雨染まる男ヶ島

『−−−サイズがピッタリ』



ブルジア島−−通称、男ヶ島と呼ばれるその島にはそれから程なくして到着した。私は胸元にサラシを巻いた上から男物の服を纏うと、自身の髪を高く結い上げる。先日シャチやイルカさんに頂いた麻酔銃を腰のベルトに挟ませれば、殆どの準備が整ってしまった。


『−−本当に、バレないのかな?』


不安な想いを煽るように、ツキリと腹部が鈍く痛んだ。








『..........雨。』



「この島は年中雨らしいよー。地面がぬかるんでいて滑りやすいから気をつけて。」


うん、とベポの言葉に頷く。肩から下げた大きめの鞄にはリース君が変身した毛並みの良い白猫が入っていた。リース君もしっかりと捕まっててねと告げれば、彼は元気良く返事を返してくれる。彼に微笑み返すと、ローさんとベポに遅れないように後ろをついて行った。








「男ヶ島に上陸する前に、みんなに聞いてもらいたいことがあるんだ。」


船の甲板に出る前のこと。リース君の言葉に、上陸組であるローさんやベポは彼に注視する。



「−−−−多分、この島には二つめの琥珀の指輪があると思う。」


「その根拠は何だ?」


ローさんの疑問にリース君は一度頷いて説明をし始めた。彼が言うには、あの琥珀の指輪は、元々はカルディナの女王様が友好の証として周辺の島を治めている王に贈ったものだったらしい。



「………だから、ログが貯まるまでの間.....僕だけ別行動させてもらっても良いかな?」


リース君の言葉に、ローさんが顔を顰めた。


「−−もしもの場合。リース......お前一人で対応できるのか?」


リース君が頷くと、姿を白猫に変えた。


「−−−−この姿で行くよ。滅多なことにはならないはずでしょ?」


ローさんは少し思案し、それから徐に口を開いた。



「分かった。だが、それはある程度の情報を集めてからだ。タイミングはおれがはかる。」










島に入り見えてきた街並み。薄暗い景色に窓越しを通して照らす仄かな明かりがどこか安心感を与えてくれる。


トン、と額に固いものが当たった感覚がして慌てて前を向けば、それはローさんの背中で−−−−慌てて彼を見上げた。私と同じく、ずぶ濡れのローさんの顔はどこか呆れ顔だ。彼はすぐそばに佇む一つの建物を指し示してくれた。一際明るく賑やかな其処は、おそらく酒場だろうか。そう予想をたてていた時だった。


『−−−−っ、』


下腹部痛の持続と次いであらわれたあの特有の違和感に動けなくなる。自身の状態を察すれば、あまりにも間が悪い状況に頭がくらくらした。


「.........どうした?」


ローさんの訝しむ顔に臆してしまう。


『.......あ、の、実は』


赤らむ顔を誤魔化すように頭を垂れれば、背後から肩を掴まれる感覚に驚いて振り返る。そこには、眼鏡をかけた長身の青年が立っていた。理知的な出で立ちとは裏腹に、ややタレ目な目元が雰囲気を柔らかくさせている。彼も、私達同様にずぶ濡れだった。


「−−−君、怪我をしているみたいだけど大丈夫かい?」


高くもなく低くもない声が静かに訊ねてきた。


「.........怪我?」


それに反応したのは、やはり目の前にいた彼らだ。


「キャプテン!ナツミの足から血が出てるよ!!」


ローさんの言葉にどう答えようか逡巡すれば、ベポの言葉により思考が遮られてしまった。彼等からの視線が痛いくらいに突き刺さり、思わずたじろぐ。



「−−−血?みせてみろ。」


強かった雨足が落ち着いてきたことで、地面に流れ出る紅がはっきりとしたのだろう。ローさんに右腕を掴み取られた私は、必死で首を横に振った。
これは怪我でもなければ病気でもない、そう言ってしまいたかったのだけれど......目の前の青年を見上げればそれも憚れる。この島は女人禁制−−−−シャチ達に教えてもらったことが脳裏を掠めて、唇を噛み締めた。



「−−−−まぁ、手当をするにしても外だとあれだしね。この雨、暫くは止みそうもないから.......とりあえず、僕の家にくるかい?」



彼の言葉に頷いたローさんは、私の抵抗を余所に横抱きにすると青年の後に続くように走り出した。冷たい雨に充てられながら、それでも僅かに触れるローさんの体温があたたかい。抑えようとすればするほど、意に反して逸ってしまう心に溜息を零した。











「−−診療所?」



着いた先の建物には、Clinic of blueーー青の診療所という看板が掲げられていたためベポが首を傾げた。君達は外の人間?と青年に訊ねられれば、彼は大きく頷く。穏やかに笑う彼はベポを見やると、うんうんやっぱりねと頷き返していた。喋れるクマは未だ見たことがない、と言う。


「−−−喋るクマですみません。」


「あぁ、君を責めてるわけじゃないんだ。ちょっと僕の研究心が刺激されてね。」


「..........研究心」


ベポが顔を蒼褪めさせる。


「知的好奇心ってやつかな。僕はレイン。こう見えて、この島の.....所謂お抱えドクターの一人をやってるよ。」



入って隣の部屋が診察室なんだけど....と言いかけた彼の言葉を遮るようにローさんは駆け出す。


「−−−その部屋、少し借りるぞ。」


え、と首を傾げたレインさんに、ベポがキャプテンも君と同じく医者なんだよと説明している様子が彼の肩越しに見えた。



簡易ベッドとデスクがあるだけの簡素な部屋だ。室内に辿り着き、扉がしっかりと閉まっていることを確認した私はいの一番にローさんを引き止め、謝罪の言葉を述べた。


『.....これは、怪我じゃない....んです。』



まさかこんなタイミングで来るとは思わなくて.....と呟けば、私を横抱きにしたままのローさんの足が止まる。彼は、察してくれただろうか。


「...........処置するものは?」


『....着替えも含めて、一応、バッグの中には....。』


「分かった。それだけ出しておけ。リースはベポに預けさせる。」


もう一度謝れば、ローさんが溜息をついた。



「謝るな。タイミングは−−まぁ良くはないが、止まったままよりマシだ。」


まずは良かった−−と言いながら彼は右手を私の頭に乗せようとして不自然に固まる。暫く逡巡した様子のローさんは、それから何をすることもなく静かに腕を降ろした。



きっと、これが、私がしてしまった告白の代償なのだろう。これまでは幸運にも安易に享受していたそのぬくもり。私がそれを手にすることはもう二度とないのかもしれない。そう思ったら、胸がツキリと痛んだ。



『............。レインさんに、私が女だってこと......バレちゃいましたかね?』


「.........微妙な所だな。アイツも医者ならそれなりの知識はあるだろう。」






彼はそう言うと、中身を取り出した鞄を受け取り診察室を出て行った。







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