it returns to sky

 

「ナマエ、ここの記述はどういう意味だ?」

「えっとね、それは……」

放課後、大広間の一角でフェリクスくんに理学を教えていた。
あれから私とフェリクスくんの距離は前より縮まった気がする。私はフェリクスくんを呼び止める時はいつも服の裾を掴んでいたけど、今は肩をトントンできるし、フェリクスくんの方は普通に私に触ってくれる。言い方が変かもだけど、フェリクスくんは私の肩や手に触れたりは自然にしてくれるし、この前は課題活動で怪我をしたらお姫様抱っこしてくれた。その時から約3日程学級の皆にいじられて恥ずかしかったけど、その時の私は夢見心地な気分で今でもそれを思い出しては幸せになれる。
そんなフェリクスくんが金鹿の学級に来て、暫く経った。フェリクスくんは元々誰とでも臆せず話せるから、大きな問題はなくコミュニケーションが取れている。たまにローレンツくんと言い合いしたり、私がクロードくんと話しているとぬっと現れては話を遮るのはちょっと困るけど、案外金鹿に溶け込んでいるので安心だ。この前はシルヴァンくんやディミトリくんがフェリクスくんはちゃんと上手くやっていけてるか心配して私に聞きに来た。人望があるところを見ると本当にフェリクスくんって素敵だと思う。

「ナマエ」

「あれ?ツィリルくん?」

ツィリルくんが私の横に来て、手紙を差し出してきた。

「これ、手紙。ちゃんと渡したからね」

「うん。どうもありがとう」

受け取った手紙の封にはミョウジ家の家紋の刻印がされていた。親からの手紙なんて、ここに来てから2回目だ。1回だけ、ガルグ=マクに来る商人についての情報を求められて手紙を寄越したことがあってそれきりだった。
気配を感じて顔を上げると、ツィリルくんはこちらをじっと見つめていて動かない。

「ツィリルくん、もう行っていいよ。お手紙届けてくれてありがとね」

「ナマエの言ってた想い人ってフェリクスのこと?」

「……え?」

ツィリルくんの言葉を理解するまで暫く時間がかかった。それから本人の目の前で好きな人を暴露されたことに気づいた途端に顔に熱が上った。

「ち、違うから!絶対違うから!何で言っちゃうの!もう信じらんない!」

勢いよく机を叩いて立ち上がり、ツィリルくんに抗議した。

「何でナマエは怒ってるの?ボク、変なこと言った?」

「言ったよ!そういうのは言っちゃ駄目なんだよ!もう!もう!やだもーっ!」

「そんなに怒ることないじゃんか。もうナマエなんか知らない。ナマエのバーカ」

ツィリルくんはくるりと回って、走り去って行った。ツィリルくんの悲しそうな表情を見て、はっとした。私、怒り過ぎちゃった。でも、好きな人の目の前であんなこと言うなんて恥ずかしくて堪らない。

「はぁ……もう駄目……」

へなへなと椅子にへたり込み、両手で顔を覆った。フェリクスくんに今の一部始終を見られてしまった。どう思われたか考えるだけでもどかしい。

「おまえの想い人とは誰のことだ?」

「今の一部始終はなかったことにして」

両手で顔を隠したまま、フェリクスくんに答えた。

「……そうしてやる。手紙は誰からなんだ?」

「お父さんからだよ。ちょっと、読んでみる」

封を切って、手紙を開いた。時は金なり精神のお父さんはいつも端的なことしか書かない人で、今回も相変わらず短い文章だ。



縁談の話だ。珍しく手紙を寄越したと思えば、お父さんったら。怒りと不安でイライラして、手紙をくしゃりと握った。

「どうした?何が書いてあった?」

「大した内容じゃないよ。ただ、至急帰ってくるように言われて」

「実家に帰るのか……ついて行ってもいいか?」

「ええっ?」

「ナマエの父上の刀剣コレクションが見たい」

フェリクスくんはいつもより顔を輝かせて言う。フェリクスくんが市場で偶々売っていたゾルタンの剣を購入して、私にその良さを語っていた時以来の顔の輝きようだ。
私もフェリクスくんに珍しい刀剣を見せて喜ばせたい気持ちがあるけど、縁談の話を知られたくはない。

「駄目!絶対駄目!」

「何故そんなに嫌がる?手紙を見せろ」

フェリクスくんに握り潰した手紙を一瞬にして奪われてしまい、広げられて全て読まれてしまった。

「縁談の話か……よりによってファーガスの貴族とは……取引相手ならどんな奴かわかるか?」

手紙には名前は書いていなかったけれど、私には相手が誰か簡単にわかっていた。10年以上前に会った子のことだった。お父さんがあの子のことについて話すことを避けてくれていたけれど、雨が降ればベソをかいていたあの子のことが頭に過ることがあった。

「小さい頃、私の家に来たことあるよ。確か、その時は5日程は滞在したのかな。毎日一緒に遊んだの。父親は銀色の綺麗な髪に青い目の美男なんだけど、その子は親と同じ特徴を持ちながら私より年上なのに背が低くて太ってて、我儘で泣き虫で……て、これ悪口だね」

その子は別に悪い子じゃなかったけど、特徴を述べただけで悪口を言っている気分になってしまった。

「銀髪に青い目で商人からの成り上がり……何家だ?」

「確か、デールベルクだかバールベルクみたいな名前」

「ダールベルク家じゃないか?」

「あ、それかも。知ってるの?」

「ああ。何度か武具をダールベルク家から買っていた。特にあそこは良い剣を売ってくれていたからよく記憶している。その息子も数年前に一度だけ家に来たことがある」

「あ、そうなんだ。凄い偶然だね。名前忘れちゃったけど、やっぱり我儘で泣き虫だった?」

「見た目は親子そっくりだ。性格は知らん。いや……無礼なところがあるな」

「えーと、お父さんの背が縮んで太っちゃったのかな?」

「その逆だ」

ということはお父さんに似たんだ。あのちんちくりんな子がお父さんのような美男に成長したなんて想像できない。

「そっか。あの子かっこよくなったんだ……」

「容姿につられて縁談など受けるな。ダールベルク家はいい噂を聞かん。それにあの温厚な親父殿を怒らせたからな。俺の家も取引をやめている。レスターでの扱いは知らんが、ファーガスでは領地を持たないただの商家の扱いだ」

「でもこの手紙には商人から成り上がったって」

「成り上がったとしたら、ここ最近だな。商いで荒稼ぎした金を使って領地を無理やり買ったのかもしれん。王国は論功行賞無しにそんなことをするのは認めていないからな。ナマエの実家が豪商ならその手の筋から悪評を聞いていても不思議でないが……いずれにせよ、ダールベルク家はやめておけ」

「うん……私、まだ結婚なんてしたくないし……でも、迎えが来るから一応実家には帰るよ」

久し振りに親や屋敷の皆に顔を見せるのも悪くないし、フェリクスくんにあげれる剣がないか、親のコレクションから探そうと思う。

「ならば、俺もついていく。近いのか?」

フェリクスくんは余程お父さんの刀剣コレクションが気になっているように見える。私としては実家に男の子を呼ぶなんて勇気がいるけど、フェリクスくんと一緒に実家で過ごせるのはとても素敵なことに思える。刀剣コレクションを見せてあげたいし、美味しい紅茶をご馳走したい。俄然楽しみになって来た。

「日の出頃に旅立てれば、お昼前には着くよ。お父さん、交易しやすい所に土地構えてるからガルグ=マクに近いの」

「となると、取引先は王国に帝国、それにガルグ=マクが含まれるのか」

「うん。それどころかパルミラやスレンの先の国にまで手を伸ばそうとしてるよ。その所為で同盟領から警告受けてるしフォドラの外は脅威だけど、お父さんお金が第一だから……あ、もしかしたら週明けの講義に間に合わない可能性もあるかもしれないの。大丈夫かな?」

「問題ない。縁談を断る手紙を書くついでに、学友を連れて帰ると手紙に書いておけ」

「うん」

鞄から新しい羊皮紙を取り出して、インクを染み込ませた羽ペンを手に取った。手紙には、ダールベルク家はファーガスで悪評があることを理由に縁談を断って欲しいことと、友達を連れて帰ることを書き込んだ。
それからフェリクスくんと別れて、謝罪ついでにツィリルくんに早馬を頼むようにお願いしたら、快く引き受けてくれて、僕もバカって言ってごめんねと謝ってくれた。ツィリルくんってやっぱり可愛い。



*



週末の朝、日の出前にフェリクスくんと一緒にガルグ=マクの門前で待っていると、予想よりも大きな実家の馬車が3つも来た。馬車3つに交易の品がぎゅうぎゅうに詰め込まれていて、その内お屋敷まで帰ってくれる馬車からうちの組合の商人達が商品を退けるまで時間がかかってしまった。

「流石は豪商。無駄がないな」

なんて、フェリクスくんが感心していたけれど、私を迎えに来る時にも親が商売のことばかり考えてるのが透けて見えてとても恥ずかしい思いをした。
それから、フェリクスくんと馬車に乗って実家まで帰った。実家は丘の上にあり、それなりの大きさのお屋敷を構えている。ガルグ=マクに近いこの場所が仕事をするのに最適で、私が生まれる前にどこかの領地運営に失敗した没落貴族から買ったものらしい。今は領主様に税を納めながらここの屋敷を拠点に商売をしている。
出迎えてくれたお父さんや使用人、小部隊の騎士達は私が男の子を連れてきたことに驚いていたけれど、快く迎えてくれた。一方、使用人だけでなくお抱えの騎士までいることに、まるで貴族の暮らしだなとフェリクスくんは驚いていた。
使用人がフェリクスくん用の客室を案内してくれている間、私は居間のソファでお父さんにダールベルク家のことを話すことにした。

「手紙でも言ったけど、ダールベルク家はよくない噂があるみたいなの。最近まで爵位も土地もなかったみたいだし……だから縁談はなかったことにできない?」

「それは無理だ。確かに私が雇った情報屋によると、土地は金で買っているし、爵位は勝手に名乗っている。その上どこかの家の系図も買って、ダールベルク家をその分家として声高に主張しているみたいだ」

「それなら、なんでそんな家の人と結婚しなくちゃいけないの?」

「話を聞いていたのか?それ程資産があるということだ。だから……」

「お金の為に結婚しろっていうの!」

「それだけじゃない。御子息のヴィム君がおまえと結婚したいと言ってくれているんだ」

「ヴィム……ああ……」

あの鈍臭い男の子がヴィムという名前であることを思い出した。

「私、ヴィムの名前すら忘れてたのになんで……?」

「幼き頃の初恋だと言っていた。素敵なことじゃないか。結婚しておやり。互いに利益しかないぞ」

「結婚は損得でしないの!お父さんが私の意思を尊重してくれないなら、この家出て行く!」

お父さんが一人娘である私に甘いことを利用して、最終手段である家出をするという脅しを使った。

「わ、わかった!ダールベルク家は御贔屓であるから、私から断ることはできないが、どうか会うだけ会ってくれ。明日の昼に約束を取り付けてある。それで直接ヴィム君を説得すればいい」

「会うだけでいいなら、会うよ。ヴィムには縁談断るけど。会う代わりにお願い1つ聞いてくれる?」

「お願い1つと言っても、私は2つも譲歩しないといけないんだぞ……まあいい。言いなさい」

「フェリクスくんも私と同じエピタフを目指してるの。刀剣のコレクション何かあげられない?」

「おまえはいつも男に剣をあげたがるな」

「いつも?私はただ、フェリクスくんが刀剣好きだからあげたいだけ。あのね、彼が今使ってるのはゾルタンの名刀なの」

「ゾルタンの?まさか。本物か?既に一振り持っているが、もう一つ欲しいな。金を出せば売ってくれる子か?」

「お父さん!フェリクスくんはそういう人じゃないから。冗談でも、フェリクスくんにはそういうこと言わないでね」

「なんだ。あの子が好きなのか?」

お父さんは眉根を寄せ、身を乗り出した。確かにフェリクスくんのことが好きだけど、縁談を断る理由をフェリクスくんに繋げられるのは都合が悪いし、フェリクスくんとの婚姻が望み薄なので首を横に振るしかなかった。

「大事な同級生で親友なの。丁重にもてなして」

「おまえの親友というのなら、大切に扱おう。だが、明日の縁談までには帰ってもらう」

「駄目駄目駄目!絶対駄目!私が帰るまでフェリクスくんは帰らせないから!」

「それは困ったな……彼をどう縁談相手に紹介するか……何か手を考えておく。さて、そろそろ昼食にするか。朝から何も食べてないのだろ?」

そういえば、お腹が空いていた。実家でご飯なんて久し振りでウキウキして来た。
一度部屋に戻って、軽く湯浴みをしてからお昼用の服に着替えた。侍女のエルに選んでもらったクリーム色のドレスには袖にフリルがついていて、とっても可愛い。髪も綺麗に梳いてもらってマリアンヌちゃんみたいな可愛い編み込みをして貰った。
部屋を出て食堂に行くと、お父さんがフェリクスくんと話しながら陽気に笑っていて安心した。

「遅くなりました」

「待ちくたびれて前菜を食べ終えてしまったぞ」

「ごめんなさい」

フェリクスくんの席の前に着いた。お父さんはずっと使っていない暖炉を背にした北側に座っている。
ドキドキしながらフェリクスくんを見ると、フェリクスくんもしげしげと私を見てきて恥ずかしくなった。いつもと違う格好とお化粧で珍しく見えるのかも知れない。
ふと、フェリクスくんのお皿を見ると、お皿からは前菜がすっかり無くなっていた。無理して食べてくれたのかな。

「フェリクスくん、同盟領の食事が口に合うといいんだけど」

「国の傾向からいって、同盟領の食事が一番美味いと思う。食に拘る人間が多いのだろう」

フェリクスくんの指摘通り、同盟領の食に対する執着はフォドラ随一だと思う。うちの家なんかお父さんが大金を叩いて今の料理長を雇ったのだから。

「おや、出身は同盟領ではなかったのか。どこなんだ?」

「ファーガス神聖王国です」

「ファーガス?なるほど。そういうことか」

お父さんが私を見て、頷いた。恐らくだけど、ダールベルク家の悪い噂の出所をフェリクスくんだと推測してるのだと思う。

「でも、今は金鹿の学級にいるんだよね」

「ほう。それは先程話していたあれか?ナマエから魔道を学び、エピタフの資格を取るためという」

お父さんは疑うような目でフェリクスくんを見て言う。私のいない間にそんな話をしていたんだ。
フェリクスくんに壁際に追い詰められて、私と一緒にいたいと言われたことを思い出して恥ずかしくなった。

「はい。それと金鹿の学級には英雄の遺産を使いこなす先生がいて、その人から剣術を学ぶ為です」

ベレト先生のことだ。フェリクスくんが放課後にベレト先生を捕まえて、訓練場に引っ張っていくのを何度か見ている。

「ああ。噂はこっちまで届いているよ。傭兵上がりの教師らしいな。それにしても、学校の生徒から娘の近況を聞けることがこんなに喜ばしいこととは思わなかった。互いに剣術と魔道を学んで頑張りなさい」

お父さんはにこにこと笑ってくれたものの、どこかフェリクスくんのことを疑っているように見えた。フェリクスくんがあのフラルダリウス家であることを伝えていないから、お父さんがフェリクスくんに失礼をしないか心配になった。



*



昼食を終えると、お父さんと一緒にフェリクスくんに刀剣のコレクション部屋を見せた。全ての剣は壁に掛けてあり、定期的に使用人に手入れをさせている。
フェリクスくんは珍しく口数が多くなっていて、いつもより表情が和らいで新鮮に感じる。

「これは王国の職人が帝国へ引き抜かれる前に作った最期の刀剣だ」

お父さんがファーガス出身の名職人が作った短剣をフェリクスくんに手渡した。

「ほう……刀身が短いな。最期に作った物が短剣だったのか……同じ職人が作った物とは思えん」

「これ鞘のデザインが可愛いの」

フェリクスくんの持つ、短剣の鞘に嵌められている宝石を指差した。青い宝石はきらきらと光を発しているかのように輝いていて、とても綺麗。私はこれが昔から一番好きな剣だった。

「最後に作った作品の一つが女性用だったのは恐らく妻への贈り物なのだろう」

お父さんがいつもの芝居じみた説明を始めた。

「王国から帝国へ向かう途中で一家全員が賊に襲われ、亡くなるとはな……良い職人だったのに惜しかった。曰く付きだが、職人の最期の一振りでおまけにそっちには高価な宝石が付いているからかなり高かった」

「お父さんったらね、私がこれを学校に持っていきたいって言っても駄目の一点張りだったの」

「それはそうだろう。家宝なのだからな。しかも、既におまえは対の短剣をどこかの騎士に勝手に渡してしまっただろう」

お父さんの言う通り、私は10年以上前に、助けてくれた騎士様に渡してしまった。その時の私はその短剣の使い方がわからなくて、自分には役に立たない物だと思っていたし、お父さんが大事にしていたものだから値打ち物だと思い、助けてくれた騎士様に御礼がしたくて渡したのだ。

「対?これが最後の一振りではないのですか?」

流石のフェリクスくんもお父さんの説明の矛盾を指摘した。

「実はこの子が名も知らぬ騎士に渡した短剣があり、それがその短剣と対になるものだ。どこに行ったかわからない今、ここにあるものが実質最後の一振りだろう。こういうのは言ったもの勝ちだ。しかし、せっかく一揃いで買ったのになぁ……はあ。まあ、この子を守ってくれた対価だと思えば安いものだろう」

「……そうか」

フェリクスくんは壊れ物でも扱うように優しく短剣の剣身を撫でた。

「今度は誰にもあげずに大事に使うって言ってるのに、信じてくれないんだよね」

「失くされたり、壊されたりしたらかなわんからな。それに未だにちゃんと剣を扱えないのだろう。おまえの剣術は昔から酷いもんだ」

「そんなことないもん」

「いや、確かに以前は酷かったな」

フェリクスくんがフッと笑った。以前、私のことをど下手くそと言ってきたのを思い出した。

「でも今はフェリクスくんが教えてくれたお陰で上手になったよ。そうだ。お父さん、ここにある剣でフェリクスくんに稽古つけてもらってもいい?」

「稽古にここの剣を使うなんて末代まで許さんぞ。倉庫にある剣で十分だろう」

「じゃあ、倉庫行ってそのまま稽古つけてもらうよ。フェリクスくん、行こう」

短剣を元の壁に戻すと、フェリクスくんを連れて部屋を出た。やっと2人きりになれると思って気分よく倉庫まで行こうとすると、使用人が付いてきて残念な気持ちになった。倉庫で適当な剣を選ぶと、フェリクスくんに中庭で剣の稽古をつけてもらった。




*



稽古の後は湯浴みをして、少しお昼寝した。夕方頃には父方のお祖母様とお祖父様が明日の縁談の為にいらっしゃった。それから夕食用のドレスに着替えて食堂にいくと、フェリクスくんはお父さんが急遽町に使用人に買って来させたディナー服を着せられ、さらにいつも無造作な前髪は、謎の分け目により横流しの前髪に整えられて、後ろ髪は下の方で結ばれている。フェリクスくんは商家らしかぬ貴族のような私の家の作法に戸惑っている様子で、いつもこんなにちゃんとしてるのかと言う。使用人に無理やりやられたんだろうけど、とってもかっこよくて私は好きだ。
晩餐が始まり、お昼よりも気合の入った料理が運ばれた。ここに着いてからフェリクスくんがお肉好きなことを伝えたお陰か、前菜のサラダの中に薫製肉が入っていたし、スープには野菜よりもお肉が沢山入っていた。フェリクスくんの顔を見ると心なしか嬉しそうで、私まで嬉しくなった。
晩餐の後は、居間で皆で紅茶を飲んだ。お祖母様とお祖父様は2人掛けのソファに座り、私はその横のソファで2人と近況について話した。
お父さんはフェリクスくんを気に入ってくれたのか、刀剣について一生懸命語り尽くしていた。私はたまに2人が会話をしている様子をちらりと見ては、フェリクスくんが私の夫になったような気分になっていた。フェリクスくんが私と婚姻してくれたら、お父さんも刀剣の話ができて楽しいと思う。

「おっと、明日はナマエの縁談相手が来るから早く寝ないとな」

お父さんの言葉にフェリクスくんはばっと顔をあげて私を見た。そういえば、フェリクスくんにはその話をしていなかったのを思い出した。

「男の同級生がいるのは失礼だろうが、軟禁しとくわけにもいくまい。大変申し訳ないが、ナマエの従兄妹の振りでもしといてくれるか?」

「……構いません」

「おお。良かった。あちらも仕事が立て込んでいるようだから、夕方頃には帰るだろう。少しの辛抱だ」

たった半日我慢すればいいのだから、大丈夫かな。フェリクスくんの気を悪くさせたく無いけど、体裁もあるから仕方ない。
フェリクスくんと一緒に部屋に戻る道すがら、フェリクスくんになんて説明しようかグルグル考えた。

「従兄妹の振りなんかお願いしちゃってごめんね」

「ダールベルクに会うのか?」

「うん。お父さん、本人には断ってもいいから会うだけ会って欲しいんだって」

「ナマエの父上は会えば気にいると思っているんだろう」

「そう、なのかな。でも、私は絶対絶対、ぜーったい!断るよ。だって……」

フェリクスくんに他の男に興味が無いアピールをする為に強く否定した。

「なんだ?」

「す……やっぱり、なんでもない」

好きな人がいるから、なんて言う勇気もなくて言うのをやめた。

「何を言いかけたんだ?」

「ううん。あのね……」

後ろに付いてくる女中を気にして、フェリクスくんの方に体を寄せて、声を潜めた。

「後でこっそり部屋に行っていい?」

せっかくフェリクスくんが来てくれたから寝る前まで話したい気持ちになった。士官学校だと夜にフェリクスくんの部屋に行くなんて、絶対出来ないことだから。

「見つかっても俺は知らんぞ」

「見つからないように行くから大丈夫!じゃあ、また後でね」

自分の家にいるせいか気が大きくなってるのかもしれない。家に帰ってから普段なら絶対出来ないような行動が積極的にできるようになっていた。
自室に戻り、化粧を落としてネグリジェに着替えた。ヒルダちゃんに貰ったお花の精油を軽く手首と首元に付けて、後は使用人にバレずにフェリクスくんの部屋に行くだけだった。フェリクスくんの部屋は、ここから少し離れている。本当は近くの部屋の予定だったのを、男友達が来たものだからお父さんが急遽遠くの客室に変えたのだ。
こっそり部屋の外を覗き見ると、使用人達が寝る前の片付けでパタパタと廊下を早歩きで移動する様子が見えた。誰もいなくなったタイミングで廊下を走り抜けて、右手に曲がった一つ目の部屋に飛び込んで、部屋の扉を閉めた。

「はぁ……はぁ……」

全力で走ったので息が乱れて、部屋の扉に向かって暫く寄りかかった。

「おい、急に入ってくるな」

「え?」

振り向くと、フェリクスくんはいつも結っていた青灰色の髪を解いて垂らし、寝間着のボトムは履いているものの、半裸の状態だった。

「ご、ごめんなさい!」

扉の方に向いたまま、床にしゃがみ込んで顔を隠した。走ってきた以上に心臓が飛び出さんばかりにドクドク鳴る。多分今の私は耳まで顔が真っ赤だと思う。だって、あの時みたいに半裸に長い髪を肩に垂らして妙に色っぽいから。

「別に見ても構わんが」

「私が構うから!もう大丈夫?」

「ああ」

恐る恐る立ち上がってゆっくり振り返ると、ちゃんと寝間着のシャツを上に着込んでいて安心した。

「本当に来ても良かったのか?おまえの父上が知ったら卒倒するぞ」

確かにフェリクスの言うことは最もで、夜に未婚の男女が同じ部屋にいただけで、例え何もしなくても、そういう扱いになってしまう。でも、フェリクスくんはそういう人じゃないし、私は夜も一緒にいたいから我慢なんてしたくない。

「だって、士官学校ならこういうことできないでしょ?せっかくだからお話ししたくて……そうだ。バルコニーから見る景色が素敵なの。来て」

フェリクスくんを手招いて、バルコニーに誘った。外は真っ暗だけれど、空にはまるで宝石のようにキラキラ光る星が数多広がっている。風が吹けば、遠くの森からはその節の季節の匂いが香る。今節は金木犀の甘い匂いがする。

「綺麗だし、気持ちいいし、やっぱりここが一番落ち着くなぁ」

「花の匂い……」

フェリクスくんが鼻元に手を持っていく。フェリクスくんと同じ匂いが共有出来て嬉しい。ここでフェリクスくんと四季を楽しみたい。

「風が森から抜けてきて、いい匂いがするの。とっても良い所なんだ。ガルグ=マクも神秘的だし、夕陽とか景色は綺麗なんだけど、私はこっちの方が好きなの。丘を下れば町があって、活気に溢れてるの。フェリクスくんと今度行ってみたいな」

「ああ。いつか行こう」

いつかなんて曖昧な返事だけど、それでもフェリクスくんが行こうって言ってくれるのはとても嬉しい。
微笑みながら、手摺に手を付きまた夜空を見上げた。こんな風にフェリクスくんと同盟領の景色を見られて幸せ。

「ナマエ」

「なぁに?」

フェリクスくんに呼ばれ、風で乱れる髪を押さえながら横を振り向いた。暗がりでも目を合わせるのが恥ずかしくてフェリクスくんの唇あたりを見つめた。

「……10年以上前に名も知らぬ騎士に助けられたのか?」

「うん」

「どんな騎士だった?」

「うーんと、凄く素敵な人で……真っ黒で肩くらいまで伸びた髪だったよ」

「真っ黒?それは本当か?」

「うん。10年以上前のことだけど、黒髪なのは間違いないよ」

「そうか……なら、違うか……」

フェリクスくんは顎に手を当て、視線を下に向けた。まるで10年以上前のことについて何か知っているように見える。

「騎士様に心当たりがあるの?」

「いや、俺の勘違いだ……あれは8年前のことだしな。気にするな」

「そう」

8年も前のことを8年前として覚えているのは凄いなぁと思いつつバルコニーを出て窓を閉めると、フェリクスくんに部屋に戻れと言われた。

「嫌。フェリクスくんは私と話したくないの?」

「そんなことはない。おまえとこうして一緒にいるのもいいが、早く寝たほうがいいだろう。縁談相手との昼食会は疲れるだろうしな」

「いいの。むしろ、夜更かしして最低なコンディションで縁談したらさ、相手に嫌ってもらえるかもしれないよ」

「どうだか」

「ヴィムがね……あ、縁談相手の人の名前なんだけど、私が初恋の相手なんだって。でも10年以上会ってないから、私に会ったら幻滅するかもね」

「初恋?まさか今回の縁談はそれが理由か?」

「初恋は建前で、私の家のお金と事業目当てだと思う。あの家お金大好きそうだし、うちは取引相手が多くて事業も広いの。だから、両家が繋がってあっちが倒れても、両家が身をもち崩す心配がないんだ。たとえ飢饉になっても、交易に重税が課せられたとしても、他の事業で食糧やお金は賄えるから将来安泰って訳」

「……ならば、あちらかしたら何が何でも縁談を成功させたいのではないか?」

「そうかもしれないけど、私はヴィムなんかと結婚したくないから絶対に断るよ。ね、こんな話より楽しい話しようよ」

「悪いが俺はもう寝る。ここの稽古用の剣はガルグ=マクよりもいいものを揃えている。せっかくなんだ。朝から訓練するぞ」

「うん……」

せっかくだからお話ししたかったのに、相変わらず訓練大好きなフェリクスくんには困った。でも、私はフェリクスくんのそういうところが好きだから、言う通りにしようと思う。

「なんだ。不満そうだな」

「不満じゃないよ。じゃあ、明日の朝にまたね」

「ああ」

もうちょっと話したかったのになぁとモヤモヤしながら自分の部屋に戻って1人になると、明日のことで凄く不安になった。銀髪の泣き虫ヴィム。彼と会うのはあの日以来だ。何か胸が騒めくような嫌な予感がする。何も起こらないといいのだけど。
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