孤独な海空に

あれからどのくらい時間が経ったのだろう。水をかけられて、夢中になって逃げ回っていればふとそう思った。気がつけば、オレンジの夕日が地平線へと沈もうとしている。
慌てて浜辺を見遣ればそこにいたはずのシャチとイルカさんの姿は既になく、代わりにローさんが地面に刺した刀に寄りかかって座っていた。長い手足を組むその姿は流石に様になっている。

ピクシージュゴン達に感謝と今日は帰ることを伝えれば、彼らは理解したのだろうかクルリと一回転して海の中に消えていった。




それから急いでローさんの元に向かい、彼が預かってくれていた補聴器を身につける。彼に促されるように彼の左隣に腰を下ろした。



『ーーーあの、ローさん?シャチ達は。』


「あいつらには先に帰らせた。」



ピクシージュゴンに懐かれすぎじゃないか、とローさんに呆れられたような視線を向けられれば苦笑することしかできない。彼は自分が着ていた上着を脱ぐと、私の身体にかけてくれた。


『ーーー濡れちゃいます』


「今更だろ。それより風邪を引かれることの方が面倒だ。」


夏島とはいえ、陽が落ちれば冷える......そう言って彼は落ち行く夕陽を眺める。ローさんに倣って水平線を見遣れば、あんなに小さかった太陽が何倍にも膨れあがり、眩い橙が幻想的だった。あと数分で消えてしまうそれに、ほうと吐息を零す。


『ーーー綺麗ですね。』


「........航海してるんだ。特に珍しいもんでもないだろ。」


『ーーーそうですね。でも、その後を期待させてくれるものだから。』



「ーーーその後?」



私は隣に座るローさんを一瞬だけ見てから、再び夕陽に視線を戻した。




『ーーーセイレンを治すことは、本当に、できないんですか?』


「.........ない事はない。だが、あいつ自身、もう諦めてる。患者が治療を拒否してるんだーーー医者がやることは、もう何もない。」



彼はそう言った。


『ーーーそ、うですか。』


「ーーーそんな顔をするな。あいつ自身が選んだ道だ。」



ローさんは俯く私の頭をポンポンと叩くと、フードを被せてくる。陽も落ちたことだしそろそろ帰るか、と言って立ち上がろうとしたローさんの左手を握った。


暗くなる世界に辛うじて見える彼のdeathマーク。骨張った指は固く暖かい。


「ーーーどうした?」


再び座り込んでくれたローさんの低く落ち着いた声色が、私を惑わせる。暫く視線を彷徨わせてから意を決して彼を見上げた。



『.........ローさんは、好きな人、いるんですか?』


「ーーー好きな人?」


怪訝そうなローさんの様子に、私の心臓が揺れ動きその激しさが増していく。熱を帯びた顔を見られる恥ずかしさに俯きそうになったが、それでも彼からは視線を逸らしたくはなかった。



「.................」



『ーーーわ、たし。夕陽も好きですけど、闇夜も好きです。深い藍色に染まる海と空の色が混ざりあってーーー貴方の瞳のようだから。』



想いを告げた私の言葉に驚いたのだろう、彼は大きく瞳を見開いていた。一方の私はついに言ってしまったという、じわじわと沸き起こる後悔に、徐々にこうべが垂れてくる。俯いた私に、ローさんの溜息が襲った。



まだ、だ。まだ私は、ちゃんと言葉にしていない。

再び、彼を見上げた。


『.........私は、貴方の事がーーー』



その先は言えなかった。まるでその先は言うな、とでもいうようにローさんの右手の甲でその口を塞がれてしまったのだから。彼の意図が分からずに眉間に力が篭った。




「ーーーお前の気持ちは嬉しい。」



それは確かだ、と耳元に囁かれる彼の言葉にドキリとした。



「...........だが、おれを好きにはなるな。」




ローさんは、風邪引く前に戻れよと言いながら頭をポンポンと叩いてそのまま去って行ってしまった。





『ーーー好きにはなるな....ってどうして?』




ポツンと残された浜辺に、虚しさが駆け巡る。身体の内が氷をかき混ぜたように冷えていく感覚に、両足を抱きしめて蹲った。





第5章アムール島編完
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