ミニ旅行1
―――――――――…
「ねー、麻衣。そういえば隣のクラスのリドルさん、今日も休みなんだって。」
「へぇ…。」
「へぇって…麻衣は何か聞いてないの?一緒の所でバイトしてるんでしょ?」
「うちの所長さん、今旅行行ってるんだ。だからその間、オフィスは休み。」
麻衣は一つため息をつくと、すでにサヤの話題からナルのイケメン度についての話題に移り変わりそれについて盛り上がる友達二人を横目で見た後、窓の先で薄い青が広がる空を見上げた。
―――――――――…
『私を置いていくなんて酷いじゃない。』
「……。なんで君がここにいるんだ。」
『……………マグルで言うところのテレポーテーション、かしら?』
「……僕に聞かないでくれ。そもそも僕が聞きたいのは、手段じゃない。理由だ。」
『あぁ。そういう事。……。そんなの察してよ。デリカシーがないわね。』
「……。」
『ナルと一緒にいたい。この気持ちに理由なんている?』
「僕には理解しがたい。」
『そう?実にシンプルなことだと思うけど。』
軽井沢北部の駅前。
新幹線から降りたナルを待っていたのは、ニコニコと胡散臭い笑みを浮かべていたサヤだった。あまりにも朗々としているサヤに、ナルは片手で頭を抱えた。
「……とにかく、君は――」
"帰れ"
顔を上げてナルはそう告げようとしたのだが………すでに肝心の彼女がいない。
キューキュー
キューキュー
そして、サヤの代わりにナルの足元にいたのは数十匹の"アザラシ"だった。アザラシに気づいた人々も野次馬のようにどんどん集まってくる。
―――なぜ、こんな所にアザラシが?
ナルが一人逡巡していると、聞き馴染んだ声が聞こえてその方向を見遣る。
「――良かったらオレ達とどこかに行かない?」
『いいえ。気持ちだけ受け取っておくわ。』
―――いた。
少し先でサヤは大学生位の男達に囲まれていた。
「………。」
ナルはこれを幸いにとサヤを置いていこうと考えた。彼女を放っておこうと。そもそも、ナルはジーンを捜しに来たのだ。サヤに構っている暇はない。
「いいじゃん、行こうよ。」
『………。そうね"リアル"動物園なら考えても良いかしら。』
「お、マジ?動物園なら良い所知ってるぜ!」
『あら。大丈夫よ。私も今知ったわ。』
…がサヤの言動を聞き、さらに右腕を見てすぐに考えを改めることになった。
"杖が握られている"
今の所どうにかサヤは笑顔で"穏便"に男達に断りを入れているようだが………はっきり言って彼女の目は全くと言って良いほど笑っていない。男達は愚かにも気づいていないようだが、言葉の節々にも刺がある。
このままサヤを放っておくものならば、駅前動物園が開園しかねないだろう。
そこまで考えたナルは深い溜め息をはくと、覚悟を決めた。
――――――…
『―――へぇ、これが"畳み"?
……変なの。』
「………」
どうにかナルは男達を追っ払った。聞けば、やはりあのアザラシの大群はサヤの仕業だったようで、軽井沢に着いて早々声をかけてきた命知らずな男達の成れの果てだったらしい。そして、それを聞いたナルがアザラシになった男共をサヤに元に戻させ、今日泊まる予定だった旅館に着いた今……ナルの機嫌はすこぶる悪かった。
「申し訳ありませんが、部屋が満室でして。もう一部屋となると……」
「……。」
『あら、私は別にナルと相部屋でも構わないわよ。』
「……。」
結局宛がわれた部屋は当初通りの二人部屋をナルとサヤで泊まることになった。
「……。」
ナルは荷物を置いて無言で立ち上がると、部屋の襖に手をかける。それを見たサヤも立ち上がった。
『…どこかに行くの?もう夕方よ。』
「君には関係ない。」
『……そう。けど、夜までには戻ってきてね。見知らぬ土地でレディーを一人置いていくなんて、英国紳士が聞いて呆れるもの。』
「……。君が着いてこなかったらな。」
『あら。……着いていかないわよ――そうね…ナルがいない間は、温泉にでもゆっくり浸かっていようかしら。せっかくだし。』
「……。」
ナルはそのまま部屋を後にした。
――――――…
(……よろしいのですか?)
〔何が?〕
温泉からあがり自室に戻ったサヤは、透明にしていたラスクを元に戻すと、この旅館ご自慢の日本庭園である中庭に面する窓を開けた。小さな池に反射した月が差し込み、サヤとラスクを青白く染め上げる。冬に近い今の季節では、窓から入る風に突き刺すような寒さを普通の人間ならば感じるだろうが、それはそれ。サヤ自体にはきちんと保温魔法がかけられていた。
(……そろそろ一日が終わります。)
〔……。そう。〕
(姫様!)
〔心配しなくてもまだ大丈夫よ。〕
(……ッ!しかし、印しも誇張し始めています。お辛いのでしたら僕が奴を捜して……)
〔口説いわ、ラスク。〕
サヤは窓枠に座りながら、少しだけはだけた浴衣を引っ張って自身の胸元を隠す。キッパリと切り捨てられたラスクは、それでも納得がいかないようで居心地悪そうに光沢を放つ細長い身体をくねらせた。
(……どうして、奴に何もおっしゃらないのですか?リンとかというあのケナガイタチにも嘘までおつきになるなんて。)
〔……。〕
(あの契約は、姫様の命を…)
〔……ラスク。〕
(それに、永久的に奴を石にしてしまえば……それさえしてしまえば事足りるはずです。姫様も毎夜、命の危険に曝されることもありません。)
〔……そう、ね。
けど、ラスク…少し黙りなさ、い。〕
(……ッ!姫様!?)
サヤは胸あたりの浴衣をキュッと掴むと、眉間にしわを寄せながら縮こまる。ヒュー…ヒュー…と微かに息を乱しながら額に汗を滲ませていた。
けれど、少し経てば大分楽になったのか、何事もなかったようにサヤは身体を起こすと窓枠から畳みに降りてそっと窓を閉めた。
〔……。ナルが帰って来た。ほらね、言ったでしょ?大丈夫だって。〕
(……。)
〔ナルには言わないわよ?……闇の帝王の娘ともあろうこの私が、他人に弱点を見せるなんて。そんな生き恥を晒すような真似する位なら……契約で死んだ方がマシ。〕
(……姫、様。)
〔そもそも、私はあの時から死ぬ覚悟はできてるのよ。父様とは違って、別に生に固執なんかしていないし。それに、契約に命を左右される魔女……結構なことじゃない。なかなかないわよ?こんなスリリングな経験。毎日が退屈しなくて良いわ。〕
サヤはゆっくりと額の汗を拭うと、数分後にはナルが入ってくるであろう部屋の襖に近寄る。
〔私には幸か不幸か…思い残すことがない。だから、例え死ぬような結果になろうとも……それはそれ。そのことに後悔なんてしない。してあげない。絶対に。〕
そのままサヤは赤々とした瞳で真っすぐと襖を見つめた。張り詰めた空気を醸し出して数秒後、一息ついてから先程の空気を払拭するかのように瞳をそっと閉じる。
〔……けど、〕
サヤは一旦立ち止まると、ラスクに振り返ることもないまま左胸にそっと手を添えた。
〔願わくば、父様の傍で生を終えたいとは……思ってるんだけどね。〕
(姫様……。)
自嘲した笑みを浮かべたのは一瞬。
〔―――――ま、世界が違うもの。所詮、今となっては夢物語にすぎないわ。〕
襖が開いた途端サヤはニーッコリと微笑むと、現れたナルの首に腕を回す。それから、ナルが抵抗する暇を与えないよう、そして何より先程の奥底の気持ちを覆い隠すように荒々しく口づけを施した。
2011/5/1