放課後の呪者1
真夜中、サヤは痛む胸を押さえながら一つの部屋のドアの前に佇む。

息が苦しい。
呼吸が追いつかない。
けれど、ここは堪えるしかなかった。

何度か深呼吸を繰り返した後に、息を潜めると杖を取り出してアロホモラを唱える。


暗い寝室は、一人分の寝息しか聴こえなかった。



―――――――…


「リドルさん、またねー。練習頑張って!」


手を振るクラスメートの女の子に、サヤは愛想の良い笑みを浮かべながら手を振りかえす。そのまま校門を出て、道なりを左に曲がった所で、誰かに腕を掴まれた。咄嗟に懐の杖に手をかけたけれど、掴んだ相手を見て力を抜く。


『ぼーさん、何してるの?サングラスまでかけて。』


サヤがジト目で見遣ると、ぼーさんはニシシと笑いながらポンっとサヤの頭に手を乗せた。


「まーまー、怒りなさんなって。サヤちゃん、ちょっと俺に時間ちょーだい。飯でも奢るしさ。」

サヤはぼーさんの言葉に肩を竦めると、渋々了承した。










「―――サヤはバンドとか興味ある?」


サヤはウェイトレスが運んできたイチゴパフェをパクリと食べていると、ぼーさんが一口飲んだ珈琲のカップを置いて尋ねてきた。


バンド…というと、サヤの頭の中に思い浮かんできたものは、ダンブルドアによってホグワーツに招かれた"妖女シスターズ"の生演奏だ。その音楽にのってダンスをした記憶はまだ新しい。


『うーん…まぁ、それなりにね。』


サヤの言葉にニヤっと笑ったぼーさんは、懐からチケットを取り出すとサヤのパフェの横に置く。


「実は俺、ミュージシャンが本業なのよね〜っつーことで、もし暇だったら見に来て。」


『良いけど、麻衣は?』

「麻衣は用事があるんだと。最近忙しそうにしているけど、学校で何かあんの?」


『あー…校内合唱コンクールがあるからかしら。麻衣、指揮者なのよ。皆、放課後に練習しているし。』

ほーっと、ぼーさんは目を丸くすると不適な笑みを浮かべた。


「んで、サヤちゃんはこんな所でサボりなわけか。歌わんの?」

ぼーさんの言葉に『誰が連れてきたと思ってるのよ』っとブツブツ呟きながら鞄を漁り、数枚の紙を取り出すとテーブルの上に置いた。ぼーさんはそれを取ると、目を丸くする。


「楽譜って…」

『歌わないわ。伴奏らしいから。』


「へー…まさかサヤがピアノ弾けるとは思わなかった。曲名は"風になれ"、か。」


『嗜み程度よ。その曲も聞いたことないし。』


クラスの皆はCDで音合わせ中だったから………私は病院に行かないといけないし家で練習しておくって言って帰ってきちゃった、というサヤの言葉に苦笑した。


「まー、でも練習するしかないでしょーよ。」


『そうね。でも、どこで練習しようかしら。』


「……?家にピアノあるんじゃねーの?」


ホテルにピアノはあったかしら?と脳内で思い返してみても、記憶にはない。


『……ないわね。』

「おいおい…君、それでよく引き受ける気になったね。」


『歌うよりはマシよ。事務所にないかしら。』


「イヤ、ないと思うよ。俺は。ナルがピアノ弾く姿を想像してみなさんなって……」


ぼーさんの言葉にサヤはナルがピアノを弾いている姿を想像してみる。

『………意外と似合うんじゃないかしら?』


「――俺も言ってから思った。仕方ない、サヤ、今回は特別だぜ。俺の家のキーボードやるよ。ピアノと感じは変わるだろうけど、指鳴らしとして無いよりましだろうし。」


サヤは、ぼーさんの言葉に小首を傾げた。

『キーボードあるんだ。』


「まーね。バンド仲間が"もう使わん"って置いていっちまったものがあってさ。ったく、俺ん家はゴミ捨て場じゃないのによー。」

サヤはぶつくさ言うぼーさんを一瞬見てから、渡されたチケットを手にする。



『じゃあ、そのキーボード戴くわ。』


「お、」


『ちなみにこのライブはいつ?』

「明後日の日曜、午後1時開演。もしかして来てくれんの?」


『…そうね。その後で、事務所にキーボードを運んでくれるっていう条件なら。』


ぼーさんはニヤリッと口角を上げた。


「了解、お姫様。」






―――――――…



PM 9:30


サヤは自室のシャワー室でシャワーを浴びていた。
艶やかな黒髪から零れ落ちる水滴が、サヤの身体を官能的に滑り落ちていく。


『……ッ……。』



サヤはタオルを身体に巻き付けると浴室を出た。










『…………何か用?』


サヤが浴室から出た途端、目に留まるのは黒ずくめに端正な青年。顔に無表情を張り付けた彼は、腕を組みながら壁に寄り掛かっていた。


「僕に用があるのは、むしろ君の方だと思うのだが?」


淡々としたナルの言葉に、サヤは一瞬眉間にシワを寄せるが、そのままフイっとそっぽを向いた。

『貴方に用なんかないわ。』


「……それなら、書類整理を頼みたい。着替えが済んだら僕の部屋に来て欲しい。」


『………分かったわ。すぐに行く。』


サヤの返事を聞くや否や、ナルは颯爽と部屋を出ていった。


最近、この時間帯にナルから資料整理を頼まれることが多い。
ナル曰く"英語"で書かれている資料は麻衣に任せてしまうとべらぼうに時間がかかってしまうため、効率的ではないとのことらしい。

なら、ナルが日本語の読み書きを勉強して、日本語の資料を作れば?とサヤがこともなげに聞いたこともあったが……


「僕が?……世界共通語でもある英語も読めない麻衣が悪い。」


と一蹴されてしまった。
ナルとしては、ジーンを捜す期間の借りの住家としての認識が強いせいだろう。
日本語を話すことができれば、コミュニケーションには困らない。今から平仮名、カタカナ、漢字を学ぼうとするなんて、時間と労力の無駄だと言いたげだった。



『ま、私としてはその手伝い自体は願ってもないことなのだけれど…』



ナルに接近できる。
つまりは魔法で眠らせた隙にキスができる。



サヤは身体に巻き付けたバスタオルを外し、下着と適当な衣服を身につけた。
それを見計らい、今までソファーの上で寝そべっていたラスクの鎌首がスルリとはい上がる。


(……姫様に死なれては困ると奴自身が言ったのでしょう。奴が寝てる隙をつくなんて、まどろこしいことをしなくても―――)


『……、ラスク。』


サヤは唇を尖らせながら苛立たしげにバスタオルをラスクの上に被せると、ラスクは言葉途中に押し黙らざるをえなくなる。
身体を数度クネらせると、サヤを刺激しないようにするためか、ピタリと動かなくなった。



この間の教会の件によってナルに知られてしまった、その事実にサヤは深いため息をついた。


この身体―――つまり、一日毎にナルの口づけを貰わなければ鋭い痛みと苦しみを伴い、やがては死に至るという体質―――の秘密を知られた以上、ラスクの言うとおり彼に縋れば良いのかもしれない。


"私にキスをしてよ"


そう言ったら、恐らくナルはしてくれるだろう。
リンをケナガイタチにした時と同じように。ああ見えて、ナルは甘い所があるから。
自分のことを見殺しになど、出来るわけがないと、サヤは初めから気づいていた。



けれど、サヤは彼に縋ることができなかった。
プライドが許さなかった。
ナルを目の前にキスを強請うことは、それ自体が命請いをしているようにしか思えてならなかった。

そんな格好悪く惨めな思いをするくらいならば、多少の痛みや苦しみくらい我慢できる。



それがサヤの出した結論だった。






―――――――…





日曜。
サヤはぼーさんのバンドの生ライブを眺めていた。


(姫様、手頃なマグルを狩ってきてもよろしいですか?)


熱気ムンムンの中で、たくさんのマグル達が我を忘れて騒ぎまくる様子は、ラスクの狩猟本能を擽るのだろう。
ラスクはサヤのポケットから顔を出すと恍惚と周りのマグルを見渡していた。
チロチロと威嚇するように出し入れしている細長い舌の動きから察するに、どうやら冗談ではなさそうである。


サヤはちらっとラスクを見てから、もう一度ステージを見上げる。
先程のボーカルが外した音を埋め合わせるように、ベースであるぼーさんが軽やかな指捌きで観客を魅力しているところだった。


〔良いけど…でも、その結果もし貴方がマグル達に捕われたとしても、助けないからね。精々気をつけなさい。〕

(………)


サヤの言葉を聞いたラスクは、つまらなそうにポケットの中に頭を引っ込めた。












「悪い悪い、結構待ったか?」


サングラスをかけたぼーさんの言葉に、ずっと駐車場で待っていたサヤは首を縦に振った。


「どうだった?ライブ。」


ライブを終えてすぐに尋ねられた問いに、サヤは少し考えてから答える。


『―――まぁまぁ、ね。ぼーさんの技術は中々だと思うけれど……貴方のバンドの個人の力量って結構バラバラじゃない?』


「あー…やっぱ、サヤにはバレちまったか。っとキーボードなんだが、一応車に積み込んである。サヤも事務所で良いんだろ?」

『えぇ。』


「んじゃ、裏手の駐車場集合。俺ちょっと仲間と片付けがあるから。少しの間待ってて。」


『わかったわ。』



と言って別れたまでは良いものの、事実、彼のライブが終わってからゆうに一時間は経過していた。


『イチゴパフェ、二個ね。』


首を傾けながらニコニコと告げるサヤに、ぼーさんは若干口元を引き攣らせながらも了承の意を示した。

ぼーさんに促されるまま彼の車の助手席に乗り込んだサヤは、ようやく落ち着いた身体に、ふぅと息を零す。
ライブ中やぼーさんを待っている間、ずっと立ちっぱなしだったのだ。いくらサヤとは言えど、さすがに疲れていた。


「―――なー、サヤ。ちょっと聞いて欲しいことがあるんだけど。」


『聞いて欲しいこと?』


車のアクセルを踏みハンドルを回しながら、ぼーさんは呟くように言った。


「ん。ある学校のある席に座った生徒のお話。ここ四ヶ月の間に、その席になった生徒が四人。全て事故にあってんのよ。」


『事故?…交通事故ならわりとザラな話しじゃない。』


サヤがぼーさんを横目で見ると、彼はすぅっと目を細めた。


「いんや、それが交通事故じゃないんだと。事故は事故でも電車のドアに腕を挟まれての大怪我。四人全てがそれ。死人が出てないのが幸いだな。」


『……面白い偶然ね。』


「だろ?それとそのクラスの担任が幽霊を見たとかで入院。今も原因不明の吐血を繰り返しているらしいぜ。」


『へぇ。』


「さっきファンの子に相談されてさ。学校じゃ、皆言ってるらしいぜ、祟りだーって。」


『祟りねー…それにしてもその子は何故ぼーさんに?坊主って知ってるの?』


「本業はミュージシャンだけど、この業界ってその手の話が多いんだ。んで、元坊主ってことでいろいろ担ぎだされて――」


いつの間にか、拝み屋が副業みたくなっちまったとぼーさんは苦笑した。どうやら割とバンドのファンの間では有名な話らしい。


『……で、なんで私に?専門家ならいるじゃない。事務所に。』


「もちろんナル坊にも相談すっけど。……その前にサヤの意見を聞こうと思ってさ。導きの女神、ってね。」


ぼーさんはちらっとサヤを見遣ると、綺麗にウインクをしてみせる。それを見ていたサヤは、呆れたように溜息をつくと首を横に振った。


『口説いてるの?』


「…かもね。どうもサヤには不思議な魅力を感じてなんねーんだ。」


『……買い被りすぎよ。』




そう言って、深く背をもたれたサヤは軽やかに微笑むと、ゆっくり瞳を閉じた。






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