アンとメーチェと大修道院を出て街に来た。最初に鞄屋さんに行って、鞄のかぶせを黄色に染色されたものを選ぶと、ふたりに
「別に間違われてもいいよ。だって、ヒルダちゃんとローレンツくんのいる
「
「確かに最近まで毎日
ふたり共柔らかく笑った。お友達の笑顔を見ていると、温かい気持ちになれたし、こっちもつられて笑顔になった。昨日は色々嫌なことばっかりだったから、今日は一日楽しいことがあるといいな。ただ、日の入り頃にお手紙で呼び出されていることが気がかりだけど。
鞄屋さんを出た後、お菓子屋さんに行こうという話になったけど、アンの提案で今日はいつものところではなくて、最近できたお菓子屋さんに行ってみることにした。
「うちの学級の子達がね、ここが美味しいって言ってて。中でお茶とお菓子を食べれるの」
アンはそう言いながら、煉瓦作りの可愛いらしいお店の木扉を開けた。お店はお菓子を売るだけの区画とその奥には丸い食卓と椅子が何組も置いてあり、そのうちの一つに見覚えのある人達がいて驚いた。
ひとりはうちの学級のロジーナさんで、もうひとりはなんとローレンツくんだった。ロジーナさんの向かいにローレンツくんが座っていて、ローレンツくんは後ろ姿しか見えないけど、リンドウ色の特徴的な髪型に白い頸から肩にかけてのほっそりとした線を見間違うはずがない。
ロジーナさんは一瞬だけこっちを見た気がしたけど、ローレンツくんをじっと見つめながら話していて、こちらに気づく素振りはない。
一応学友だし、ロジーナさんは私の町の領主様の御息女で、エフモントという姓から私は一方的に素性を知っていたけど、ロジーナさんは私のことを領民とは知らない。一方ローレンツくんとは仲の良いお友達で、いつもなら話しかけているところだけど、今回はそうもいかない。昨日から気まずいし、なんとなく今この状況でローレンツくんと話したくないと思ってしまった。
アンとメーチェに目配せすれば、察してくれたのか、私についてお店を出てくれた。
「あの子、うちの学級のロジーナだよね?なんでローレンツといたんだろ……」
アンがお店の方を見ながら、小さく言った。
「わたしが今ローレンツに聞いてこようかしら〜?」
「ええっ?駄目だよ。ローレンツくんが口説いて一緒にいるんじゃない?だとしたら、お邪魔になっちゃうよ……」
本当はメーチェに聞いてきて欲しい気持ちもあるけど、知りたくない気持ちもある。どうせローレンツくんがロジーナさんを口説いたと思うけど、答え合わせなんてしたくない。
ローレンツくんとロジーナさんは正直お似合いだ。ロジーナさんは王国の中でも譜代の貴族だし、何代も紋章の力が途絶えているらしいけど、身代に血統、品行、どれも申し分なく、彼女なら間違いなく、ローレンツくんの言う"グロスタールの益"になる。おまけに容姿も優れているし品がある。ローレンツくんにとって理想の女性だ。
そこまで考えると余計に胸の辺りが息苦しくなってきた。自分でもなんでか、ローレンツくんがロジーナさんに好意を寄せている事実を受け入れたくないと思ってしまった。
「ローレンツって最近そういうのしてなかったよね?」
アンが確認するように私に聞いてきたから、頷いて肯定した。確かにローレンツくんは最近女性を口説いている姿を見てないし、噂も聞かない。
士官学校に入学して一節程、ローレンツくんは将来の花嫁探しの為に色んな女性を口説いていた。その現場へ私が出会すと、途端にローレンツくんは相手の女性に「ただの挨拶だ」だとかなんとか言ってなかったことにして、私の顔色を窺ってきた。まるで私のことを口のうるさいお目付け役とでも思ってたのかのような反応に笑ってしまって、その時は「続けてどうぞ」なんて冗談を言っていたけど、たった今、ローレンツくんが女の子を口説いていたのかもしれない状況に出会って嫌な気分になってしまった。
おかしな話だ。前はそんなローレンツくんを笑って見ていたのに、今は嫌だなと思ってしまうなんて。
沈んだ気分のまま別のお菓子屋さんで自分の分と、予備の分と、荒らされた部屋を片付けてくれたツィリルくんにお礼用のお菓子を買って大修道院に戻った。
*
西の空に傾く赤い太陽が段々と大きくなってきた刻、ロドルフォくんの手紙に書いてあった食堂の階段の下、貯水池の向かい側辺りをウロウロしながら待っていた。不安になって腰帯の間に挟んだ短剣の柄に触れながら温室の方を見ると、扉の陰に隠れてアンとメーチェがこっちを見ている。私が見ているのに気づいた2人は手を振ってくれた。
それから暫く経ち、陽が西の空の陰に隠れた。日の入りといえど、流石にまだ空は明るくてなんの問題もなく目が利く。
そろそろかなと思って周りを見渡していると、食堂の前の階段からフェリクスくんがこっちに向かってきた。手を振れば目礼で返された。
「何故おまえがここにいる?」
「え?何故って、手紙貰って……」
「俺も手紙を貰った。陽が沈む刻と聞いて来たわけだが、妙だな……警戒しろ」
フェリクスくんが腰に提げている剣口を切り、瞳を鋭く光らせて言うものだから、私も短剣の柄を握って、周りをキョロキョロ見渡した。夕飯時とあって寮から出てくる生徒が多く、特に私とフェリクスくんを気にすることなく横の階段を上っていく。
「──」
どこからか、声が聞こえた気がした。途端に体が勝手に前に飛び出した。何も考える暇もなく、顔面からフェリクスくんの胸に突っ込んでしまった。
「った!」
鼻を思い切りぶつけて、鼻を押さえようにも手も体も全てフェリクスくんの方へと動いてしまい、どうにもならない。
一方、フェリクスくんは私の両肩を掴んで押して来た。
「おい!どういうつもりだ!」
「違うの!体が勝手に!フェリクスくん、痛い!」
フェリクスくんは昨日の稽古しかり、容赦なく肩を押してくるものだから凄く痛い。
「ナマエ!どうしたの!」
アンとメーチェが心配して走り寄ってきてくれた。
事情を説明すれば、アンとメーチェが呪いかも、と思いあたる解除魔法のようなものをいくつも試してくれた。試行錯誤を重ねて磁力を利用した魔法だとわかると、その解除魔法を施してくれて、フェリクスくんから離れることができた。
「ふたり共、ありがとう……」
アンとメーチェは凄く心配そうな顔をして周りを見渡す。私もつられて周りを見渡すと、食堂に行こうとしていた生徒達が足を止めてこちらを見ていた。それが結構な人数でちょっとした野次馬の集まりになっている。
明日にはまた、"あのフェリクスに抱きついた女"として噂されそうで怖くなってきた。
「……お前は魔女に恨みを買ったのか?」
フェリクスくんが乱れた制服をはたきながら私を睨みつけてくる。
「かもしれない……巻き込んでごめんなさい」
「誰もおまえを責めているわけではない。しかし、悪戯にしては趣味が悪いな。手紙は誰からのものだ?」
「
昨日のロドルフォくんは堂々と名前を名乗っていたし、やましい雰囲気は感じられなかった。
「それはロドルフォを絞め上げて確認する。俺の場合は
「うん。アンとメーチェは先に夕飯食べて来て」
「その……ナマエ、実はローレンツが食堂の方へ走っていくのが見えたの……」
アンが言いにくそうにおずおずと言う。
「えっと、いつ?」
「フェリクスとナマエがくっついてた時に、寮から出てきたローレンツが何故か食堂の方へ走って行って……それからはあたし達も知らないんだけど……」
「そっか……ローレンツくんに見られてたんだ……」
フェリクスくんとくっついてたのは誰かの悪戯魔法にかかった所為だけど、ローレンツくんはそれを知らない。傍から見ていたら私がフェリクスくんに抱きついたように見えるのかな。なんとかして、ローレンツくんに弁明したくなった。ローレンツくんは私の交友関係に興味はないかもしれないけど、何故かこれだけは勘違いされたくないと思ってしまった。
「私、誤解解いてくる!」
「おい、待て!」
慌てて走り出そうとしたら、フェリクスくんに腕を掴まれてしまった。
「ナマエは俺と犯人探しだろうが。しかし、どうにも臭いな。もしかしたら、一連の騒動はローレンツが原因ではないのか?」
フェリクスくんに言われてハッとした。
「そういえば、昨日ローレンツくんの前で風が吹いたの!」
「それがどうした?」
「私、その時ちょうどパンツ履いてなかったの!」
「は?」
フェリクスくんは私を掴んでいた手を離すと、いつもきつく結んだ唇を緩めて薄く唇を開く。珍しくフェリクスくんがぽかんと驚いている様子だ。
「ナマエ、それ、フェリクスの前で言っちゃ駄目だよ!」
アンに注意されたけど、ローレンツくん絡みの嫌がらせと感づいた今、気にしてられない。
「ローレンツはそれを見たのか?」
「うん……」
思い出すだけでも、恥ずかしくて両手で頬を覆った。既に頬が熱を持ってる。
「いつの話だ?」
「訓練後の湯浴みの後……」
「シルヴァン達と大広間にいた時の前か?」
「うん……でも、ローレンツくんに見られちゃったのは、浴室に置いてた下着と下穿きがなくて、そのまま寮に帰る途中のことだよ」
「おい、待て。それで何故そのまま寮に帰らずに大広間にいた?」
「だって、ローレンツくんに見られたんだよ?好きな人以外には見せちゃ駄目なところなんだよ?それはもう全力で走ってその場から逃げるよ!」
「色々言いたいことはあるがそれは控えておく……風が吹いた時、近くに誰かいたか?」
「アンとメーチェだけだよ。多分……」
確認するようにふたりを見れば、ふたりして頷いた。
「あたし達は走り去るナマエを探し回ってたけど、特に気になる人とかは見なかったよ?」
「ええ。特に怪しい人はいなかった記憶だわ〜」
「お前たちが気付かなくとも、いた可能性はある。風は突風か?」
「突風というよりはまとまった風がふわーって感じ」
「それだとわからんな。アネットから見て、それは魔法の類いに見えたか?」
「どうだろう……風魔法にも色々あって、自然なそよ風から突風まであたしでも吹かせられるから、見分けはつかないよ」
「益々わからなくなってきたな。とりあえずローレンツのことは……メルセデス、お前が誤解を解いて来い。俺はあのお貴族様に説教されるのは御免だからな。お前の説明なら奴は納得するだろう」
フェリクスくんはこれでもかというくらい、眉間にシワを刻んで渋面を作って言った。フェリクスくんは以前からローレンツくんとは距離を置きたがっている様子だった。ローレンツくんとフェリクスくんが仲良く話すところは想像できないけど、ふたりとも私のお友達だから仲良くして欲しいな。
メーチェが食堂の方へ向かい、残ったアンとフェリクスくんと私でまずはロドルフォくんとユルゲンくんを探すことになった。
最初にふたりの寮の部屋を探したけれど、在室していなかった。
次は大広間に入ってすぐの入口にクロードくんとヒルダちゃんがいたものだから、ロドルフォくんがどこにいるか聞いてみた。
「さあ。あたしは知らないわよー」
「俺もあいつの所在までは知らないが、昨日から様子がおかしかったのが引っかかってるな。何か知ってるのか?」
「ううん。昨日会ったけど、その時は普通だったよ?ねえ、具体的にどんな様子だったの?」
「青い顔して解毒薬があれば欲しいって頼み込んできたんだ。それで手持ちのやつから一番出来のいいやつを渡してやったんだが、『副作用に発熱、嘔吐、幻覚があるけどいいか?』つったら、『毒薬じゃないですか!』って、怒って返されたよ」
「その様子だと毒盛られたのかなあ?」
クロードくんの嘘か本当かわからない説明に苦笑しつつも、首を捻った。ロドルフォくんが名前を名乗って手紙を私に渡してきたことと、毒を摂取したことの繋がりがイマイチわからない。
「とりあえず、ロドルフォを見つけたら俺達のところへ連れて来られるか?それか誰か遣わしてくれ」
フェリクスくんがクロードくんに頼んでくれた。フェリクスくんは私と違って人に頼るということをしないし、側から見てもそんな人にも見えないからか、クロードくんも珍しいものを見るような目をして頷いた。
「ああ。構わないぜ」
「そういえば、ナマエちゃん、最近何かの事件に巻き込まれてない?」
ヒルダちゃんがさっきのアンみたいに少し言いにくそうにして聞いて来た。思い当たる節があり過ぎて、嫌な予感がする。
「昨日からナマエちゃんの噂をちらほら聞いたんだけど、もしかしたら、何か困った事件に巻き込まれたのかなーって」
私のことが
「それは根も葉もないただの噂だ。こいつに恨みを持った奴が流してるのだろう。まさか
フェリクスくんは何故か怒った様子で不躾に言うものだから、ヒルダちゃんも驚いたみたいで瞳を大きくさせたので、慌ててふたりの間に割って入った。
「フェリクスくん!ヒルダちゃんはむしろ、私に寄り添った言い方してくれたよ!」
「ならば、その噂は誰から聞いた?」
「誰からって言うより、
「ああ。俺らの学級ではむしろ
クロードくんが悪戯っぽく笑った。それから顔を引き締めると、「ロドルフォに恨みがあるなら、一番副作用の強い解毒薬を奴に渡すがどうする?」と真面目腐った低い声で聞いてきた。
「級長に頼む。手を出さずにそのままの状態で連れてきてくれ。それから噂は噂だが、ナマエが虐めを受けていることは事実だ。
「ああ。うちの生徒の為ならお安い御用だ」
クロードくんは茶目っ気たっぷりに片目を閉じて、私に目配せてきた。一体いつから
「さあ。でも、最近は
最近と言っても、つい一昨日からだけど。ローレンツくんからの一人立ちが出来る頃には、クロードくんも冗談を言わなくなるはず。
「あたしはナマエが
「アン……大丈夫だよ!私はずっとアンとフェリクスくんのいる
アンと手を握り合って友情を確かめ合えば、フェリクスくんは邪魔をするように私の腕を掴んで引っ張ってきた。
「
フェリクスくんの瞳の先には、糸のように真っ直ぐで綺麗な銀色の髪を腰の辺りまで伸ばした皇女様が人相の悪いいつもの従者と何かを話しているところだった。
皇女様とは一度も話したことのなく、さらに他国の皇族ということで緊張してしまう。
「フェリクスくん、私緊張して上手く話せないよ……代わりに話してくれる……?」
「
「だって、エーデルガルトさんは皇女様だよ!」
反論してもフェリクスくんは腕を離してくれなくて、このままエーデルガルトさんのところへ連れて行かれてしまう。皇女様の前では上手く話せる気がしない。
「クロードは次期レスターの盟主だが?」
「あの人は例外だよ!」
初めてクロードくんと話した時は緊張したけど、クロードくんは人懐っこい笑みを浮かべながらローレンツくんと私をからかってくるものだから簡単に打ち解けてしまった。
「あたしもそれは思う」
アンの援護にフェリクスくんは呆れ顔をすると、私の腕を離して、一人で先に皇女様に近づいた。私はアンと一緒にフェリクスくんに隠れるようについていった。
最初は背を向けていた皇女様もフェリクスくんの気配を感じたのか長い髪を揺らして振り向いた。
「何か用かしら?」
「
「ユルゲン?流石に今どこにいるかはわからないわ」
エーデルガルトさんは隣のヒューベルトくんに目配せした。
「私も存じ上げませんが」
「ならば、ユルゲンを見つけたら俺達のところに連れて来て欲しいが頼めるか?大体大広間か食堂辺りを彷徨く予定だ」
「ええ。こちらで見つけたらヒューベルトを遣わせるわ。それで、ユルゲンが何かしたのかしら?」
「それを聞きたくて頼んでいる」
「差し支えないのなら、うちの生徒にどんな嫌疑がかかっているか聞きたいのだけれど」
「……
「噂なら昨日からいくつか聞いたわ。確か女生徒が複数の男性と好ましくない交際をしているって話ね」
後ろでアンと身を寄せ合いながら会話を聞いて、
「ユルゲンがその噂の出所と関係している場合があるから探している。噂は根も葉もないものだから信じないように生徒たちに伝えておいてくれ」
「ええ。級長として言い聞かせておくわ。ヒューベルトの周りでは何か聞いてる?」
「確か紋章持ちの男ばかりを狙う女子生徒がいるということで、リンハルトが興味を示していましたな。『紋章持ちの男と同時交際して子供ができても、紋章持ちが生まれれば誰が父親かわかっていいね』と」
ヒューベルトくんは事実そのままを話しているんだろうけど、そんな破廉恥なことまで皆の前で言われて恥ずかしくなった。
そのリンハルトって人も酷いことを言うもんだと更に落ち込んで項垂れると、アンが背中を摩ってくれた。
「彼らしいわ……リンハルトにもその噂話は嘘であることを伝えておくわね。それで貴方は確か……フェリクスよね?ユルゲンを見つけたらヒューベルトを差し向けるわ」
「ああ。宜しく頼む」
そこで話が終わった。私はエーデルガルトさんとヒューベルトくんに会釈をして、行くぞと踵を返して食堂に向かうフェリクスくんにアンと一緒について行った。
「フェリクスくん、ありがとう」
フェリクスくんに後ろから声をかけた。
巻き込んでしまったとはいえ、あのフェリクスくんが私の為に行動してくれているのが驚き半分、私の代わりに
「ああ。とっととふたりを見つけて絞め上げて吐かせるぞ」
「うん」
と、反射的に返事したものの、フェリクスくんがどうやって絞め上げるか想像すると怖くなった。それこそ刃傷沙汰になって、話し合いで解決できなかったらどうしよう。
不安げに隣を歩くアンを見れば、「大丈夫だよ!」と言ってくれたけど、何の「大丈夫だよ」かはわからなかった。