ミニ旅行4
―――――――…
教会の扉を開くと、私は目を丸くした。足を踏み入れた途端に、全身がピリピリと疼く。じっとりと湿ったような心地と、ゾワリと全身の毛が総立ちするほどの寒気。
『な、に、ここ…』
自身の杖をギュッと握りしめながら、辺りを見渡す。
本能的に怯えているのだろうか、そんな"らしくない"自身の行動に嘲笑した。
割れたステンドガラス、欠けたマリア、ボロボロの机と椅子。
廃墟、というのはどうやら本当らしい。不自然な暗闇の中、とりあえず明かりを燈そうと杖を構えた。
『――ルーモス……って、は?』
けれど、光が杖先から現れることはなかった。自身の持つ杖を見遣ると、思い切り眉を潜める。
確かに、"この世界"では死の呪文が通じない。そのことは、こちらの世界に飛ばされて早々ナルで散々試した。それを踏まえて、この世界ではアバダケダブラは使えないと判断した。が、その一方、ルーモスを始めとする通常の魔法は使えるはずだった。
試しとばかりに、浮遊呪文、呼び寄せ呪文…その他レダクト、ディフィンド、ボンバーダ、モラムレア、オパグノ、セクタムセンプラ…など知りうる限りのあらゆる呪文を唱えてみたけれど、結果は惨敗。闇の魔術に関しても同様だった。
『魔法が使えない教会……どういう構造をしているのかしら。』
先程の恐怖など、とっくの昔に切り捨てた。恐怖心に勝る好奇心というものかもしれない。とにかくこの不可思議な現象については相棒ラスクの意見を求めようと思い、自身の足元を見下ろしてからハッと気づく。
『…。あの子、外で固まったままだったわね。』
完全に忘れていた。ため息をつくと、一度外に出てラスクを連れて来ようと思い、入ってきたのと同様、古臭い入口の扉に手をかけた―――が、開かない。先程、私は鍵でもかけたのだろうか?
『………アロホモラ。』
一つ唱えてから、もう一度扉に手をかける。…が、やはり開かない。仕方ないとばかりに教会外へと姿現しをしようと杖を構えるも―――それすらもできなかった。姿現しも姿くらましも発動せず今だに教会の扉の前に立ちすくみ続けている。
それなら、とばかりに私は右のピアスの装飾具を外すと、その赤い宝石を手の平に乗せる。
『溶解液。』
言葉と共に杖で一つ叩くと、宝石から緑色の液体が入った瓶が出てくる。私は、宝石をピアスに戻すとその瓶の蓋を開けて扉に近づいた。
こうなれば、強行突破だ。
この魔法薬は一滴垂らすだけで、鉄や銅、その他あらゆる物を溶かすことができる強力な溶解液である。
扉に向けて瓶を傾け、一滴垂らすと、自身に溶解液が飛び散らないように素早く後ろに下がった。
それと同時に、シュゥゥゥと泡立つ音に白い煙りが立ち上がる。
『………』
白い煙りが落ち着き、扉の状態を見ようと近づくと、その異様さに驚いた。
なぜなら、扉が溶けるどころか傷一つついていないのだから。
私は深いため息をつくと、まだ液体が入っている瓶を放り投げる。ガチャンとガラスが割れる音と共に、床や近くの机に液体が飛び散るのを静かに見遣る。
この溶解液は以前に作ったものだ。その効能も製作の正確さにももちろん自信がある。その証拠として液体を被った机は呆気ないほど溶け始め、水分をたっぷりと含んだ泥のように崩れていた。ただ、床だけは扉同様傷一つついていなかったのだけれど。
『……お手上げね。完全に閉じ込められたわ。』
肩を竦めて溶解液の被害にあっていない椅子に座り込むと、瞳を閉じた。
内からは出られないということは、外からの助けを借りる他はない。一応、旅館の人にはここに来ることを伝えたものの、彼女らの怯えを見たかぎり、ここまで様子を見に来る可能性は少ないだろう。
あと、望みがあるとすれば…
『―――ナル。』
は、ないわね。むしろ邪魔な私が消えて喜んでそうだし…いや、それとも"魔女"という研究対象がいなくなっては困ると、嫌々ながら捜してくれるのかしら。
よくよく考えればその線の方が濃厚だ。
ナルのあの眉間に皺を寄せて大きく溜息をつく様子がすぐに思い浮かんで、自然と口元が綻んでいたことに気づいた。気づくや否や即座に口を覆う。
『……まさか、闇の帝王の娘の私が、マグルの助けを頼りにしているなんてね。』
マグル殺しを進めていた父様が、今の私を見たらどんな反応をするのだろう。恐らく、死の呪文をぶっ放されて、即あの世いき、ってところか。なんだか、すぐに想像ができて笑ってしまった。
「僕達は便宜上、君を"魔女"と認識している。……君もまた僕達を"マグル"と位置づけている。が、そもそも、そのような枠組みは存在しない。ただ、そう思っただけだ。」
マグルといえば……思い浮かぶのは、今朝、彼が出ていく間際に残した言葉。あの時は、突然放たれた内容に動揺してしまっていたけれど、実際の所、彼の言い分も成る程…と思ってしまった。
こちらに魔法界、というものが存在していないかぎり、マグルという位置づけももちろん存在しないはず。つまり、私達の世界において、魔女、魔法使いと呼ばれているような能力を有する者達が仮にいたとしても、それは別称で呼ばれている可能性があるということだ。彼が言いたいのはそういうことだろう。位置づけとしては、彼らの言うところの超能力者、霊能力者。杖や箒は流石に使わないようだけど、もしかしたら訓練次第で使いこなせるようになるのかもしれない。
ただ、なぜ彼がこのタイミングで告げたのかが分からなかった。自分の世界では"魔女"と枠ぐられていたから、この世界でも"魔女"だと彼ら(ナルとリン)に名乗っているし、彼らもまた、余計な波風を立てたくないのか合わせてくれていると思っていたのだけれど…
『……。そういえば、ナルって今日は遅くなるって言ってなかったかしら。』
そういえば、そうだ。確か、彼は先に夕飯を食べていろと言っていたはず。どのくらい遅くなるのかまでは分からないが、それにより私の命は左右される。
――私は、"文字通り"彼無しでは生きられない身体になってしまったのだから。
『役立たずの身体…。』
以前までは、自分の力で何でもこなしてきた。誰よりも賢く、誰よりも強く、誰よりも速く。それが、父様に可愛がってもらえる唯一の、そして最低限の絶対条件であると信じて疑わなかったし、そのためには、それはもう死にものぐるいで技術や知識を習得し、努力は惜しまなかった。
その結果がこれだ。父様に愛されるどころか、彼は私を置いて先立ってしまった。私自身、魔法界のない別世界に飛ばされてしまっている。一体、どこで間違ってしまったのだろう。私は、ただ、父様の傍にいたかっただけなのに。
大きく息をはいた。
ここまで、ネガティブになっているのは、やはり今朝の夢のせいなのだろうか。
『…余計なもの(憂い)があるのは厄介ね。』
杖を自身のこめかみに宛てると抜き出したい記憶を強く、強く念じた。そのまま、杖をこめかみからゆっくり放すと、それに伴って白く細いものがフヨフヨと出てくる。
右のピアスは空間収納庫、左のピアスは……憂いの篩と同等の機能がある。ホグワーツに入学した際に、ルシウスから貰ったものだ。以来、その機能の利便性により、肌身離さずつけている。
私は、左の赤いピアスの宝石を外そうと空いている手を伸ばした――――までは良いものの、その血のような紅い宝石が耳のどこにも無かった。手探りで探しても見当たらない。
魔法で接着されているそれは、絶対外れるはずがないのに…。
アレには私の憂いがたっぷり詰まっている。ラスク以外、弱音を吐くことができなかった分、弱さは全てあそこに吐き出してきた。
もしそれを、誰かに見られてしまう、なんてことになったら……。
そう思って一瞬サーッと身体中から血の気がひいたものの、ここが魔法界とは別の世界であることを思い出すと、少し気分が落ち着いた。
アレは特殊なピアスだ。
魔法など知らないマグルが触ったところで、アレの使用方法など知るはずがない。
そう、この時は信じて疑わなかった。
――――――…
夜中の10時を過ぎ去った頃、ようやくナルは旅館に戻ってきた。今回もジーンを捜索しに来たのだが、結果は外れ。そうなると、ここにはもう用はない。
明日には軽井沢を出発し、事務所に戻ろうと考えていた。
〈――そう、あの――に――行って――〉
〈――まだ―――ない――〉
フロントが従業員でざわついている。ナルは眉を潜めながらも、我関せずの姿勢を崩すことなく、その場を通り過ぎようとしていた。
「あ、渋谷様。お連れ様のことでちょっと……」
しかし、従業員達はそれを許してはくれなかった。彼らの指す"連れ"というのは、間違いなくサヤのことだろう。
ナルは溜息を吐き出すと、従業員に向き直った。
「すみません、あの馬鹿が何か御迷惑をおかけしたのでしょうか?」
言葉は丁寧だが、内容は辛辣だ。従業員はその言葉に戸惑いつつも、サヤが旅館に帰ってこないということを告げた。
ナルは眉間に皺を寄せながら、考える。サヤのことだ、暇だとでも言って辺りをうろついているに違いない。それに、不本意ながら毎日の習慣として根づいている口づけのために彼女は手段を問わずに襲ってくる、つまりはナルの所に必ず戻ってくるはずだという結論に達すると、従業員を見遣る。
「――彼女なら恐らく今夜中には帰ってきますよ。心配いりません。」
「…そ、そうですか。食事はどうなさいますか?お連れ様も取られていないようなので、もしよろしければ、お二人分ご用意させていただきますが…」
「では、お言葉に甘えて。」
「はい、では後程お部屋に運ばせます。」
ナルは従業員に踵を返して、部屋に向かった。
2012/3/9