晒された雨と傷

「当麻さん!当麻さん!!当麻さん!!!」

ニノマエ十一ジュウイチ

 未詳でマークしている重要参考人。そのSPECは、時を止める。
 その強力なSPECで様々な犯罪行為を行なっていると考えられており、実際先日対峙した際にはこちらを躊躇なく葬ろうとする明確な殺意が見てとれた。
 圧倒的なまでに強力なSPECを持つためか、彼のプロファイルは幼稚で無邪気さがある。知能犯ではあるが、犯行を遊戯感覚で行っている印象も受ける。厄介な男を敵に回した、と思うが、SPEC HOLDERたちは一癖も二癖もある者ばかりで、彼に限ったことではないか、と考え直す。


 先日、当麻とともにニノマエと対峙した。当麻の推理により、彼が時を止めるSPECであること。そしてその唯一と言える弱点をついた作戦を決行した。
 当麻が囮を買って出て、ニノマエと対峙する。当麻の左手に宿る“死んだSPEC HOLDERを呼び出すSPEC”で、その前の事件で殺害された当麻の親友である、“電気を操るSPEC”の持ち主であるナンシーを呼び出す。彼女をギリギリまで隠すのが恵の役割だった。不意打ちの相打ち覚悟の電撃と爆発がその場にいた全員に襲いかかった。

 爆発の衝撃で吹き飛ばされ、一瞬意識を失っていた恵が見たのは地獄だった。
 ニノマエは傷を受けたようだが、致命傷には至らなかったようだ。既にその場から姿を消していた。
 恵は折れた足を引き摺って、より爆発の近くにいたはずの当麻を探す。鎖骨も折れたようで動くたびに全身が痛んで、呼吸すら苦しい。

「当麻さん…手が……」

 サァァ、と全身から血の気が引くのが分かった。見つけた当麻は、恵と同じように全身砂に塗れて打撲や擦過傷塗れだ。でも決定的に違うのは、SPECが宿る左手が、手首から切断されていることだ。
 恵はSPECが本人の強い感情に伴う、願いの具現と考えている。当麻は両親を飛行機事故で失ったあと、SPECが目覚めたそうだ。きっと、死者に会いたい願いの具現が、左手のSPECだったのだと恵は考えている。

「救急車、救急車呼ばないと。まだ間に合うかもしれない」

 SPECの消失に、恵は身が引き裂かれるような思いだった。元々浅かった呼吸が、より浅くなって目の奥が熱くなる。SPECは体の一部だ。それを失った当麻の心情を思うと、普段幽霊のように虚ろな恵ですら、泣きそうになる。
 あまりの事態に呆然としていた恵だったが、平静を努めて後処理を開始する。救急車の手配を終えて、当麻の応急救護を行う。意識を失っている当麻だが、一度は意識を取り戻したのだろう。目線の先は、切断された左手を向いていた。
 左手の切り口はスッパリ綺麗で、縫合は綺麗にできるだろう。恵は夢中になって、ジャケットの袖を落として、当麻の前腕をキツく縛って、持ち上げる。支える恵の手は、すぐに鮮血に濡れた。


 搬送先の病院で、恵も検査や処置を受ける。全てが終わっても、当麻の手術はまだ終わっていないようだった。手術室前の待合室には、野々村が座っていた。

「野宮くん、無事で良かったよ。当麻くんも、命には別状ないようだよ」
「揃って、無事とは言い難い状況ですが」

 笑みを浮かべる野々村に、恵はいつものように皮肉で返す。その後しばらく沈黙が落ち、やがて、深く頭を下げた。

「野々村係長、申し訳ありません。違法捜査の挙げ句ニノマエを取り逃し、このザマです。申し訳ありませんでした」
「私は昼行灯と言われているただの嘱託しょくたく係長だけどね、部下の責任を取るためにある。違法捜査も犯人逮捕のために必要なら、私が責任を取るから許可を出す」
「………」
「勝てるかどうかは問題ではない。負けると分かっていても、心臓が息の根を止めるまで、真実に向かってひた走る。それが刑事だ」
「………」
「この街の灯り一つに一つの家族があり、一つの幸せがある。それを私たち刑事は命懸けで守っている。命をかける価値がある。だから足を止めることは許さない」
「………はい」

 「君はまだ刑事になったばかりで、これからだ。今回の失敗を忘れてはいけないよ」そう優しく付け加えた野々村に、恵は涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げて敬礼で応えた。それに野々村は満足そうに笑い、返礼する。
 それが、コナンに会う前のことで、あの大怪我の真相だ。



 当麻はリハビリのため、まだ入院中だ。骨こそ折れているが、ピンピンしている恵は早速後処理に追われ、それがひと段落してから江戸川コナンに会いに行っていた。
 野宮恵は指紋照合システムを用いて、江戸川コナンと一致するものがないか検索をかける。そして、マッチしたのだ。工藤新一と登録されている指紋と。自分の予感が確信となり、やはりと納得する。中身が高校生なら、小学生であの知能を持つのも頷ける。彼を守るためにも、工藤新一の指紋データを改竄しておく。
 早く保護しなければ。その一心だった。




 コナンが野宮恵と会い、一ヶ月ほどが経過した。その後特に音沙汰はない。
 その後、コナンは野宮恵について調べた。どうせ何も出ないだろう、と思っていたが五年前の連続婦女暴行事件の被害者としてヒットし、コナンはそこで調べる手を止めた。これ以上探るのは良くないと直感していた。
 そして、まさかの形で再会を果たすことになる。

 コナンは日課とも言える、新一の声で蘭に電話をしていた。蘭には少年探偵団と遊びに行くと告げて、毛利探偵事務所の近くの路地から電話をし、そろそろ切ろうとしていた時だった。両手にゴム手袋をして、マスクにゴーグル、まだ残暑の厳しい時期なのに長袖長ズボンと、とにかく露出を避けた男がぶつぶつと何かを言いながら血走った目で歩いている。周囲の通行人も、男のただならぬ様子にモーセのように道をあけて男を避けている。
 危うい雰囲気の男に事件の予感を感じ、コナンはそこで電話を切り上げて尾行を開始する。男はコナンの尾行には気づかず、雑居ビルに入って行った。雑居ビルにはテナントも入っていないようで、廃ビルのようだが、中に入るとやけに掃除が行き届いていて綺麗だ。男が出入りしている証拠だろう。男に勘付かれないよう少し間を開けて、非常階段を登っていく。男は三階の元々学習塾だったであろう場所に入って行った。

「(何…!?)」

 室内の黒板の下に、ぐったりとした女性が手足を結束バンドで固定されて、口にガムテープを貼られて転がされていた。拉致・監禁。その言葉がコナンの脳裏をよぎり、被害者の保護と犯人の確保に向けてプランが練られる。しかし、頭のイカれてそうな男に、小学生の非力な体で対抗できるか不安が残り、しばらく様子を伺う。

「汚い、汚い。汚された。汚れてる。綺麗にしなくちゃ…」

 男はぶつぶつと呟き所在なさげに動いていたが、ふと動きを止める。やべ、バレたか?とコナンは焦るが、そうではないようだ。

「綺麗かな?綺麗なら大丈夫だよね。確かめないと」

 そう今までとは違ってはっきり口にすると、ギョロっと女性の方を見る。今まで緩慢な動きだったのと打って変わり、早い動きだったので気味が悪い。男は女性の前にしゃがみ込むと、ちょいちょいと人差し指を何やら動かした。
 すると女性の体はシャボン玉のような泡に支えられて起こされ、膝の間にできた泡がぷくーっと膨らんで女性の股が男の眼前に晒される。やばい、と思うより前に、男の体がタイル張りの床を滑った。

「そこまでだ」
「(野宮刑事!?)」

 それまで室内には男と女性、ドア前にコナンの三人だけしか居なかった。しかし、野宮は部屋の中央付近で男の襟元を掴んで女性から引き離し、床に転がしている。
 シャボン玉や、突然現れた野宮に、コナンは目を白黒させた。

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