あの事件の翌日、フェリクスくんに助けてくれた御礼がしたくて、何か贈物を買おうと朝から市場に行った。週末ということもあり、市場は人混みになっていた。まずは武器屋で珍しそうな刀剣がないか探していると、とんとんと肩を叩かれた。
振り向くと、級長のクロードくんがいた。
「よっ。ナマエが朝からこんなところにいるなんて珍しいな」
「まあ、朝から来ないと良いものは売れ切れちゃうからね」
流石に好きな人への報恩で刀剣を買おとしていたなんて言えずに誤魔化した。
「クロードくんは何を買いにきたの?」
「俺は商人に珍品が入ってないか聞きに来ただけなんだが、ナマエの姿が見えたから武器屋に来たって訳さ」
「へぇ。珍品って?」
「今開発中の薬の材料になるものを探してるんだが、これがなかなか見つからなくてな」
「んー、そっかぁ……あっ」
「おっと、大丈夫か?」
人混みに押され、倒れかかったところをクロードくんに腰を抱かれて支えてもらった。
「ありがとう……あれ?」
視界の端に一瞬、フェリクスくんが映った気がした。
「どうした?」
「青獅子の学級の知り合いが見えた気がしたんだけど」
高鳴る胸を押さえながら、目を凝らして道具屋をよく見ると、人混みの中に確かにフェリクスくんがいた。何を買おうとしているのか気になって、人混みを縫うようにこっそり近づいていくと、フェリクスくんの隣に濃いアプリコット色の髪を2つに束ねた女の子がいることに気付いた。フェリクスくんが女の子と2人でいるのが悲しくて何も考えられなくなってその場に突っ立っていると、フェリクスくんがこちらを振り向いて目が合った。あっと声を掛けようと思ったけれど、フェリクスくんは気づかなかったように前を向いてしまった。
「おい、青獅子の学級ってあの2人か?」
クロードくんが人混みをかき分けて私の隣に来て、何かを言ったけれど、頭に全く入ってこなかった。フェリクスくんが女の子といる上に、目が合ったはずなのに逸らされたことが悲しくて仕方ない。
「ナマエ、大丈夫か?」
「私、戻るね」
「お、おい」
今しがた起こった事が到底受け入れられなくて、逃げ出すようにその場を離れた。少し泣きそうかも。
*
結局、その日は訓練場どころかお昼も部屋から一歩も出なかった。レオニーが訓練とお昼、夕飯と私を誘ってくれたけど、フェリクスくんに会うのが怖くて断った。次の日の休日は人気のない時間にこそこそと一人で食堂に行き、最低限のご飯を食べて栄養を摂った。レオニーにご飯食べたよと報告すれば、安心してくれた。
週末はなんとかそれで乗り越えられた。そして、問題の月曜が来た。
流石に講義を休む訳にもいかない。仕方なく、寮から金鹿の学級までフェリクスくんに出会わないようにするために、レオニーにお願いして青獅子の学級の教室を見てもらってきた。
「教室見てきたら、まだフェリクスはいなかったよ」
「じゃあ、始業ギリギリに行く」
「うーん。なんで、フェリクスにそんなに会いたくないんだ?何もされてないんだろ?」
「ちょっと気まずくなっただけなの」
「そんなの気にしてたら損だよ。あいつなんかの為に講義に遅刻したり、予定通りの行動ができないなんて嫌じゃないか?時間の無駄だと思うよ」
確かに私は過剰に気にしすぎているのかもしれない。フェリクスくんに無視されたからといって、また無視されるとは限らないし、そんなこと気にしてたら何も出来なくなってしまう。レオニーの言う通りかも。
「……わかったよ。行くよ」
覚悟を決めて、斜めがけ鞄の紐を体に通した。
「その意気だ。じゃあ、さっさと行こう」
レオニーと一緒に寮を出て、教室に向かった。教室のある建物の角を曲がると、金鹿の教室の前にフェリクスくんがいるのが見えた。その瞬間、市場での記憶が蘇り、動悸がしてきた。
「やっぱり無理ーっ!」
「あ、ナマエー!どこ行くんだよー!」
レオニーには悪いけど、回れ右をして寮への道を走った。
レオニーには諦めて欲しくて走って逃げたのだけれど、後ろから誰かが追いかけてくる足音がした。レオニーかと思って振り向くと、私を追って走ってるのはフェリクスくんで、片手に何か布袋を抱えている。怒った顔で追いかけてくるので、恐怖で心臓が縮まる。
「おい、ナマエ!」
目が合った上に名前を呼ばれたけど、知らない振りをして、寮への道を走り続けた。
「ナマエ!」
あっという間に追いつかれ、寮の向かいの食堂の建物の壁際で捕まってしまった。ちょうど、始業の鐘が鳴り響いたけれど、フェリクスくんは気にする素振りも見せない。
「何故逃げた?」
「逃げてないよ」
そろーっとまた逃げようと動くと、フェリクスくんはドンッと音を立てて片手を壁についた。フェリクスくんの手が私の頭の真横に来ている上に、距離を詰められ、逃げられない状況になった。顔を上げれば、フェリクスくんの顔が近くにあり、どくどくと心臓が脈打つ。魂が抜けてしまわないように、胸を押さえながら顔を背けた。
「明らかに俺を避けていたな」
「えー?そんなことないよ」
「それに週末は訓練に来なかったな」
「ちょっと、体調悪くて」
片手を口元に持って行ってコホコホ咳をする振りをすれば、舌打ちされた。
「嘘をつくな。お陰で魔道の練習がまともにできなかったぞ」
「フェリクスくんなら独学でも出来るでしょ?」
「独学よりも自分より上の者に教えを請う方が上手くいく。まあ良い。これをやる」
フェリクスくんは壁から手を離すと、片手に抱えていた布袋を私に押し付けてきた。
「これ、どうしたの?」
「開けてみろ」
言われるまま開けてみれば、中には珍しい装飾の本が入っていた。袋から取り出して表紙を見れば、魔道書であることがわかった。俄然興味が湧いて、ペラペラとページをめくった。
「新しい魔道書だ……初めて見る……というか、これ蔵書が帝都で有名な魔道の第一人者の!」
「やはり有名な物なのか」
「うん。物は私は知らなかったけど、書いた人が有名な人なの!ありがとう!とっても嬉しい!あ、でもこれ凄く高価なんじゃ……」
「大した値段ではない。それより、借りた本を粗末にして悪かったな。それと同じ物を探したんだが、見つからなくてそれにした」
この前、フェリクスくんが私を助ける為に武器に使った本のことだ。あれは私が長年使ったせいで元から傷んでいた。そんなことを気にして本を買ってくれたなんて、フェリクスくんは優しい。
ふと、さっきまでフェリクスくんに会うのが怖かったことを思い出した。今はこうして普通に話せて良かった。2つ結びの女の子と一緒にいたことは気になるけど、素敵な贈物を貰えたから気持ちが楽になった。
「あれは元から古かったから大丈夫だよ。じゃあ、私はこれで……」
「おい、まだ話は終わっていない」
今度は私の頭の両横目掛けて、フェリクスくんは両手を壁についた。体同士が触れてしまいそうな程近くて、私は本を両手に抱えて縮こまった。
「何故俺を避けた?」
こうも威圧的に聞かれると、本当のことを言わざるを得ない雰囲気になる。
「なんとなく、気まずくて……」
フェリクスくんと目を合わせないように、俯き加減に本当のことを話した。
「何故気まずいと思った?」
「だって……フェリクスくん、私と目が合ったのに気づかない振りしたから」
「市場での話か……」
「なんであの時、目逸らしたの?」
「……それは買っているところを見られたくなくてだな……」
「本当にそんなことで?」
ばっと顔を上げると、至近距離にフェリクスくんの顔があり、恥ずかしくなってまた俯いた。そんな私の反応に気づいてくれたのか、フェリクスくんは壁から手を離して腕を組んだ。圧迫感から解放され、呼吸が楽になっという感覚がして初めて自分が殆ど息をしていないことに気づいた。
「……俺にもよくわからんが、おまえが金鹿の級長といるのを見て気分を害していただけだ」
「クロードくんのこと?クロードくんが嫌いなの?」
「そういう訳ではない。おまえが他の男といるのは見ていて気分が悪い」
「そ、それって……」
嫉妬じゃないかなと思ってしまったのは私の自意識が過剰なのかもしれない。フェリクスくんは急に何を言ってるの。これは何かの間違いだ。私の頭が勝手に都合よく解釈して、勝手に胸がドキドキしている。勘違いしちゃダメだよ、私。
「あのままおまえに話しかけられても、まともに対応できないと思い無視をした。悪かったな……」
「あ、えっと……私もフェリクスくんが女の子といるのを見て嫌になっちゃったから気持ちはわかるというか……」
「アネットのことか。魔道に詳しい奴に本を選んでもらっただけだ」
「じゃあ、その子に教えてもらった方がいいんじゃないの?」
別に私じゃなくてもいいんじゃないのかと思って聞いてみた。これでフェリクスくんの気持ちを確かめたい。
「なんだと?」
フェリクスくんの眉間に皺が刻み込まれ、まずいことを聞いてしまったと後悔した。
「俺は他の奴から教わるつもりはない」
「なんで……?」
「俺は……いや、まずは順を追って説明する。最初は毎週末──雨季は来なかったが──訓練場に来る女の剣術が目も当てられない程ド下手クソ過ぎて、気になっていた。見たところ、真面目で向上心があるようだが、エピタフになりたいという途方も無い目標を言うものだから助けてやりたくなった。ついでに理学が得意というから、同じエピタフを目指す者として互いに教え合うことで互いの目標への道程が短くなると思った」
フェリクスくんは淡々と話し、一度言葉を切った。私の話だとすぐにわかった。初めて喋った時、剣術が下手くそと言われたことを思い出した。
「そいつに剣術を教え始めた時、俺の厳しい教えにもそいつは全くめげなかった。常に真摯な態度で取り組む姿勢や褒めれば素直に喜ぶ様子に俺の知りうる技術を全て教えてやりたいと思ったし、俺の剣術を見て瞳を輝かせるおまえを見て、俺自身今まで以上にもっと強くなりたいと思えた」
フェリクスくんの思考開示に戸惑いと気恥ずかしさを覚える。そんな事を思ってたなんて、聞けて嬉しいような聞きたくなかったような。
「そいつに魔道を教わる時、剣術の訓練とは全く違い、教師のように自信を持ち、淀みのない言葉で説明する様子に感心した。苦手を教わる時と得意を教える時でこうも違うのかと、そいつの違う一面をもっと見たくなった。だから……そいつと一緒にいたいと思うようになった」
フェリクスくんの声には熱がこもっていて、私を真っ直ぐみて真剣に話す様子に恥ずかしくなった。自分でも今顔が真っ赤なんだろうとわかる程顔が熱い。
まるで告白の台詞のように聞こえたけど、好きとは言われてないから恋愛感情は無いように思えた。木石で出来ていると言ってもいいくらい無骨なフェリクスくんが人を好きというのは想像できないから当然なのかもしれない。
「フェリクスくんの言ってること、わかったよ。じゃあ、週末にまた……講義始まってるから行くね」
これ以上何か言われると羞恥心だけで魂が抜けてしまいそうになるので、フェリクスくんに手を振って教室に行こうと歩き出せば、待てと腕を掴まれた。
「まだ何か……?」
「俺の言っていること、わかってないだろう。こうやって何度も逃げるな」
「ご、ごめんなさい」
「今日から金鹿の学級に移る。担任のベレト先生は剣が得意だからちょうど良い。放課後先生やおまえを捕まえやすくなるしな」
「え、えええ?」
「先生にはもう話をつけてある」
「ほ、本当?フェリクスくんが金鹿の学級に……」
フェリクスくんがうちの学級に馴染めるか心配になった。ヒルダちゃんはフェリクスくん相手にも無茶なお願いしちゃうかもだし、ローレンツくんは「フラルダリウスがー」とフェリクスくんが嫌いそうなことを言い出しそうだ。まあでも一匹狼なフェリクスくんなら大丈夫かもしれない。むしろフェリクスくんは大丈夫だとしても、私が大丈夫じゃないかも。割と皆に弄られるし、ヒルダちゃんからは私が誰を好きなのか気になるみたいで、当てずっぽうに黒鷲と青獅子の生徒の名前を言ってくるし。実際一番最初にフェリクスくんの名前出されて当てられてしまい知らない振りをした。フェリクスくんを連れて教室に入ったら、きっとヒルダちゃんが弄ってくる気がする。
そんな金鹿の学級にいる時の私を見て、フェリクスくんに嫌われないか不安になる。
「なんだ、不満なのか?」
「不満はないよ。ちょっと心配なだけで……とりあえず、早く教室行こう」
「ああ」
2人で教室に向かって歩き出した。隣を歩くフェリクスくんをちらりと見れば、平時の時もかっこよく見えてため息が出てしまう。ああ。これから毎日こんなにかっこいいフェリクスくんと顔を合わせることになるなんて、私の魂はすり減ってしまう。
行き場のないもどかしさを感じて、フェリクスくんに貰った本を抱える両手にギュッと力を込めた。