ミニ旅行5
―――――――…

あれから一体、どのくらいの時間が経ったのだろう。最初にここの扉を開けた時も薄暗いかったが、割れたステンドガラスから差し込む微かな光がある分、視界がクリアだった。それが時と共に光は消えていき、今やふんわりとした月明かりだけが頼りである。
マグルで言うところの"腕時計"を見遣りながら、ハァと溜息をついた。飾りっ気の何もない、だけどどこかセンスの良さを窺わせるこの時計は、高校入学と共にナルから買ってもらったものだ。


『――――これの見方を知らないって言ったら"幼児以下だな"って睨まれたわね……』


その言葉が悔しくて、すぐに嫌がるリンを引き連れて本屋に向かい、幼児が読むような"時計の絵本"を買いに行った記憶がある。

時計を見遣ると、時刻は夜中の10時30分を指し示していた。
……大丈夫。まだ時間の余裕がある。


『………ッ!?』


そう思った矢先のことだった。
突然胸が苦しくなって、杖を床に落としてしまった私は、それを気にする暇もなく、続いて襲われた痛みに思わず悲鳴を上げると反射的に身体を丸める。自身の心臓の部位をきつく握りしめて、ヒューヒューと小さく荒い呼吸を繰り返した。


『……な…んで……まだ……』


時間はあるはずなのに、という言葉は言えなかった。規則的に波打つ苦しみと痛みに、体勢を保つことが難しくなったあたしは椅子から崩れ落ちる。胸が熱くて、苦しくて、痛くて、転んだ時に打ち付けたあるはずの左肩の痛みさえ感じないほどだった。どうにか痛みを逃そうと、目をキツく閉じ、握る胸元に爪を立てる。呼吸が乱れ、時折漏れる自身の弱々しい声に自分が情けなくなった。


『   』


ナ、ル、と呟いたはずの言葉さえ思うように出せず、身体を縮こめる。
背後で忍び笑う声が、微かに聞こえたような気がした。




―――――――…


ナルは、部屋に入ってすぐに、片隅に赤く光るルビーを見つけた。輝くそれはどこかで見たことのあるものであり、ナルは怪訝そうにそれを拾うと、今朝からサヤの片方のピアスの宝石が無かったことを思い出して部屋のテーブルに置く。


その時に「失礼いたします。」と言う女将の声に、ナルは「どうぞ。」と無機質な返答を返しながら襖を振り返った。ベージュの質素な着物を着た年配の女将が食事と共に現れて、テーブルに次々と二人分の配膳を並べていくと素早く出ていった。


ナルがその様子をじっと見遣っていると、再び襖から「失礼いたしますっ、」とどこか焦ったように言う声が聞こえてくる。ナルの返事を聞く前に現れた少し若い女将は、後ろで先程配膳を運んできた年配の女将に咎めるように睨みつけられていたのだが、今はそれどころではないらしい。


「何かご用ですか。」


淡々としているナルに、若い女将は"お化け教会"について徐に話し始める。近所にある花嫁の幽霊が出ると噂の廃墟の教会に、どうやらサヤが行ってしまい、それ以降帰ってこないと言うことを告げた。

「ですが、お客様。噂は噂ですので…」


年配の女将は、そう言い繕うようにまくし立てると若い女将を連れてそそくさと出て行ってしまった。

ナルは暫く考えてからテーブルの端に置いてあるルビーを見遣る。それを手にとってコロコロと指先で弄んでから、移動し、壁に背をもたれて瞳を閉じる。


「――――ッ!?」


暫くしてナルは目を開けた途端、左胸を掴みながらコートを羽織りつつフロントへと向かう。そこで繋いでもらった電話を借りると、ある人物の元へとかけ始めた。



―――――――…


サヤは今だ無い苦しみに喘いでいた。ふと、磔の呪文とどちらが苦しいのかと思い浮かんだのだが、すぐにそれは消え去る。
体力の限界なのか四肢に力が入らず、喘ぎ紛れの呼吸過多による作用か頭がぐるぐる回っている気分にもなった。


『……はっ……ふ…』


サヤはぼやける視界の隅で、自身の身体が透明になっていく様子に気がついていた。時間が経過する度にその透明度は増し、痛みや苦しみも深く強くなっていく。

しかし、大の大人でも失神しそうなそれらの痛みが身体を襲っていようとも、サヤが意識を手放すことも涙を零すこともなかった。ただ、ただ、それらの痛みに耐え続けていた。


そして、思い浮かぶのは完全に透明になった後のこと。この過程の最後は"死"であることは簡単に想像がつく。
自分の世界に帰れないまま、死ぬことは嫌だったが…もはや仕方のないことなのかもしれない。


そろそろ潮時ねと、サヤが諦めた時だった。


ギギギと扉が開く音と共に、床に響く一つの足跡。そして、近寄りそばで膝をつくような気配。
サヤがそれらを認識する前に、消えかかっている腕を掴まれ、力強く抱き起こされる感触がして徐にキツく閉じていた瞼をゆるゆると上げる。
暗くてぼやけた視界でその人物を特定するのは難しく、元々潜められていた眉を更に潜めた。

顎に手をかけられ、さらに近づいてくるその顔。
続いて起こる暖かな唇の感触に、思わず目を丸くした。

そして、酸素の供給を邪魔されて辛いはずのその行為にも拘わらず、少しずつ呼吸が楽になり、また、痛みや苦しみが和らいでいく様子に気づいたサヤはようやくその人物の正体を理解した。
視界がクリアになってきた頃に、放される唇。
しかし、彼の顔は今だにすぐ目の前にあるままだった。


『ナ、ル?』


ようやくまともな言葉を発することができた声は、ひどく掠れている。喉もカラカラに渇いていた。

「……落ちついたようだな。」


ナルの静かな言葉に、サヤは徐に頷く。もはや、痛みや苦しみは完全に消えていた。
サヤはナルに掴まれていない側の手に力を込めて持ちあげると、そばにあるナルの頬にピタリと添わせる。手が火照っていたせいか、ナルの冷たい頬が心地好くて、思わず瞳を細める。あれ程、消えかかっていた透明な身体がすでに正常に戻っていた。


「……なぜ、黙っていた。」


『………。何のことかしら?』

「………、この状況でまだ誤魔化せると?」


相変わらず無表情な顔でナルはサヤに問う。少しずつ回転し始めた頭にナルの言葉を反芻させながらゆっくりと口を開いた。


『……なぜ、助けたの、』


「……。君の能力に僕は興味がある。勝手に消えられては困るんだ。―――研究対象として。」


淡々と呟くナルは、二言三言言ってフイっとそっぽを向く。言葉自体は想像していた通りだったのだが、彼のその様子がどこかおかしくて、サヤはクスリと笑った。


サヤの忍び笑いに気づいていたナルだが敢えてそれには無視を決め込め、ようやく起きれる状態まで回復したサヤを抱き上げる。

『……扉、開かないから出られないわよ。』

「知っている。
―――それより、ここには花嫁の霊が出るという噂が蔓延しているらしいな。」

『………。』


椅子や机が散乱していない壁際に寄り添うと、サヤを抱いたまま腰を降ろした。


「ここに来る前にリンとぼーさんに連絡を取った。約三時間後、ここに到着する。」


サヤは、瞳を丸くした。
ナルの顔を下から見上げてみるも、当の本人はサヤと顔を合わすことなく、真っ直ぐ前を見据えている。


『…用意周到ね。』


「生憎、僕は君ほど馬鹿ではないので。」


サヤはナルの辛辣な言葉にムスっと顔を潜めるも、返す言葉がないため無言を貫く。

そのまま暫くは静寂が二人を包んだのだがその空気を壊したのは意外にもナルの方だった。



「毎晩僕にキスをしてきたのは、その体質のせいか。」


『………』


疑問ではなく肯定。
今度はサヤがそっぽを向く番だった。


「無言は肯定と取るが。」


『――ッ、貴方は、何処でそのことを知ったの?』


「……答える必要性を感じない。」


『……な、』


ナルの言葉にサヤは眉を潜める。それから、サヤは目にかかる自身の邪魔な前髪を退けるために左手を使うと、額にはジットリと汗が浮かんでいたのか、左手についたそれを忌ま忌ましそうに握りしめた。






それから三時間後、ぼーさんとリンが扉を開けて助けに来るや否や、ナルの指示ですぐにこの場を後にすることになった。ナルに代わり、ぼーさんに横に抱き抱えられながら旅館へと続く山道を進んでいく。



不機嫌さを醸し出している様子のサヤを、ナルが盗み見ていたことにも気づかぬまま、サヤは悔しい気持ち一杯に唇を強く噛み締めていた。









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ようやく終わった…
少し進展できてホッと一安心。


ちなみに、固まったままのラスクは置き去り絶賛放置中です。
その後、気づいたサヤに呼び寄せ呪文で呼び寄せられた後、無事にペトリフィカストタルスも解いて貰ったという…裏話的な?流れ。(笑)



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