いつしか崩れゆく箱庭のなか
恵は三宮和也依頼で、画廊や画廊に行ってから様子のおかしくなった二人の元へ事情聴取に向かった。画廊に展示品一覧を見せてもらったが、特に不審な絵は見当たらなかった。
自殺した池宏実の両親に、画廊に行ってから自殺するまでの様子を聞いたが、部屋にひきこもっていたようで有力な情報は得られなかった。
「牧総悟くんですね。私は警察です」
「俺は何もしてない!」
「池宏実くんのことかな」
「俺は、俺は悪くないんだ……」
牧総悟とは話にならなかった。瞳孔は開き、視線は常に定まらない。怒鳴ったり、ぶつぶつとうわごとのように呟いたり、かと思えば泣いて許しを乞うたり。呪いの絵の件がなければ、良からぬ薬に手を出してないか疑っただろう。
恵は牧総悟の部屋を見渡し、几帳面に色々なものが飾ってある中で、ひとつの写真立てだけが伏せられているのを見る。そっとそれを持ち出して、廊下に出てから見る。牧総悟と池宏実は水泳部だったらしい。水着姿の少年三人が肩を組み、その横でピースする男の子の顔が黒く塗りつぶされている。
「あの、総悟は……」
「すみません、いきなり警察官が来たので驚いて興奮してしまったようです。少しそっとしてあげた方が良いかもしれません」
「そうですか……」
「…あの、この写真はいつの物でしょうか?」
「総悟が高校三年生の時のものですね。夏の大会で、結構いいところまで行ったんですよ」
「池宏実さんとはこの頃から仲が良かったんですね。失礼ですが、こちらの方に覚えは?」
「宏実くんとは幼馴染なんです。絵画教室で仲良くなって、宏実くんがスイミングにも誘ってくれて。隣の子は同級生の子ですね。確か、他県の大学へ進学したと思います。……その隣の子は多分、柳 廉くんです。総悟たちの一学年下で、三年生をおさえてリレーのメンバー入りする子だったんですけど、事故があったみたいで……」
「ありがとうございます。これ、お借りしますね」
この柳廉が黒く塗りつぶされた写真に、事件の鍵がある。
柳廉の家を訪ねると、車椅子リフトなどが整備されたバリアフリーの家だった。やつれた母親が恵を出迎えた。
「刑事さんはどうしてうちへ?もしかして、事故のことですか?」
「いえ、残念ながら別件です。池宏実さんが亡くなった件で、少しお話を伺いたくて」
「池くんが……」
母親の柳京子はすがるように恵を見たが、残念だが期待には応えられない。池宏実の死亡を伝えると、柳京子は悲しげに目元を伏せた。
「刑事さんは廉のこと、ご存知なんですか?」
「不幸な事故があったとだけ」
柳京子は目を瞑って呼吸を整えたあと、恵をこちらへどうぞ、とリビングから別室へ誘導する。一階の庭に面した部屋に、窓の外を見るような形で、青年が車椅子に横たわっている。
青年は眠っているようだが、口は半開きで端から唾液が流れ、唇はかなり乾燥している。すみません、と柳京子が断って、慌てた様子で口元をハンカチで拭っている。
「廉は二年生ながら、リレーのメンバー入りをしました。プレッシャーも大きかったはずですし、初めての大きな大会にも萎縮したのでしょう。フライングで反則を受け、負けました。その日の夜、高校のプールに忍び込んで一人で練習して、溺れて…。見回りの先生が見つけてくださったので、なんとか命は助かりましたが、脳に後遺症が残って意識は戻りません。今までずっと介護に追われて、あの時のお友達の近況も、何も知らないんです」
「そうですか。廉くんは責任感の強い方なんですね」
「えぇ……」
柳京子は涙を浮かべた。
「ねぇ、野宮刑事は知ってたんでしょう」
後回しにしたツケが回ってきた。
「知ってて、わざと放置したんでしょう?野宮刑事からしたら、守秘義務を犯す訳にもいかないし、かと言ってゼロの人達に何か言うのも不自然だし」
「知ってたよ。君の言う通り、守秘義務もあれば彼を守るためでもある。でも、君が興味を持ってしまったら、真相に辿り着くのも時間の問題だと思った。責任を負うなら、私じゃなくてヘマした公安の方が都合が良かった。ただ、言わせて貰えば、事件の捜査で忙しいのは本当」
「ふーん」
コナンは胡乱げな目で恵を見る。どうやら信用を損ねてしまったらしい。
「コナンくん、お願いがあるんだけど」
「え?」
なら、ご機嫌を取らないとね。恵がニヤリと笑ってコナンを見ると、コナンは良からぬ気配を察したのか、表情を引き攣らせた。
「梓さん、それでは僕はお先に失礼しますね」
「はい、お疲れさまです!」
安室がポアロのアルバイトを終え、エプロンを外しながら梓に挨拶をするのを、コナンはカウンターに座って眺めていた。ここかな、とタイミングを見計らって、子どもらしくおねだりをする。
「ねぇねぇ、安室さん。この前乗った安室さんの車、壊れちゃったよね」
「ああ、廃車になったから、同じものを新しく用意したよ。君を守るためなら、あの程度痛くも痒くもないさ、気にしなくていい」
「もう新しいのなの?僕、あの車すっごくかっこよくて、もう一回乗ってみたいんだ。もうお仕事終わりなら、これからダメかな?」
「もちろん、いいよ」
先日コナンがわざと殺人犯に誘拐されに行った時、犯人を逃がさないために安室が車をぶつけに行って停めさせて、犯人逮捕に繋がった。車体の左半分が潰れていたので、廃車になっただろう。その後同じものを買い直したのを、コナンは知っていたが知らんぷりだ。安室に二人で話せる場を確保して欲しい旨が伝われば良い。
察しの良い安室はにっこりと了承し、コナンと共にポアロ近くのパーキングに向かう。パーキングには若いOLのような華奢な女性、野宮恵が待機していた。
「コナンくん、協力ありがとう」
「どういたしまして。それで、安室さんと何を話すの?」
「大人の話。君にとって有益なことには変わりないけど、これ以上は君の領分じゃない。分かるね?」
「ちぇ、分かってるよ」
コナンは安室の袖口を掴んで渋るが、安室も苦笑して肩をすくめるだけだ。コナンは諦めた様子で、帰って行った。安室は助手席のドアを開けて、恵をエスコートした。
恵は隣で適当に車を走らせる男を見る。褐色の肌に金色の髪。やたら整った甘い顔立ちで、身長も高く、体つきは鍛えていて美丈夫といった風体だ。
「貴方のことは、何とお呼びすれば?」
「今だけは、降谷で構いませんよ」
「ご存知でしょうけど、警視庁公安部公安第五課 未詳事件特別対策係 通称未詳。警部補の野宮恵です」
安室もとい降谷は、降谷零、とだけ自己紹介を済ます。
「まず、コナンくんの件は申し訳なかったと思っています。そちらの落ち度にしてしまったこと」
「構いませんよ。こちらの落ち度に違いありませんし」
恵がバッグからカーディガンを取り出したのを見て、降谷は車の冷房を弱めた。行き場を失ったカーディガンを膝の上に置いて、恵は話を続ける。
「今私が追っているヤマ、恐らく降谷さんの追ってる組織と関わりがあります。こちらのホシは一人なので、他は譲ります。活かすも殺すもお好きにどうぞ。変わりに、そちらの人手を貸してほしいんです」
「それは魅力的なお誘いだな」
「ただし、条件もあります」
「そう美味い話はない、か」
「ひとつ、こちらの事件は我々が処理します。ふたつ、情報は共有しなければならないので、詳細は降谷さんのみに開示します。みっつ、降谷さんがチヨダなら知っていても良いですけど、中野に消されたくなければ口外法度です。よっつ、中野で対処しきれない場合、今回のようにチヨダも協力すること」
チヨダ、というのは警察庁警備局警備企画課、ゼロの別称だ。恵の所属する未詳の上部組織には、特殊能力者対策特務班警視庁公安部公安零課というものがあり、ゼロと同じく存在は秘匿されており、警察官でも知るものは限られている。
この上部組織はアグレッサーとも呼称され、ゼロと同じく陸軍中野学校にルーツを持ち、隠語として“中野”と呼ばれることもある。
降谷はちらりと青い瞳をこちらへやった後、ふぅと息をつく。
「詳細を聞こうか」