと、思いたいです。』

火照る顔を冷ますように両掌で頬を押さえれば、ローさんが隣でクツクツ笑っていた。


『………からかいましたね?』


「――――少しな。で?それを聞く限りでは、別に悪夢ってわけでもないようだが。」


何か困ったことでも?と暗に聞いてくる。
私は、うーんと唸りながらも少しずつ言葉にしていくことにした。


『私、弟が一人いて。というよりも、他に、身内がいないと言いますか……』


「…………。」


『―――幼い頃、船に乗った時に、事故が起きたらしく……私は、運良く生き延びました。』


「………それで?」


『その時の………記憶だけが部分的に無いんです。』


少しの無言の後にローさんは口を開いた。



「つまり、お前が言いたいのは、その夢がお前の親の最期のシーンかもしれないと?」


『…………可笑しい、ですよね。そもそも事故に遭っているというのに。』


あの夢は、キラキラと輝いていた。思わず見惚れてしまうほどに。


「…まぁ、可能性があるとすれば、幼いお前の願望、か?」


『………願望ですか。』


「あくまで可能性だがな。結局、夢は夢でしかない。
――――少し待ってろ。」


そう言ってローさんは部屋を出ていってしまった。

ドアが閉まるのを見ては、先程のローさんの言葉が頭に残る。


"幼い私の願望"


つまりは、現実に起きた事故は…夢とは似ても似つかない、それはそれは悲惨な状況だったということだろうか。
……どうして、私だけが助かったのだろう。どうして、その時にユー君はいなかったんだろう。


今までは特に考えもしなかったが、今となってそんな疑問ばかりが浮かんでは消える。
この世界に来る前だったら、いくらでも調べられたかもしれないのに、今はもうできない。
そもそも自分の両親のことだ。
なぜ、今まで気にならなかったのだろう。


『………私って案外薄情者?』


独り呟けば、それが現実味を帯びているような気がして顔から血の気が抜けていく。
こういうところが、アザラシさんに図太いと言われる所以なのかもしれない。
そう考えれば、ずーんと気持ちが沈んだ。



「………オイ。」


ローさんの声が聴こえて、顔を上げれば、彼はマグカップを二つ持って立っていた。
差し出されたカップを受け取れば、白い湯気が甘い香りを運んでくれる。
ホットミルクだった。



『ありがとうございます。』


「……それを飲んだら、今日はもう寝ろ。」


『……?』


「夜は思考の深みに嵌まり易い。お前の場合は、特にそうだと思うが?……考えるのは日中でも良いだろ。」


『―――!』


ローさんの言葉に頷くと、ミルクを一口飲み込む。
暖かい。身体中を落ち着かせてくれる甘いミルク。

身体が暖まったためか、少しずつ眠気が顔を覗かせていた。


「……ここで寝るなよ。」


不意に、聴こえたローさんの言葉に反射的に頷く。眠気を反らすようにローさんのカップを見遣れば、コーヒーが注がれていた。それもブラックだ。


思わず、彼の目の下の隈を見つめる。どうやら、ローさんはその色濃い隈を取るつもりはないようだ。




「………どうした?」


『………いえ、なんでも。』



「………。」


ローさんはやや首を傾げながらも、私の隣に座った。



『ローさんの家族は……』


言ってから口を塞ぐ。ローさんの眉がピクリと動いたのを見てしまえば、少し踏み込み過ぎたのかもしれないという思いが後悔となって過ぎった。



「おれの家族?」


『……あ、いえ。何でもな――』


「………お前とほとんど一緒だ。全員死んだよ。ガキの頃にな。」


『―――そ、うでしたか。』


少しの無言の後に、ローさんは軽く溜息をつくと、私の頭を小突いた。



「………お前の世界は、この世界とは大分違うんだろ?目が覚めてきたしな…お伽に少し付き合えよ。」


ローさんの目が覚めたのは、カフェインのせいでは?という疑問が上がったが、流石にそれは言い出せなかった。



『……私の世界……というより、私の国では――――』




少しずつ、少しずつ、思い描く日本。夜の帳が降りてから随分と経った。暗闇は深まり、この船の中で起きているのも、もしかしたら私と、ローさんだけなのかもしれない。



『それ…………で――――』






いつしか、私の意識もプツリと途切れた。


夢心地の最中、抱き上げられてゆらゆらと揺れ動く感覚がものすごく心地好い。



「……良い夢が見れるといいな。」




そう囁くローさんの声が聴こえたような気がした。










その日の夢も船の上だった。
けれど、以前とは違って、メンバーはハートの皆と私、そして小学生くらいの男の子が甲板ではしゃいでいる。その後ろでは、ローさんが呆れたように……だけれど咎めることなく見守ってくれている。


それはそれは楽しい夢だった、と自分のベッド上で目覚めた今―――そう思えた。





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初期の頃のロー×ナツミの会話。ローさんとの距離の取り方がよく分からなくて、いろいろとやっちゃってます。
欲求不満か?とローさんに言ってもらいたくて書いた番外編。

連載19話『静かな深夜』のナツミのリースへの対応は、この時のローさんを参考にしたという裏設定。
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