バシャバシャビチャっと音が3段回に分かれて鳴った。折り返し階段の途中で、上階から大量のお水が降ってきて、上から下までびしょびしょに濡れてしまった。

「色狂いのナマエさーん、不潔だからエルンストくんに近づかないでくださーい!」

折り返し階段の上階を見上げても既に姿は見えなく、声の高い女子の声と、数人のクスクス笑いの声が聞こえてきた。

「教材まで濡れちゃった……あはは」

笑うしかなくて、濡れた魔道の実技教本をパタパタと振って水気をとった。自分の今の姿を確認すると、制服の白いシャツが濡れて透け、結構際どいことになっている。

もうすぐ授業なのに、一旦部屋に戻らないといけない。ただでさえ私は魔道に向いてなくて実技の成績が悪く、落第もあり得るのに遅刻なんてしたらどうなっちゃうんだろう。

親が借金までして入学させてくれた魔道学院なのに学校生活は大変で、この先の未来を考えると絶望しかない。せっかくできたお友達も離れていってしまったし、教本と制服が濡れ、更に授業に遅刻するという実害が生じている。

階段を下りてふらふらと寮に戻る廊下を歩いていると、何人かの生徒とすれ違い、皆私を見て顔をしかめたり、可哀想とぼやく。惨めで恥ずかしく、消えてしまいたくなる。

廊下に深く入り込む柔い陽の光に当たって濡れたシャツから下着が透けないように、教本を胸に抱きながら廊下の右側を俯いて早歩きしていた。そのうち少し先で立ち止まっている人の足が視界に映り、ぶつからないように仕方なく左側に寄った。すると、その足が私に合わせて左側に寄るのが見えて、思わず立ち止まった。

顔を上げて見ると、リンドウ色の髪を前下がりに揃えて切った背の高い細身の男の子だった。陽の光に当てられて、肌が真っ白に輝き、とても綺麗な顔をしているように見える。全く見覚えのない人で、まだ夏だというのにシャツの上に制服の上着を着込んでいるところを見るに、ファーガスの気候に慣れない他国の留学生なのかもしれない。

彼は髪と同じリンドウ色の瞳をこちらに向けたまま、真剣な面持ちで私の目の前まで真っ直ぐ歩いてきて立ち止まった。

「ごきげんよう」

「ご、ごきげんよう……」

突然の丁寧な挨拶にびっくりしたけど、とりあえず同じように返した。

「すまないが、拭くものがハンカチしかない。とりあえず、先にこれを」

男の子はその場で制服の上着を脱ぐと私の肩にひらりとかけてくれた。それからハンカチで私の濡れた頬と、頭を優しく拭いてくれた。

誰もが私を可哀想と言いながらも関わろうとしない中で、初対面の人が優しくしてくれたことで心が揺さぶられてしまった。ずっと押し込めていた感情が溢れ出るように自然と涙が零れ落ち、泣いちゃ駄目と自分の頭に言い聞かせても、自制ができずに涙が止めどなく出続けた。

「うあっ……あっ……っぐ……ううぅ」

呼吸が乱れて、下唇を噛んでも嗚咽が漏れてしまい、男の子が引いてるだろうなと思って、涙で霞む視界で男の子の姿を捉えると、男の子はやっぱり驚いたような顔をしていた。それから瞳を優しげに薄く細めて、私の右隣に移動して、背中をさすってくれた。

「大丈夫かい?ひとまず、寮まで君を送り届けた方がいいだろうな」

男の子は柔らかい声色でそう言うと、片手で私の背中をさすりながら、もう片方の手で私の右手を優しく包んで本棟の外へ誘導してくれた。
本棟を出ると緑の香る微風に吹かれ、濡れた体に冷たく染みた。でも男の子が握ってくれている右手から、男の子の温かな体温が伝って、私の中を温かい血が巡るのを感じた。

男の子は寮の私の部屋の前まで送ってくれた。その頃には嗚咽が止まっていて、お礼を言ってそこで別れた。

部屋で制服を着替えて布で濡れた髪を気休め程度に拭き取った。髪がぺたんこで、毛先が固まって変な髪型になっちゃったけど仕方ない。

部屋の外に出ると、男の子がすぐ部屋の外にいて驚いた。

「さっきはありがとう。もう落ち着いたから……」

大丈夫と言おうと思ったけど、本当に大丈夫とは言い難い状況で、言えなかった。学業の方は不振で、ここでは私の居場所がない。

「そうか。今から講義かい?」

「うん。あ、私のせいで遅刻しちゃうよね?ごめんね」

「いや、僕の講義は明日からだから問題ない。ああ、僕は同盟領からの留学生で、昨日ここに着いたばかりなんだ。だから、今日は見学だけなのさ。おっと、僕としたことが紹介がまだであったな。僕の名はローレンツ=ヘルマン=グロスタール。君の名前は?」

男の子はヘルマン以降の名前を強調して言った。ヘルマンというミドルネームがあるということは貴族だ。留学するくらいだからやっぱり貴族なんだ。

自己紹介をして講義に行くことを伝えると、ローレンツくんも職員室に用があるから途中まで一緒に行くという。さっきは職員室に行く途中なのに、私を寮まで送ってくれた上に外で待っていてくれていただなんて聖人のように優しい人だ。

本棟に戻って、職員室の前でローレンツくんと別れる時、「また会おう」と言われてまた泣きそうになった。ローレンツくんは結局私に何故全身濡れていたのか聞いてこなかった。察して気を遣ってくれたのかもしれない。

それから魔道の実技教室に向かった。足取りが重かったけど、ローレンツくんのお陰か少し気持ちは軽くなっていた。

先生には遅れてきたことを怒られて、他の生徒達には髪が濡れているのをちらちら見られたり、エルンストくんの取り巻きにはクスクス笑われたりしたけど、いつも程気にならなくて、また彼に会えたら嬉しいなとそればかり考えていた。
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