ミニ旅行3
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暗闇の中、不規則的にグスグスと鼻を啜る音でナルは目を覚ました。見慣れない旅館の天井をぼんやりと眺めた上で、覚醒特有の意識がはっきりとしていない、所謂まどろみ状態を無理矢理押さえ込むとゆっくり上半身を起こす。音源の出所は隣の布団で寝ているサヤからだった。
「……サヤ―――」
静かにしろ、安眠妨害だと言おうとしたナルの口は即座に閉じられた。微かにサヤの掛け布団が震えている。そして時折聞こえてくるのは、消え入りそうな彼女の嗚咽。サヤの顔はナルとは反対の方を向いているので実際に確かめたわけではないのだが……。
どうも様子がおかしい。
いや、おかしいのは昨夜からだ。ナルが旅館に帰って間もなく、もはや習慣となりつつある口づけ。その垣間見えた彼女の表情は、どこか苦しげで泣きそうな顔をしていたことは記憶に新しい。
「―――泣いているのか?」
そうナルが判断するには事足りる状況だった。
『………』
「どうし――――」
『父…ッさま……』
微かに聞こえたサヤの言葉は嗚咽と共に脈絡なく続き、その細々と紡がれていく言葉をある程度聞き取ったナルは僅かに眉を潜めた。
良い子になるから
素敵なレディーになるから
いっぱい魔法を覚えて、強い魔女になってみせるから
きっと父様の役に立ってみせるから
だから
だから
『……愛し…て…パパ……』
それきりサヤの嗚咽はピタリと止み、次いでスースーと気持ち良さそうな寝息が聴こえてくる。
―――リンが前に言っていた。
サヤは愛情を十分に受けずに育ってきたのではないか、と。
"――サヤ・リドルは…生憎、そのような感情を持ち合わせていないもの。…誰かを好きになれる彼女達がよく分からないわ。そんな気持ち知らないし"
いつだったか、彼女はそのようなことを呟いたらしい。
「…魔女か。」
本当に魔法というものが存在するのだろうか。当然ながら出会い頭のナル自身は彼女の能力を検証するための彼女の確かな実績を知っているわけではなかった。
あの出会い時に"ナルの声を魔法で出させなくした"という出来事自体、彼女自身の力ではなく偶然であったという可能性もまたある。それこそ、"たまたま"ナルの声が不調であったという感じに。つまり積み重なった確かな実績がなければ本物の"能力者"とは言えないのであり、彼女のことを断定して"能力者"とは言えなかった。
もし、ナルが証拠がない状態の中で、彼女自身の言動のみから彼女を"本物"か"偽物"か判断するならば、間違いなく彼女を後者であると推測していただろう。
その一番の理由としては、彼女が出会って間もない見知らぬ男(つまりナル)に対して"自分は魔女だ"と言ったからである。そのような馬鹿げた事を会ってまだ間もない人に言うような人物は"自称霊能力者"の場合、大抵単に構って貰いたい・目立ちたいという自己顕示欲の強い者、あるいは精神疾患既往者もしくは半覚醒状態における幻視(つまりは寝ぼけ)を体験した者、また"自称超能力者"の場合ペテン師や、何らかの理由で一時的な能力を持ってしまった者(もちろんこの場合、能力はすぐに消失する)であることが多い。
ナルとて、超自然現象における一研究者であり、世間ではその分野における権威とまで言われて久しくない。が、それだけ、"自分は霊能力者だ"、"自分は超能力を持っている"などと思い込んでいる人間を数えられないほど見てきた。
そもそも世の中の人間というのは、大半が自分の予想を越える力を持つ者や事柄に対しては思いの外、排他的なのである。
そう、いけしゃあしゃあと自分の能力をひけらかしたり、話したりするようなものなら、変人、下手すれば精神疾患者に分類されかねないのだ。つまり、そのような能力が本当にあるのならば、その力を隠し、黙っているのが普通である。そうすることがこの社会をより円滑に生きていけるということを身を持って知っているのだから。
"さすがマグルね。用するに証拠が欲しいのでしょ?どうぞ、好きなだけ実験というものをすれば?…私は逃げも隠れもしない。"
"そうさせてもらう。"
そう言って妖笑を浮かべた彼女の言葉通り、ナルは容赦なく実験を重ねた。それこそ数十や数百といった生半可な数字ではない、全ての実験回数を数えたら数千、数万はいくだろう。彼女はナルによって用意された物体を手を直接触れることなく、指示された通りに、杖と言葉で物体を移動させたり、消したり、破壊したり、元通りに戻してみたりを繰り返した。
その実験はペテンに見慣れたナルの厳しい視線の中で行われたものであり、少なくともトリックは使われてはいなく、また、確かな数値と、数々の実験で繰り返された実績を踏まえて考えた結果、彼女が"能力者である"という結論がナルによって出されたのだ。
その能力は正しくナルの能力と同じ、言葉の定義上は"PK"であったのだが―――
"……言ったでしょ?魔女だって。"
"なぜ、そう断言できる。"
"そう呼ばれてきたから。"
ナルの言葉に彼女は鼻で笑うと、スラスラ説明をし始めたのだ。
ナル達が住む"マグル界"と彼女達が住む"魔法界"。魔法界はマグルに気づかれることなく存在していること。彼女と同じように杖を使って呪文を言い、魔法に囲まれた生活を送り、また学校なるものが存在すること。それらはマグルには"秘密"であり、マグルの前で魔法を使えばそれは"魔法省"の役人が忘却術をかけてしまうこと。
"その秘密を僕に漏らして良いのか"
ナルの言葉に苦笑を携えながら、彼女はゆっくりと首を横に振った。
"その魔法界が、無くなっているのよ。跡形もなく、ね"
だから、彼女の住む家がない。身内もいない。学校もない。帰れない。
「魔法界か……」
彼女の能力は確かにPKだ。それは間違いない。
もし、そのような世界があるのならば、所謂概念の違いなのだろう。
"霊能力者""超能力者"という名前はそれ自体は意味がなく、単に異なる能力を持つ集団の名称を言葉の定義上そのように分類しているだけだ。能力が本物だと分かった以上、彼女が育った"魔女"という言葉の方が本人にとって馴染みがあるのならば、そうわざわざ認識を変える必要性が感じられないと、その時は思っていた。
結局、魔法界は彼女の夢物語だろうと。
が、彼女が言った魔法界という世界、あまりにも設定が具体的であった。それに、不可解なことにサヤが住んでいたというイギリスには戸籍や経歴などの情報が一切ないということもおかしい。
本当にそのような世界があるのだろうか?
魔法界。つまり自分達とは異なる文化を持っている世界。そして、その多くがPKなる能力を持ち、学校ではゴーストと共に生活しゴーストの存在を認識している世界。
正直徹底的に調査したいというのが、ナルの本音だった。
「………」
が、それ以前に、サヤの心理状態が問題だ。いつもは朗々と気丈に振る舞っているものの、時折見せる表情はどこか憂いを帯びていることにナルは気づいていた。
自身の故郷に帰れない淋しさか、あるいは父親に会えない悲しさか、あるいは見知らぬ土地に突然おかれた自らの境遇か……ナルには判断しがたかったが、その不安定な精神はPKを持つ者にとって大いに危険であった。力が暴走し、彼女自身の身体と精神を滅ぼす結果に繋がりかねない。
ナルはサヤとの出会いを思い返しながら、暫く物思いに耽っていた。
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『ふーん……案外普通の廃墟教会ね。まるでマグル避けしてある建物と同じじゃない。』
鬱蒼と繁る木々の中に噂の教会が建っていた。すでにその教会は閉鎖されているらしく外壁はボロボロで、所々に大きな蜘蛛の巣がかかっている。
サヤは、拍子抜けとばかりにため息をつきつつも、自分の杖を指先で弄びながら外観を眺めていた。
〈姫様…本当に行かれるのですか?〉
ワンピースのポケットからヒョイっと顔を出したラスクが身をよじらせるようにサヤを見上げる。黒真珠のようなラスクの瞳が、不安を表すかのように微かに揺れた。
〔…んー、ここまで来たし、せっかくだから教会内もザッと見て回わるつもり……って、まさかラスク……怖いの?〕
〈いえ、そういうわけではないのですが。〉
〔……そうよね。これくらいのボロイ外観なんて、マグルを欺くために魔法界では普通だったし。〕
〈ですが、ここに着いた時から僕は嫌な予感が……〉
ラスクの言葉を聞いたサヤは一度目をパチクリとすると、そのままラスクを持ち上げる。
〔蛇の予言?〕
〈いえ…そんな大それたものじゃ……〉
〔ふーん、じゃあ…蛇の直感ね。あ、それとも野生の直感って言った方が良いかしら。〕
サヤはブツブツ言いながら、キョロキョロと辺りを見渡す。教会のすぐ隣に切り株を見つけると、軽く杖を振った。
〈……姫様?〉
……そこに顕れたのは、太い木の枝が一本。そして、そこに不思議顔のラスクを巻き付けると、その枝を魔法で切り株に固定した。
〔……ラスク、動いちゃダメだから。〕
サヤは酷く上機嫌に鼻歌を歌いながら着々と作業を進めていく。作業が終盤になっていくと、さすがのラスクもこれから自分の身に何が起ころうとしているのかを察知したらしい。
急いで、木の枝から逃れようと試みたが、サヤの方が一枚上手だった。
『ペトリフィカストタルス。』
唱えられた呪文がラスクに命中すると、ラスクは枝に絡まったまま石のように動かなくなった。
『……だから、動くなって言ったじゃない。主人には忠実に従いなさい。―――できた!』
巧みに組み合わせられた枝に固定されたラスクは、まるでプレゼントに装飾されたリボンのようだ。
〔貴方のような臆病者には、お仕置きが必要だと思ったのよ。さ、そこで大人しくしててね。〕
サヤは綺麗に微笑んでみせながら木の枝ごとラスクを大木に引っ掛けると、そのまま真っすぐ教会の中へと忍び込んだ。
2012/1/15