またたきの越冬

「まさか、ここまでとはな…」

 恵は悠長な事言ってねぇでとっとと死ね、と悪態を吐きそうになり、代わりに唇をへの字にして噤んだ。
 キールやキールに装着されたカメラでモニタリングしている組織の人間からすれば、死体すり換えトリックは成立している。しかし、影の功労者である恵は事前に待機したり、赤井の車で楠田とかいう男の死体のスタンバイをしたりと、非常に多忙だ。恵の視点からすれば茶番でしかないので、悪態を吐きたくなる気持ちも分からなくはない。
 赤井が射殺され、シボレーに火がつく。死体とすり替わった赤井と不本意ながら手を繋ぎ、その場を離れる。背後で事前に呼んでおいたパトカーのサイレンが聞こえており、恐ろしいほど円滑に、コナンのシナリオ通りにことが進んでいた。

「じゃ、サクッと着替えてください。車汚すのは許しませんからね」
「そうさせてもらおう」

 恵の車に着いたので、移動の前に着替えてもらう。全身血のりまみれの男を同乗させていれば、職質待ったなしだ。恵の能力で隠しても良いが、こんな男とずっと仲良く手を繋ぐのなんて御免である。
 赤井が用意しておいた“沖矢昴”の服装に着替えるため、恵は峠道で暗く何も見えない山に視線を逸らす。赤井は大して気にしていないようで、サクサク着替えている。

「帰り道は僕が運転しますよ」
「ウィッグと服装変えただけで、顔はまだそのままなのに気持ち悪いからやめて」

 赤井は既に阿笠博士の発明品の変声機を装着しており、甘く優しい声で言った。顔以外は沖矢だとしても、恵は沖矢ではなく赤井と認識しているので、とてつもない違和感だった。更に付け加えるなら、赤井が言いそうにない甘いセリフを吐くものだから、違和感を通り越して不快だった。
 全力で拒否反応を示す恵のリアクションも予想がついていたのか、赤井は軽く肩をすくめるだけでサラリと運転席に乗り込んでしまう。恵に合わせたシートでは乗り込めず、後ろへずらしたりシートを下げたり、あまり格好はついていないが。
 実のところ、恵はあれば便利だろうと自動車免許(AT限定)は学生の時に取得済みだが、そこから都心部に住んでいると車がなくても生活できるため、ほぼペーパーである。刑事になってから必要に駆られる機会があったため、ペーパーは脱したかもしれないが、恵は運転は大して好きでもないし、こんな峠道だとむしろ苦痛だった。ありがたく運転を譲り、助手席に座る。

「先日捜査協力の際に亡くなったアメリカ国籍の女性が居たな」
「…ナンシーよ」
「そうだったな。君が大人しく協力に応じてくれたのは、彼女の死に君たちが関わっているからか?」
「じゃなきゃこんな茶番に付き合わず、貴方たちを囮にして、遠くで見張ってた組織の幹部とやらを蜘網打尽にしてたわよ」
「詳細は、言えないか」
「当たり前でしょう。恵事件は貴方たちには関係のないこと。知ったところで、捜査権も逮捕権も持たない貴方たちにはどうしようも出来ないでしょ」

 もっともだが、なかなかつれない。SPECについての秘匿を宮野明美に誓わせたり、つれない中でもいじらしさが垣間見える。
 見た目の年齢やボウヤからの情報では、新米エリート刑事らしい。SPEC HOLDERである時点でかなりのアドバンテージを有している上に、新米らしからぬ刑事の目。そこに隠された過去も、赤井は知っている。
 協力関係を築く上で必要なことだったので、恵のセンシティブでまだ癒えていないであろう傷に触れたのは悪かったと思っているが、後悔はしていない。下手にいじくるつもりもないし、聡明な恵のことだからある程度洗われることは想定内だろう。

「これからある意味自由の身になるわけだけど、どうするの?」
「ひとまずは大人しく大学院生として生活するさ」
「宮野明美の妹の警護をして?」

 赤井は恵の傷をいじらないのに、恵は遠慮がない。それを咎めるように恵を見遣るが、本人はどこ吹く風だ。隠す道理もないので素直に首肯を示す。

「ついでにコナンくんの見張りもお願いね。貴方達FBIがあの子を買っているのは知ってるし、彼の実力は確かよ。でもね、あの子はまだ未成年で、誰かに守られる存在なの。好奇心は猫を殺す、そうならないように大人の目が必要よ」
「ああ、分かっている」

 それ以降は会話らしい会話はなかった。首都高速に入る手前で運転を代わり、米花町で赤井を降ろして警視庁へ戻った。
 もう行き慣れた警視庁の地下深くにある未詳に割り当てられた部屋。昇降機で半階上がると、恵の帰りを待っていたのか、野々村が相変わらずの微笑みで待っていた。

「ただいま戻りました」
「うわぁ!お、おかえり、野宮くん」
「野々村係長、まだいらっしゃったんですね。車のキー、返却お願いします」
「はいはい、確かに」

 毎度お馴染みで野々村は恵に気付かないので、声をかけてびっくりされる。さらりと流して、借りていた車のキーを返却し終えると、野々村は目で首尾を尋ねてくる。その視線があまりにうるさいので、恵は大人しく上々です、と答えた。

「これで米国の借りは返しました」
「そういえば、SITの隊員がウチに来るかもしれないって。今は査問中だから、終わり次第ね」
「SITが査問ですか。何やらかしたんです?」
「なんでも味方を誤射したみたい。本人は、向こうが打ってきたが、全弾向こうに当たったって回答してるらしいから、長引くと思うよ?」
「……SPEC…ニノマエですね」

 野々村は笑みを深めた。そのSIT隊員もニノマエのせいで出世街道を外れたのだ、不憫なものだ。

「私はしばらく今回の件を追うつもりです。根の深い組織なので、SPEC HOLDERにまで手を伸ばされると厄介ですから」
「うんうん」
「私のSPECの特性上、単独行動の許可を。例の隊員が配属されたら、当麻さんとバディを組むようにしてくれませんか?」
「野宮くんの希望に沿おう。ただし、単独行動でも何かあれば必ず頼ること、分かったね?」
「はい、分かっています。」

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