彼との契約
―――――――――…
とあるホテルの一室。
まだ朝日が昇りきっていない時刻にこの部屋の主は目を覚ました。覚ました、と言うよりは起こされたと言う方が正しいのだが。とにかく、今の現状にこの一室の主であるナルは眉間にしわを寄せていた。
"自分が寝ているベッドの上に少女が寝ている"
意味が分からない。このホテルは自分とリンしか知らないはずだ。それにきちんと昨日の夜は部屋の鍵もかけた。この少女がこの部屋に入れるはずがない。それともこの少女は施錠を解除できる何かしらの能力を持っているのか。しかしいずれにしろ不審者きわまりない。とにかく本人に聞いてみるのが一番手っ取り早いだろうと考えたナルは少女を起こしにかかった。
「おい。」
[……。]
「おい、起きろ。」
[……。]
「おい――」
[シレンシオ]
少女がムクリと起き上がると、寝ぼけ眼のまま細長い棒をナルに向けて呟く。その瞬間、彼女を正面から捉えたナルは息を呑んだ。腰まで伸びている黒髪に端正な顔立ち。それだけならば、ナルの端正な見た目と地位に寄ってきた多くの女の中にも…まー見た目に関して言えばこの少女に劣るとは言えども、ちらほらいるわけで、何も驚くことはない。
しかし、この少女の瞳。今の数分の間にいくらか目を覚ましたのか、真っ直ぐとナルを見つめてくる彼女の瞳は血のように紅い瞳だった。瞳と同様、同色のピアスを両耳につけていて、それが彼女の艶めかさをよりいっそうひきたてている。
ナルは、少し考えてから少女をジっと見やり、それからゆっくりと言葉を紡ごうとした―――が、どうにもそれができず、ヒューヒューと息が漏れるだけで音声がでてこない。自身の喉に手を当てると眉を潜めた。
目の前にいる少女を睨む。十中八九、先程の訳の分からぬ言葉を呟いた彼女のせいだろう。そう考えたナルは溜息をつくと共に、目の前の少女を見つめる。根っからの研究バカである彼は不可思議な彼女の能力に興味が湧いていた。
[貴方は誰?]
彼女から発せられた言葉は英語。確かにナルにとっては母国語であり、聞き取るのは造作もないのだが……そもそも声が出せない。彼は彼女を睨みつけたまま、ツンツンと自身の喉を指し示した。
[……。あぁ。忘れてたわ。]
少女は再び棒を振り、次の瞬間にはナルの声は元に戻っていた。
[お前は何者だ。その棒はなんだ。]
ナルは少女に合わせて英語で尋ねる。彼の言葉を聴いた彼女は不快そうに眉を潜めると、大袈裟に肩をすくめてみせた。
[マグルね。なら貴方に用はないわ。アバダケダブラ。]
躊躇いもなく呟かれた言葉と、少女の冷たい視線にゾクリと背筋に戦慄が走ったナルは身体を強張らせた。
[……。]
[……。あら、、、死な、ないのね。第二の・・・ハリーポッターかしら。]
[……。その棒きれで人が殺せるのか?]
[・・・棒きれじゃないわ。杖、よ。
…でも変ね・・・許されざる呪文が発動しない、なんて。]
[お前は一体…]
ナルの言葉が言い終わるか終わらないうちに、シューシューという独特の音が聞こえる。二人同時にその音源に目を向けると、彼女のすぐ隣に黒々とした蛇が横たわっていた。
どうしてこんな所に蛇が?と首を傾けるナルだが、少女と蛇との距離はおよそ三十センチ程。パチクリと目を驚きで見開いている少女を見遣り次に発せられるであろう悲鳴を予想した彼は、とにかく彼女を蛇から遠避けようと腕を伸ばした瞬間だった。
シューシュー
シューシュー
少女と蛇は向かい合って、会話のようなことをしている。
シューシュー
シューシュー
暫く続いたそれを黙って見つめていたナル。ようやく彼に顔を向けた美麗な少女はニコリと胡散臭い笑みを浮かべた。
[貴方が、ユージン・ディウ゛ィスの双子の兄、オリウ゛ァー・ディウ゛ィス?あ、戸籍上は逆かしら。]
[……。]
[そう、睨まないでよ。私だって被害者なんだから。]
[被害者?]
[・・・そう。]
ゆっくりと迫ってくる少女。その動作全てを捉えるように、ナルは彼女を睨みつける。少女はナルの首に両腕を回すと唇に噛み付いた。
[−−−私はサヤ・リドル。魔女よ。私と貴方は契約で結ばれた。よろしくね、ナル。]
突然の彼女の暴挙に、ナルは眉間に皺を寄せると魔女と自称する彼女を片手で追い払った。
(・・・君がどうやって僕の本名を知ったのかは知らないが、日本では渋谷一也で通してる。)
(ああ、偽名ってことね。わかったわ。なら私は貴方を何と呼べば良いのかしら?)
(・・・ナルで良い。)
(え、ナル?オリヴァーだから?偽名を使ってるんじゃないの?)
(・・・。日本での、僕のニックネーム・・らしい。本名は知られていないはずだが。)
(へぇ。なかなか鋭いニックネームね。らしい、ってことは、誰かからつけてもらったんでしょ?)
(・・・。)
(・・・私、その名付け人に会ってみたいわ。いいわよね?ナル。)
(・・・。僕には従う理由が−−−−リン、今はこの部屋に入るな。)
(あら、丁度良かった。−−−−。ナル、これで理由ができたわね。明日が楽しみだわ。)