薄明かりに春のにおいを連れて

「野宮恵。23歳。警部補。透明化のスペックホルダー。よろしく」
当麻とうま紗綾さや、以下同文。スペックはヒ・ミ・ツ!」
「はあ」

 普段は当たり前のように遅刻する恵だが、根は真面目である。新人ではあるが同期でもあるので配属を楽しみにして、珍しく定刻に出勤して待っていたのだ。しかし、当の本人は時差ボケだか何だかで初日から大遅刻を決めている。
 警察官は必要に応じた服装での出勤が許されており、人によってスーツだったり制服だったり私服だったり様々だ。未詳はこれといった必要性もないので、恵はオフィスカジュアルだし、野々村はスーツを着用している。
 当麻はグレーのスーツを着ている。地味だがそれはまあ良い。しかし、髪の毛はボサボサだし、白の微妙な丈のハイソックスに学生のようなローファーを合わせており、壊滅的にダサい。何より信じがたいのは、髪が脂でギトっとしておりフケのようなものも見られるし、対面して挨拶しているだけでかおるニンニク臭だ。絶対に寝坊した後、にんにく料理食べてから来ている。
 恵以上にルーズで、センスも壊滅。挙げ句の果てに清潔感も皆無で恵は大きなショックを受けていた。

「早速ですけど、今追っているヤマがあるので、概要を説明します」

 衝撃で固まった思考諸々を何とか切り替えて、当麻に連続男性障害事件の概要を説明する。恵がまとめた捜査資料を渡しながら、ざっくりと口頭で説明を行なっていく。

「ガイシャは現状7名、いずれもセクハラや痴漢など女性への小犯罪の加害者でもあります。マルヒ(被疑者)はレディ・ジャスティスを名乗っており、スペックによりガイシャを無力化した上で男性器を切除し、事件についての口封じをしていると考えられ、詳細は不明」
「もう全部読んだんで説明大丈夫っす」

 恵が訝しげな目で当麻を見る。読んだも何も、当麻はタブレットをさらっとスクロールしていただけで、精々流し読み程度だ。いくら未詳が緩いとは言え、捜査を行う以上はしっかり捜査資料を読み込んでほしい。
 早速恵と当麻の行き違いを察したのであろう野々村が、慌てたように割り込んできて当麻を庇う。

「当麻くんはIQ200超えの天才だからね。ね?」
「カメラアイ…。そういうスペック?」
「や、違いますね」
「まぁ良いです。頭には入ってるんですね」
「はい」

「私の所感では、犯人は単独。スペックが強い感情や意思によって出現するものとすると、最初の被害者である壱原ハジメと何らかの接点がある。そう思って壱原ハジメの周辺と過去の痴漢被害者と思わしき人物を洗うも、怪しい点はなし」
「野宮さんは壱原ハジメに事情聴取したみたいですけど、何かありました?」
「事件の詳細は話せないから何も。強いて言うなら、嘘はついてはいけない。嘘つきには天罰が下る。自分は天罰が下ったが、私はそうならないで、と」
「天罰……」

 当麻も意味深に彼の言葉を反復する。恐らくこれは彼に許された最大限のヒントなのだ。

「そういえば野宮くん。壱原ハジメの周辺人物に女性が多いのは仕方ないけど、かなり女性は深掘りして調べてるよね。これはどうして?」
「……女の勘ですね」
「いやいや、女の勘って」
「一応それらしい理由はありますよ。まず第一に、犯人が男性だとして、天罰にち○こ切り落とすって発想になりますかね?自分にだってついてる大事なモンですよ?男性ならぶん殴ったりぶっ殺したり、そっちに行きそうだなぁって」
「ちょ、女の子なんだからち○ことかぶん殴るとかぶっ殺すとか、言葉をさ」
「象徴を切り落として不能にする陰湿な発想に、女の怨念を感じるというか。次に、この犯行の意義を推測すると女性的だなと思って」
「犯行の意義?」

 一つ前の恵の物騒で直接的な発言に野々村は慌てている。それに構わず恵が先を続けると、野々村は首を傾げる。顔には性犯罪者への復讐じゃないの?とあからさまに書いてある。当麻も捜査資料を眺めながら話を聞いているようなので、恵はそのまま推察を続ける。

「野々村係長、私ずっと係長に怒ってるんですけど」
「え、えぇ!?ご、ごめんね野宮くん。僕何かしちゃったかな」

 説明ではなく、恵は野々村をギッと鋭い眼光で睨みつけそう言うと、野々村は慌てたように謝罪する。そう、その反応が見たかったのだ。
 野々村に別に怒っていないことを告げると、あからさまにホッとした顔をする。今まで散々不倫しているので、女性に怒られるのは大層堪えるのだろう。

「犯行の動機は性犯罪者への復讐で合ってると思います。でもその先に何を求めるのか。それが意義です。今私は野々村係長に怒りを見せ、それに対して係長は謝罪しています」
「そりゃ、怒ってる相手には謝らないと…」
「恋愛経験豊富な係長ならこんなご経験もあるんじゃないですか?怒られて、謝って、“何に謝ってるの?”って言われたこと」

 野々村がハッとした表情に変わる。

「男ってとりあえず謝りますけど、女は何に対して申し訳なく思っているのか、ちゃんと反省してるのかを知りたいんですよ。その上で改善策を要求する」
「何だか耳が痛いな…」
「犯人は、罪を認めさせて反省させて、その先に繰り返さないことを求めてる。それが犯行の意義だとしたら、かなり女性的だなぁと。まあ、あくまで私の推理ですけどね」

 最後にそう締めくくり、肩をすくめる。あくまで主観と推察の話なので、犯人を女性と断定するには早計だ。しかし、被疑者を洗うにはあっても良い視点だと思う。
 ずっと黙っている当麻の様子を伺う。勝手にベラベラと語ってみたが、当麻の所感も聞きたいと思った。
 当麻は配属に伴う荷物を赤いキャリーバッグで持参しており、それを突然広げて何かを探して、物をポイポイと投げる。当麻の奇行に恵は唖然とするし、野々村も流石に庇えないようで取り急ぎどうしたの?と声をかけながら、目当てのものではなく投げられたものを拾っている。当麻はそれを気に留めず、目当ての物を探し当てたのか何かを持って、来客用に用意しているローテーブルに向かう。
 床に正座し、テーブルに広げられていくのは書道道具。何故に書道道具。


“レディ・ジャスティス”
“男性器の切断”
“テミス像”
“第一の被害者 壱原ハジメ”
“天罰”
“嘘をついてはいけない”
“反省”


 当麻は達筆だった。周囲の音も視線も感じない程、集中して書くそれは事件のキーワードだった。続くのは壱原ハジメの痴漢被害者の概要。
 筆を置いた当麻は、キーワードの書かれた半紙を眺めた後、一つにまとめてビリビリに破き出す。そして、振り上げ投げた紙片が宙を舞う。

「いただきました」

 もう意味がわからない。

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