ただ、まぶしいものを見るとき

 洞窟を抜けた先の扉を開けると、いかにも裏稼業な人間たちが銃を構えて出迎えた。三宮和也も切り捨て、警察が辿れないようにするつもりのようだ。ご挨拶なことだ、と思ったけれど、奴らの指は既に引き金にかかった。手遅れのようだ。
 そう思った時、ベアトリーチェに押された。至近距離で銃を受けて、防弾チョッキに当たりはしたけど、多分、肋骨にヒビが入ってる。そんな状態で肩を貸してもらって何とか歩けていた私は、簡単にバランスを崩して、三宮和也を巻き込んで倒れる。
 降谷に三宮和也ごと庇われて、地面に押さえつけられる。だめ、待って。守らないと。あの子を、守らないといけないのに。なんのために来たんだ。
 降谷が痛いくらい締めつけるので、手も伸ばせなかった。言葉にならなかった叫びは、私の喉を焼いただけで誰にも届かなかった。

「ド三流が…ッ」

 降谷が反撃に転じた時、一緒に起き上がった。どこも痛くなかった、痛みを感じなかった。身体の中が沸騰したように熱かった。
 彼の腕を掴んで透明になると、あの子の身体を跨いで、あの子の血を踏んで扉をくぐる。反射的に出た悪態のとおり、相手はド三流だった。降谷と二人がかりなら、制圧はあっという間だった。


 助からない怪我なのは分かってた。だから手当てより制圧を優先した。ド三流どもを武装解除して適当な部屋に押し込んで、後のことは降谷が何とかしてくれると分かったから、私はあの子の元にやっと戻れた。

「助けるつもりだったのに、助けられちゃったね。でも、ものすごく助かったよ、ありがとう」
「あ…なた、みたいに、強く、なりた……」
「充分だよ。でも、自己犠牲は良くないな。私はさ、強いからさ……大人しく守られててよ」

 優しく労いの言葉をかけるつもりだったのに、悔しさからどんどんひねくれた言葉が飛び出す。違うの、こんなこと、今伝えなくったっていいの。

「ぇ、あれ、」

 あの子が指さしたのは、部屋の中に飾られた悪趣味な絵だ。ちょうど部屋に戻ってきた降谷が察して、降谷が両手を広げたくらいの大きな絵を外してこちらへ持ってきた。

「これでいいか?」

 降谷の問いかけに、あの子はふわっと笑った。失血がもうすぐ致死量だ。顔色は青を通り越して土気色だった。
 あの子が手を伸ばしたので、支え起こして絵に触れさせてやる。手を重ねると、あの子の中に入り込んだ。




 加賀美蔵之介は戦後の日本を立て直すほどの商才に恵まれ、金に関する敏感な嗅覚で財をなし、非情な男として知られている。しかし、加賀美蔵之介は非情に心の弱い男だった。
 しっかり者の妻 安代を貰い、深く愛した。娘も産まれ、幸せの絶頂だった。絶頂に達すると、下り坂に転じる。最初の不幸は、安代の死だった。流行病であっけなく死んだ。
 加賀美蔵之介の哀しみは深く、歪んだ愛を娘の紗音に向けた。紗音を離島の屋敷という鳥かごに閉じ込めて、全てとの関わりを断つことで守ろうとしたのだ。
 やがて紗音が成長すると、妻の安代を想起させるようになる。ここで、加賀美蔵之介は過ちを犯した。家族として愛ではなく、安代への、男としての愛を押し付けたのである。不幸なことに、紗音は世間知らずで、未知のことに戸惑うだけで歪んだ愛を受け入れてしまった。

 紗音が妊娠したことで、加賀美蔵之介の人生はさらに転落していく。紗音は花よ蝶よと育てられて無知だった。妊娠により、自分の体が変化していく恐怖に耐えられなかった。
 いよいよ出産を迎え、理音が誕生する。理音は近親相姦による染色体異常で、男でも女でもない性を与えられた。
 紗音は、出産によって変化した心身や、変化した関係性に戸惑った。理音が泣くとあやさねばと思うのに、乳を吸わせると嫌悪感が支配し、理音の成長を喜ばしく思うのに、憎たらしいと思うこともあった。それに、今まで自分だけを見つめて愛してくれた蔵之介が理音を抱いて微笑むのを見て、蔵之介を取られる恐怖と妬ましさに溢れた。
 理音が物の分別がつくようになった頃、紗音は限界を迎えた。理音は愛し方を知らない紗音より、自分を大切にして愛をくれる蔵之介に懐いた。以前は無抵抗に抱かれていたのに、紗音ではいやだと駄々をこねるようになった。憎たらしい、妬ましい。気付けば紗音は理音の首を絞めていた。

「何をしている!?」

 蔵之介の怒声が、生まれて初めて紗音に向いた。紗音は蔵之介の心が自分ではなく、理音に移ったことを察した。そのまま恨み言を吐き散らかし、二人の目の前で崖から身を投げた。

 蔵之介は深く後悔した。自分の過ちのせいで、紗音と理音、二人とも不幸にした。最愛の娘を失った哀しみと後悔は尽きず、理音を視界に入れるのすら苦痛だった。逃げるように理音の養育を部下に任せて距離を置いた。

 理音は三宮和也に養育された。最初はネグレクトにならないギリギリに放置していた。放置したせいで、理音は発語の遅れや吃音に悩まされた。ただし、意志を言葉以外で伝えなくてはならず、代償的に芸術の才能が開花した。
 三宮和也は画家としての才能は凡人だが、才能を見抜き育てる能力は一流だった。それから理音は三宮和也に英才教育を文字通り叩き込まれることとなる。失敗作は破り捨てられ、鞭で手足や背中を叩かれ、食事を食べさせて貰えないこともあった。それでも理音に価値を見出して見てくれる人が、三宮和也しかいなかったから、逃れるなんて考えたこともなかった。理音は言われるまま描き続けた。コミュニケーション代わりの絵に、SPECが宿った。才能の開花に、三宮和也は歓喜した。

 そうして色々な人に望まれるまま絵を描いた。心象風景には、印象深い記憶も付随することから、理音は外の世界を知る。そして、自分の異質さに気付く。
 平らな体。見た目は女性だが、いつになっても初潮はこず、やがて自分に子宮と卵巣がないことを知る。欠陥品であることを知った理音は絶望した。現実を見せる鏡を嫌いになった。
 病床についた蔵之介を、三宮和也に連れられて見舞った。理音の記憶には蔵之介は居なかったが、会うと何となく親近感を覚えた。紗音と理音はあまり似ていないが、安代に声が似ているだとか、愛おしそうに蔵之介が理音を撫でるので、くすぐったかった。
 再三になるが、蔵之介は心の弱い人間だ。愛する家族に看取られたいと、自分から目を背けたくせに見舞いに来させた。そして、いざ理音を目の前にして、やはり自分の犯した罪を抱えきれなくなった。理音に自分の絵を描くように言い、罪を告白した。
 理音は優しく愛をくれた蔵之介の狂気に、裏切られた気持ちになった。今まで誰にも期待せず生きてきた中の希望を手折られ、暴れた拍子に割れた鏡を見て、衝動的に蔵之介を殺した。

「理音を頼む」

 そう三宮和也に申し付け、理音に相続させるはずの離島と屋敷を表向きは三宮和也に相続させ、管理させた。蔵之介は自分の罪の象徴である理音に断罪され、ひとり満足そうに逝った。
 残された理音は、元の人形に戻った。時折ぐるぐると激情が体の中で渦巻くが、感情に蓋をして誤魔化した。



「生きたいように生きろ!ベアトリーチェ!」

 夏の雪みたいに、涼やかな人だった。理音と違って、華奢だけど柔らかな膨らみのある身体つき、爪先まで綺麗に彩って、理音にないもの全て持ってる人だと思った。
 でも、心象画はドロドロと気持ち悪くて、恐怖で満ちていた。全部持ってると思った人は、傷だらけでなおも戦う人だった。理音を助けようとしてくれる人なんて、こんなにも必死におもってくれる人なんて、今まで居なかった。眩しかった。
 叫ばれた名前は加賀美理音ではなく、自分で名付けたベアトリーチェだった。昔、神曲の永遠の淑女をテーマに描いたことがあった。自分がこうだったら良かったのに、と理想を詰め込んだレディ。そんな事情なんて知らないはずなのに、その人は理音の欲しかった言葉をくれた。


 洞窟を歩いている間、理音は考えていた。これからどう生きたらいいのか。自由に、なりたいようになれと言われても、今までそんな生き方をしてこなかったのだから、分からなかった。
 そしてふと気付くのだ。自分は禁忌の子で、異質なのだと。今まで人形のように言われるがまま絵を描き、悪事にだって加担した。そんな自分が、幸せになっていいわけが無いと。罪を償わなければならないと。

 出口に着いて扉を開けると、待ち構えていたのは口封じのための裏稼業の取引相手だった。銃口が火を噴くまでの、ごくわずかな時間で、理音は歓喜していた。
 優しいあの人と、正義の味方のお兄さん、二人を守らなければならない。そして、三宮和也は罪を償わせなければならない。三宮和也を殺さず捕まえたから、二人にとってまだ利用価値があるのだ。なら、殺させない。
 三人を背に庇って、理音は銃弾の雨を受けた。痛くて熱い、けれど、これが罰で罪を償えると思うと気分は晴れやかだった。自然と、心からの笑みがこぼれた。


 徐々に全身が冷えていき、視界が狭まって、音が聞こえなくなっていく。死が近づいているのがわかる。
 死ぬのは怖くない。このまま闇で生きるつもりもないが、光の中を歩けるとは思っていない。だから、これでいいのだ。優しいあの人が、自分のために泣いてくれている。嬉しい。
 どうやったら伝わるだろうか。もう話せない。そうだ、絵がある。元々話すより絵で伝える方が得意だった。

 優しいあの人は、太陽より月みたいな人だ。太陽は明るすぎて、近づくと焼けてしまう。月みたいに、ただそこに居て優しく照らしてくれる。
 理音のような異質な存在を受け入れ、三宮和也のような外道と戦うところは、水のようだと思う。水は自由に形を変えられるし、それでいて牙を剥くと強力だ。あの人は優しいから、色々な物事に心を揺さぶられると思う。けれど信念は曲げず、戦い続けるのだと思う。変わらない強い意志は、風ひとつなく凪いでいると思う。
 夏みたいな熱い思いがあるのに、暑さを感じないどころか少し涼しさを感じるから、夏の雪と例えたのは言い得て妙だ。でも、あの人の澄んだ心に雪をふらせたくなかったから、昼と夜、日の入りと夜明けをイメージして表現しよう。
 ふと、あの人の心の片隅に居たいと思った。おこがましいと思ったけど、忘れて欲しくないから、そっとベアトリクスになって、あの人の輝きのひとつになりたい。

 描きあげた絵は、間違いなく最高傑作だった。

ALICE+